
2000年4月。重太は会社をやめ、人生の長期休暇を勝手に取得しました。
これで自由に世界を浪夢できます!
まずは、ずうっ〜とお預けになっていた地、アフリカを目指すことにしました。
[ 1、イントロダクション ] [ 2、サファリ編 ] [ 3、トラブル編 ] [ 4、浪夢編 ]
予防接種 [ 東京 ] 2000年4月18日 ★
「ケニアに行くなら予防接種が必要だぞ。」
大学時代からの親友=ケニアのNGOで働くノブに言われ、 東京駅にある『日本検疫衛生協会』東京診療所へ行きました。
「A型肝炎と破傷風ね。両腕にやりますので、ソデをめくって下さい。」
義務なのは『黄熱病予防接種』だけ、とのことです。
しかし、備えあればうれいなし。
ノブのアドバイス通り、まず、A型肝炎と破傷風の予防接種をすることにしました。
チク!
A型肝炎(1回目)の注射を右上腕の裏側に一指し。
「横浜に住んでいるなら、横浜診療所の方が近いでしょう?」
チク!!
さり気ない会話をはさんで、破傷風の注射を左上腕の裏側に一指し。
あっという間に終わったので、なんとか、泣かずに済みました…。「A型肝炎(2回目)は2〜4週間後に打って下さいね。」
「その1週間後に黄熱病も打って下さい。」
「あと2回も注射するのかよ…。」
アフリカに行くための準備をしているだけなのに、かなり気が滅入ってきました…。
「11、700円になります。」
「え!!?? あ、はい…。」
たった数ccの注射だけなのに、結構なお値段がするものです…。
チク!!
2週間後の5月2日、横浜診療所でA型肝炎(2回目)の予防接種をしました。
「8、700円頂きます。」
「え? あ、はい…。」
チク!!!
さらに、1週間後の5月10日、横浜診療所で黄熱病の予防接種をしました。
「4、900円になります。」
「…あ、はい…。」
3回で合計25300円…。
かなりの出費でしたが、全ては自分の命のためです。
ここは惜しみなく払っておきましょう…。さぁ!
これでアフリカの大地を踏む準備ができました!
…しかし、ここまで出費をして、アフリカに行くのはナゼでしょう…?
この文章の更新日の今日(2004年6月22日)、ノブはエチオピアに家族で2年間の赴任!
新たな活躍を期待しています!!(そのうち、じろおむんど、エチオピア編もあるのか…?)
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発熱、回復、発熱… [ 横浜 ] 2000年5月中旬 ★
黄熱病の予防接種後、副作用で熱を出しては回復する日々が約10日間続きました。
この間、多少の頭痛、腹下しなどもありました。
5月10日 黄熱病 予防接種。4900円。 5月11日 夜、微熱を感じる。 5月12日 安静に。大きな異常はなし。 5月13日 異常なし。 5月14日 朝からだるい。にもかかわらず、一日外出。 5月15日 昼過ぎから発熱。寝込む。気分は悪くない。 5月16日 安静に。熱が引きはじめる。 5月17日 回復。寝る直前、また微熱を感じる。 5月18日 微熱を感じながら、午後外出。夜、回復。 5月19日 とりあえず、回復。
この4、5年、ほとんど発熱することなどなかった重太をここまで乱調にするとは!
