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アフリカからの帰国、そして…
初のアフリカ3週間の旅を終え、いよいよ帰国です。
何事もなく、無事に日本に戻る事ができそうです。
しかし、その後、とんでもない事態が発覚します…。

 
[ 1、波乱編 ][ 2、冒険編 ]
[ 3、観光編 ] [ 4、帰国編 ]

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 通じない思い
[ イヴァト ホテル ] 2000年6月24日 ★

いよいよマダガスカルを出国する日が来ました。
早朝のフライトにあわせ、朝3:30に起床…。
まだちょっと眠いですけど、最後のパッキングを済ませ、出発準備を整えます。

コンコン…。
ドアがノックされました。
ルームサービスなど頼んだ覚えはありません。
「そとに車が待ってますよ。」
「…まじかよ!」

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さかのぼること、昨日の晩…。

今日の朝早くにチェックアウトする事をホテルの受け付けにあらかじめ伝えておきました。

「空港までの車は必要ですか?」
「あるからいらないよ。」
世界遺産やペリネのツアーをくんでくれたツアー会社が最後の空港に行く車も用意してくれる、というのです。

そのことを確実に伝えたはずですが、相手は英語がよくわからない人だった様です…。
しっかり断ったはずなのに、ミニバスがホテルの前に用意されてありました…。

「…はぁ、まったく…。」
最後の最後まで、なにかがうまくいかない旅です…。

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 最後の両替え
[ マダガスカル空港 ] 2000年6月24日 ★

午前4:15。
ツアー会社の用意してくれた車で空港に到着しました。

「………。おーーーーい。」
空港内には働いている人の姿が見当たりません。
すでに国際線のチェックイン時間であるフライト2時間前。
こんなのでいいのでしょうか?
焦っても仕方ないので、なんとなく出来ている列に並びます。

4:30、ゲートがオープンしました。
「出国手続きにはすごく時間がかかります。」
どこかのインターネットそういう記事が書かれていたので覚悟をしていたのですが、意外にもすんなりチェックイン出来ました。

出国審査前に税関です。
「マダガスカルのお金を持っていたら見せてもらえますか?」
「はい。」
手元に残った157,500マラガシーフラン(約25ドル)を見せました。
「25,000マラガシーフラン(約4ドル)しか国外持ち出し禁止だから。」
…出国真際にそんなこと、言わないでもらいたいです…。

強制的に両替所へ行かされます…。
なんと、めんどくさいシステムでしょう…。

「あなたは日本人ですか?」
ふてくされた顔で両替え待ちをしていたら、両替所で働くかわいい現地人の女性に『日本語』で話し掛けられました。
これには、重太、ちょっとビックリです!

「…はい。」
「マダガスカルは、どう、でした、か?」
その女性は習い立てのぎこちない日本語であれこれ重太に聞いて来ます。
きっと自分の日本語を色々ためしたいのでしょう。

「…うん。よかった。」
まだ出国審査を済ませていない重太は、今後両替手続きにどれだけ時間がかかるか想像できない状態にヤキモキしていました。
「日本のどこにすんでるのですか?」
「…ヨコハマ…。」
とても女の子と会話を楽しむ気にはなれず…。
ただ、ひたすら両替えする順番を待ちました。

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やっと重太の順番になりました。
「両替えはフラン(=フランス通貨)でいいですか?」
今後、フランスに行く予定は当分ありません。
「いえ、円かドルにしてください。」
「困ったな、朝早くて、円もドルもまだないんですよ…。」
…というわけで、残金は強制的にフランになってしまいました…。

「フランなんていらん…。」
最後の最後まで思い通りにいかない旅です…。
フランのレートなど、サッパリわかりません…。
だまされず、正しく両替えされたことを祈るのみです…。

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 さらば、マダガスカル
[ マダガスカル空港 → ] 2000年6月24日 ★

強制的に両替えをさせられ、既に1度通った税関を顔パスで通り過ぎ、急いで出国審査に向かいます。
お役所仕事がとってものんびりなマダガスカル。
飛行機の搭乗時間までに出国審査を終えれるかが気掛