生ワクチンの威力、恐るべし…です。
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出発準備完了? [ 横浜 ] 2000年5月末日 ★
ケニアのガイドブックを買いました。
・マラリア対策の蚊取り線香、蚊よけスプレー
・ホテルの洗面所に栓がないとのことなのでゴムの栓
・サファリ用に双眼鏡
・懐中電灯
・カメラのフィルム(たくさん)
・予備の電池
必要なものを買い揃え、海外傷害保険に入りました。
円をドルに変え、出発の準備も完了です。
重太にしては、珍しく出発前にガイドブックの細かい所にまで目を通しています。
初のアフリカ大陸、初の文化圏。
予想外の事態がいくらでも起こり得ます。
それを少しでも知って対処できるようにしようとしているわけです。
・金品目当ての治安の悪さ。
・テロ
・マラリア、破傷風などの病気…。
ガイドブックには、一人旅をさらに心細くしてくれるような事がたくさん書かれています…。
「黒いタクシーなら大丈夫だよ。」
「夜は出歩かない方がいいよ。」
「ホテルには蚊帳があるから。」
ノブに色々ケニア事情を電話で聞き、不安は少しずつ解消されていました。
そして、いよいよ出発は明後日となりました。
しかし、飛行機のチケットがまだ手元に届いていません…。
さらにここ数日、咳がとまりません。
黄熱病ワクチンの副作用が長引いてるとは思えませんが、あまり喜ばしい体調でないことは事実です。
「アフリカに行くと何かよくないことでも起こるのかなぁ?」
なんとなく、アフリカに歓迎されていないような気すらしてきました。年始にひいたおみくじでは、旅に関しては「時期よし 発てば利あり」とのことです。
それを信じてここは計画通り未知の大陸、アフリカを目指すことにしましょう!
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待つ旅のはじまり その1 [ → クアラ・ルンプール] 2000年6月1日 ★
出発日の朝、成田空港で往復のチケットをやっと受け取りました。
これでいよいよアフリカの旅を始めることができます。
成田空港から6時間程飛んで、まずはマレーシアの首都、クアラ・ルンプールに到着しました。
ここは、とても新しく綺麗で大きな空港です。
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「…………………。」
次のフライトまで『9時間』もあります。
空港内をゆーーーっくり見て回っても、30分ほどですることがなくなってしまいました。
旅を始めたばかりなので、メモや日記に書くネタすらありません…。
一人旅のつらい所はこういう時に時間が余りまくってしまうことです。
ただ、することもなく、ひたすら次の飛行機の出発時間を待ちます。
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閉ざされた空間で、することもなくただ待つだけの9時間…。
寝るにしても空港内では落ち着いては寝れません…。
食事をしても、つぶれてせいぜい1時間…。
腕時計に何度も目をやりましたが、なかなか針は進んではくれませんでした。:
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「ここは
『クアラルン ・ プール』じゃなくて
『クアラ ・ ルンプール』なのかぁ…。」
20年前、シンガポールに住んでいた頃の勝手な思い込みが間違いであったことに気付きました。
しかし、それは有り余る時間をつぶすのには、何の助けにもなりませんでした…。
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アフリカ大陸、初上陸! [ → ヨハネスブルグ ] 2000年6月2日 ★
6月2日、午前1時30分。
クアラ・ルンプールから飛行機が離陸しました。
9時間の待ち疲れのおかげで機内ではグッスリ…!。
あっという間に南アフリカの大都市=ヨハネスブルグに到着です。「よっしゃー!! ついに来たぞ!!」
重太、アフリカに初上陸です!…しかし、現地時間は朝の5時…。
外はまだ真っ暗で、何も見えません…。最終目的地、ケニアに行くためには、『もう一度』飛行機を乗りかえる必要があります。
次のフライトまで、ここでさらに『5時間半』待ち…。
この待ち時間に、成田空港で言われた『預けた荷物のピックアップ』を試みました。
「荷物はターミナル2じゃないと受け取れないよ。」
言われた通り、ターミナル2に行って見ます。
「ターミナル1に行って下さい。」
「………。」
困ったことに、聞く人によって応えが全然違います…。
それでも、何とか自分の荷物の所在をつかまないわけにはいきません!
とりあえず、空港で働いている人に片っ端からきいてみます。
「荷物を取るには一回外に出る必要がある。君は南アフリカの*○▽★は持っているのか?」
「え?」
「*○▽★は持っているのか、持ってないのか、と聞いているんだ!!」
「え?(なんて言ったんだ?)」
「*○▽★だよ!」
でっかいオッサンの口調が荒立ってきます。「え? 何だって?」
「*○▽★だよ!」
何度聞いても、南アフリカなまりの英語が聞き取れません…。
「*○▽★だよ! *○▽★!!」
しまいに、その人はすごい形相で怒りはじめました。
早朝で機嫌が悪いのかも知れませんが、アジアからはるばるきた一人で心細い旅行者に、 恐い顔で怒るのはやめてほしいところです…。
おかげ様で、ヨハネスブルグの印象はとっても悪くなってしまいました。
※ ちなみに『*○▽★』の正体はどうやら VISA(査証)のことだったようです…。
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待つ旅のはじまり その2 [ ヨハネスブルグ ] 2000年6月2日 ★
成田で預けた荷物を受け取るため、空港内を行ったり来たり、が続きます…。「乗り換えのチェックイン・カウンターに行けば、全て調べてくれるよ。」
明るい笑顔で対応してくれたお兄さんを信じ、すぐカウンターに行ってみました。
「…まじかよ………。」
朝、早過ぎて、カウンターはまだ開いていません…。
仕方ないので、ベンチに座り、カウンターが開くのをただ待つだけ…。
まだ始まったばかりなのに、体力的にも、精神的にもかなり疲れる旅です…。:
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…3時間後…。
やっとカウンターが開きました。
「荷物はナイロビで受け取って下さい。」
「ここで受け取ってチェックインし直さなくていいの?」
「安心してナイロビに行って下さい。 全てオーケーですよ。」
「本当? 荷物はナイロビで受け取ればいいんだね?」
「はい!」
何度も何度も確認し、その場を後にしました。
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チェックインからさらに2時間程待って、ナイロビ行きの飛行機はやっと飛び発ちました。目的地、ケニアに着くまでに、既に一体何時間待ったことでしょう…。
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…手痛い歓迎 [ → ナイロビ ] 2000年6月2日 ★★★★★
「おおおお!!」
ナイロビ到着直前、キリマンジャロ山が重太を迎えてくれました。
その雄大な自然を見られたおかげで、疲れが少しだけ吹き飛んだ気がします。
そして、やっと旅の目的地=ケニアに入国です!
「寝台列車でモンバサに行こうかなぁ…、それともとりあえずナイロビに1泊しようかなぁ…。」
旅のスケジュールを全く決めずに来た重太は今晩どうしようか悩んでいました。
無事、入国審査を終え、荷物を受け取るため、ターンテーブルへ。
そこには、ジンバブエの首都=ハラレからの荷物が回っていました。
「あの荷物、取ってもらえます?」
「いいですよ。」
アラブ系の美女のお願いに満面の笑みで応え、ヨハネスブルグ便の荷物の登場を待ちます。
「お! いよいよだな。」
モニタの表示が『ハラレ』から『ヨハネスブルグ』に変わりました。
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なかなか『ヨハネスブルグ』からの荷物が出てきません…。
まわっているのは、先ほどからまわっている『ハラレ』からの荷物ばかりです…。
「どうしたんだい?」
空港で働いているらしきお兄さんが重太に話し掛けて来ました。
「ヨハネスブルグからの便の荷物を待ってるところだよ。」
「今までのが、そうだよ。」
「え…?!」
なんともショッキングなことを言ってくれるではありませんか!
さっきからずぅ〜〜〜〜っと、ターンテーブルに目をやっていましたが、重太のトランクらしき物体は見当たりませんでした…。
「………もしかして……?」
「…ああ、来てない、みたい…。」
今まで海外で生活をしたり、何回も旅をしてきました。
…が、こんなこと初めてです…。
「丸2日かけてはるばるアフリカまでやって来て、これかい…!!」
…なんとも手痛い歓迎です。
「アフリカに歓迎されてないのでは?」
出発前に感じた不安は、旅の始まりの地=ナイロビに到着したとたん、現実のものとなってしまいました…。
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本当の行方不明 [ ナイロビ ] 2000年6月2日 ★★★
バゲッジ・クレームに問い合わせたところ、成田で預けた荷物はどこで行方不明になったかわからない、とのことです。
荷物がないまま、ナイロビから約400km以上も離れた地=モンバサに行っている場合ではありません。
おかげ様で、今晩は迷うことなくナイロビ滞在に決定しました…。
荷物の中身はボロの着替えばかりなので、もし、このままなくなったとしても絶望的に困ることはありません。
パスポートや現金、クレジットカードなどの貴重品は身につけていたので、金銭的ダメージはないと言っていいでしょう。「いざとなればナイロビで着替えやフィルムなどの必要物資を買い揃えればいいや。」
…自分のミスでもないのに、それもなんだがバカな話です。
「『じろおむんど』におあつらえ向きのネタじゃん!」
2ヶ月前一般公開を開始したばかりの本サイトに載せるネタができたと、自分をなぐさめます…。
「お金もカメラも手元にあるし、身軽になってかえっていいかも…。」
なんとか自分を奮い立たせ、気楽に考えるようにします。
…しかし、旅の始まりに自分の荷物が行方不明になってしまうというのは、かなりりこたえるものです…。
これから、荷物なしで一体どうなってしまうのでしょう…?
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身軽な装備で… [ ナイロビ ] 2000年6月2日 ★★★
「…荷物が行方不明になっちゃってね…。」
「だったら町はずれのホテルより、町中のに泊まった方が、空港にアクセスしやすいですよ。」
「…はぁ…。」
言われるがまま、ホテルの申し込みを空港で済ませることにしました。「ついでにサファリの申し込みもしませんか?」
「…はぁ…。」
「荷物はすぐ届くでしょうから、明後日くらいからサファリに出かけましょうよ!」
「…はぁ…。」
時差、長旅の疲れ…、そして、荷物は行方不明…。
思考力が極限まで落ちた重太は、ツアー会社の人の言いなり状態です。
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「…さてと、ホテルに向かいますか…。」
いろいろ申し込みをすませ、ジョモ・ケニャッタ国際空港を後にします。
…機内に持ち込んだ『手荷物一つだけ』で…。
「…渋谷か横浜にアソビに来たわけじゃあるまいし…。」
こんな身軽な装備で『空港をあとにしたこと』は、国際空港ではおろか、国内の空港でもありません…。
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カルチャーショック… [ ナイロビ ] 2000年6月2日 ★★
タクシーで、空港からナイロビの中心にあるホテルへ向かいます。
120kmでつっぱしり、急ブレーキをかけるドライバー。
信号が少ないためか、人がよく道を横切るので、こわさ2倍のドライブです…。
「…うわぁ……。」
…運賃節約?
…便乗当たり前?
1台のステーションワゴンに10人以上の人が乗っています。
日本ではありえない風景に、早速カルチャーショックを受けまくります。
ホテルに着くと、出迎えのポーターが戸惑い顔です。
「…あ、あの、お荷物は?」
「…ははは…! これだけなんだ!!」
手さげカバン1つの日本人旅行客…。
これではチップをもらうキッカケがありません…。
ありえない客の登場に、ポーターもカルチャーショックを受けていました。
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気持ちのいい目覚め [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★
その晩、疲れ果てた重太は夕食もとらず、すぐに寝入ってしまいました。:
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次の朝…。
ぐっすり眠った重太は、気持ちよく目覚めました。
まず、顔を洗おうと、洗面所へ。
日本の旅館と違い、海外のホテルによっては歯ブラシがないことがよくあります。
そんなことは百も承知の重太は、当然歯ブラシを旅行に携帯しています!「…あ、歯ブラシ、トランクの中だ…。」
どーんと気分が落ち込むまでに、大して時間はいりませんでした…。
今、荷物はこのバッグだけ…
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紋切り型=ステレオ・タイプ [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★
気を取り直して、ホテルのレストランへ向います…。
朝食は、自由に好きなものをとれるビュッフェスタイルでした。
牛乳、フレッシュジュース、パン、シリアル、卵、ソーセージ、フルーツ…。
観光客が良く泊まるホテルらしく、食べ物はアメリカン・スタイルでした。昨晩、何も食べなかったので、とりあえず食べれるだけ腹につめこみます。
「…あんまりケニアのコーヒー、おいしくないな…。」
食後のコーヒーをすすりながら、カード型の電卓で旅の費用の計算していた時のことです。
「いい電卓ですね!」
うしろから、ウェイターが話し掛けてきました。
「…あぁ、ちょっといろいろ計算したくてね。」
「そういう小さな電卓はケニアにはないんですよ。」
「…ふーん。そうなんだ。」
会話は終わった様に見えましたが、ウェイターが去る気配はありません。
「そんな電卓を持てたらいいなぁ…、なんて思います。」
「なかなかないですからね。そんな電卓…。」
しつこいくらい『電卓』の話題が続きます。「(!! …これかぁ!!!)」
旅のガイドブックに『ケニア人はダメモトでモノを催促してくる』と書いてありました。
つまりこの会話は、『もしかしたら電卓をもらえるかも』という下心のあるものだったのです。
「これは、これからの旅で必要なんだ。」
自分に必要なことを強調すると、そのウェイターはしぶしぶ去っていきました。
「お約束通りジャン…。」
いきなりガイドブックに書かれていた『紋切り型の会話』と遭遇、奇妙な気分です。
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ナイロビ観光 1 [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★
リリリリリリリ!!
朝食が終わり、部屋に戻るとすぐ、電話がなりました。
ノブはまだ日本にいて、数日後にケニアに来ることになっています。
…なので、ナイロビに知り合いは、まだいないはずですが…。
「昨日ちょっとお話しした『旅行会社の知人』が、あなたのためにツアーをアレンジしてくれるそうです。」
昨日のポーターからの電話でした。
頼んでもいないのに、何とも手配のいい人です。荷物の所在がわからないのに、のんびり観光などしてる気分ではありません。
…とは言っても、ホテルの部屋でグダグダしていれば、荷物が見つかりすぐ届く、と言うわけでもありません。
せっかくアフリカのケニアに来たんですから、時間を有効に使うことにしましょう。「ジラフセンター、ナショナルパークなどお勧めですよ!」
5分後にあらわれたツアー会社の人がナイロビ観光をどんどんアレンジしてくれます。
「…あぁ、あんまり長い時間、外に出ていたくないんだ。」
「??」
「だから、国立博物館と、えっと、このカレン・ブリクセン博物館ってとこに行くだけでいいです。」
数分後、ジェイムスというドライバーがあらわれ、一人でワゴンを借り切り、ナイロビ観光が始まります。
まず向かったカレン・ブリクセン博物館はナイロビの中心地から車で30分弱の郊外にありました。
映画『愛と悲しみの果て』の原作者が過ごした邸宅だそうです。
「…ふーん。」
その映画を見たことのない重太にはあまりピンと来ない場所でした。…トランクの行方が気になり、観光に身が入らないのも事実です…。
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ジェイムスという、ドライバー [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★
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ナイロビ観光 2 [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★
次にまた30分ほどかけて、国立博物館へ行きました。
「おおおぉ!! すげぇ!!」
精密な描写、綺麗な色づかい。
『野生のエルザ』の著者、ジョイ・アダムソンが描いたケニアの部族や植物画は目を見張るものがあります。
何より壁一面に展示された『その作品数の多さ』に圧倒されてしまいました。
『カンガ』というケニアの女性が身にまとう布や、アジアとアフリカのつながりを示した展示もなかなか興味深いものでした。初めてのアフリカ、初めての文化圏。
見るもの、聞くこと、感じること、全てが新鮮です。自分のトランクの存在すら忘れてしまう一時でした。
荷物などなくても旅行って意外に出来るものなのかも知れません…!
(まぁ、『ある』に越したことはありませんが…。)
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いいニュースと悪いニュース [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★★
観光を終え、ホテルに戻ると良いニュースが重太を待っていました。
「あなたの荷物がヨハネスブルグで見つかりました!!」
「ホントですか? やったぁーーー!!!!」
自分の荷物が見つかっただけなのに、なんだか宝くじにでも当選した気分です!やはり犯人は『あの』ヨハネスブルグでした。
空港で荷物をピックアップしようと、ものすごく努力したのに…。
空港の人を信じたのが間違いだった様です。
重太のヨハネスブルグの印象はさらに悪くなっていきました。
………ついでに悪いニュースも重太を待っていました。
「荷物は明日の午後2:30頃、ナイロビに届きます。」
「え? なんで今日の夜じゃないの?」
『今晩荷物が届いて、明日の朝からサファリに行ける』
…重太は、そう予想して、ツアーの手続きをしていたのでした。
「ツアーの日程を1日ずらしてもらわなくちゃ…。」
そう思い、ツアー会社に電話をかけると意外な応えが返ってきました。
「荷物は私達が責任を持ってピックアップするから、あなたは明日の朝からサファリに行って下さい。」
……そんなこと、考えてもみませんでした!
つまりツアー会社の人が、明日ナイロビ空港でトランクを受け取り、明後日の午後、重太の滞在するロッジにトランクを届けてくれる、というのです。確かにそうしてもらえれば、ナイロビで荷物を受け取るだけの明日1日をサファリで有効に使うことが出来ます。
ナイロビの郊外にある空港への往復タクシー代もうかすことが出来ます。
ついでに言えば、身軽に行動できる日がもう一日増えてしまいます!
…しかし、明日のサファリに必要と思われる『双眼鏡』や朝夕防寒用の『フリース・ジャケット』はトランクの中にあるのです…。
着替えや蚊取り線香、歯ブラシなどもです…。
さらに、もし、またなんらかの理由でトランクが手元に届かったら…。
ダメージは、さらに大きいものとなることでしょう…。
これからまだあと3週間もある旅が、この『トランク行方不明事件』によって振り回されまくっています……。
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ギャンブルにでる [ ナイロビ ] 2000年6月3日 ★★★
「…………。」
明日からサファリに行くべきか、明日は荷物を受け取りに行くべきか…?
いい点、悪い点、一人でイロイロ考えてみましたが、どうしたら一番いいのか、答えが全くでません…。
電話口で悩んでいると、受話器の向こうから声がしました。「私達を信用してくれないの?」
信用…。
なんともズシンとくる言葉です…。
何を持ってすれば、昨日今日あったばかりのあなた方を信用できるのかわかりませんが、 信用できないというのも失礼のようで…。
こう言われてしまうと、「ノー」とは言えない日本人になってしまいます…。
「…わ、わかりました。 明日、サファリに行きます…。」
これは一種のギャンブルです。
成功すれば、日程や余分な費用を節約でき、嬉しさも2倍、3倍になることでしょう。
しかし、失敗した時のダメージは……………、あまり想像したくありません。
とにかくケニアの人を『信用』してトランクが無事に届くのを祈るのみです。(あとで気づいたこと。 ツアー会社の人は、1度でより多くの人間をサファリに移動させたいだけだったのだな、ということ…。
向こうの都合が1番で、客への親切心はその次だったのだろう…、ということ…。)
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トランクのない旅… [ ナイロビ郊外 ] 2000年6月3日 ★
トランクのない旅…。
ヒゲもそれず、見た目がみすぼらしく、汚らしい旅…。
トランクのない旅…。
フィルムの残りを気にして、チビチビしかシャッターをきれない旅…。
トランクのない旅…。
蚊取り線香も、蚊よけスプレーもなく、蚊におびえながら夜を過ごす旅…。トランクのない旅…。
着替えがないので、ポロシャツもチノパンもずっと同じものを着ている旅…。トランクのない旅…。
1枚しかない下着を寝る前に洗ってほして、次の日もそれをはく、という旅…。
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郊外へ向かう途中にて [ ナイロビ郊外 ] 2000年6月4日 ★
「ハロー! アイム ミルコ。」(=ミルコです。)
「アイム マヌエラ。」(=マヌエラです。)
「アイム シゲタ。 フロム ジャパン。」(=重太です。 日本人です。)
次の日、イタリア人の夫婦と一緒にサファリツアーに出発することになりました。
トランクの事は旅行会社の人に任せて、とにかく、サファリを楽しむことにしましょう!車はまずナイロビの北西の湖、ナクル湖を目指すことになりました。
鋪装されたガタガタ道を車はなかなかのスピードでつっぱしります。
「おおおおぉぉ!!」
30分も走ると、それまでなだらかな丘が続いていた視野が急に開けました。
「ここはグレートリフトバレー。 何1000kmも続く陥没地帯だよ。」
大地溝帯を上から眺めるのは壮観です。
視界内におさまり切らないその広大な溝帯は広大なアフリカの大地を直接感じさせてくれるものでした。
「ジャンボ!」(=こんにちは!)
車をとめ、写真を撮っていると道路わきにある土産屋の人たちが寄ってきます。
「ハロー、マイフレンド。 ウェア アーユー フロム?」(どこから来たの?)
「ジャパン。」
「コニチハ! ヨウコソ!」
商売のためでしょうか、みんな片言の日本語を知っている様です。
なにか少しでも買ってもらおうと、土産屋がしつこく話しかけてきます。「アン ユー?」(=で、あなた方は?)
「アイム フロム トーキョー。 シーイズ フロム キョート。」(=私は東京出身で、彼女は京都出身だ。)
さすが、イタリア人!
こういった『うさんくさい土産屋』のあしらい方をよく知っています。「コニチハ! ヨウコソ!」
どうやら土産屋は、彼のおふざけを間に受けた様です!
「コニチハ! コニチハ!」
…どう見てもヨーロッパ顔の白人夫婦に、土産屋たちは日本語で話しかけ続けていました…。
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イタリア教会堂 [ ナイロビ郊外 ] 2000年6月4日 ★
グレートリフトバレーを左に見ながら少し進むと、小さな教会が右手にありました。(写真:右)
「ここは第2時世界大戦中にこの道路を作ったイタリア人捕虜のための教会なんだよ。」
3人がけのいすが4つしかない本当に小さな教会でした。
イタリア軍捕虜の記念碑でもあり、慰霊碑でもあるとのことです。「ローマのサンピエトロ寺院みたいだな。」
ミルコがボソッと言いました。
「こっちの方がちょっとだけ小さいかな。」
重太が受け答えます。「ハッハッハ!」
『イタリアのおじさん』と『日本の無職男』は肩を組んで笑いあいました。
下らないジョークを言うことで、小さな旅の出会いは、不思議と変な絆となっていくものです…!:
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それにしても、重太はイタリア人とは相変わらず相性がいいようです。 ( → 詳細は、『イタリア93』 )
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[ 2、サファリ編 ]へ
ケニア2000 [1、イントロダクション] 目次
・予防接種 ………アフリカへ行く前の大事な準備・発熱、回復、発熱… ………予防接種の副作用
・出発準備完了? ………パッキング終了、気持ちの方は?
・待つ旅のはじまり その1 ………クアラ・ルンプールでの9時間待ち
・アフリカ大陸、初上陸! ………早朝のヨハネスブルグでのひと波乱…
・待つ旅のはじまり その2 ………ヨハネスブルグでの5時間待ち
・…手痛い歓迎 ………到着したナイロビで待ち受けていた第1の試練
・本当の行方不明 ………なんとかプラス思考で…
・身軽な装備で… ………空港をあとに…
・カルチャーショック… ………ポーターも驚く観光客、登場
・気持ちのいい目覚め ………よく寝て気持ちよく起きたが…
・紋切り型=ステレオ・タイプ ………ガイドブックに書かれた通りのことが起こる
・ナイロビ観光 1 ………とりあえず市内観光に
・ジェイムスという、ドライバー ………市内観光につれてってくれたちょっと…なドライバー
・ナイロビ観光 2 ………国立博物館で感激!
・いいニュースと悪いニュース ………荷物の所在がわかる!
・ギャンブルに出る ………サファリに行くべきか、待機すべきか?
・トランクのない旅… ………やはり、いろいろ不便な旅…
・郊外へ向かう途中にて ………地球の溝へ
・イタリア教会堂 ………くだらないジョークで笑いあう二人
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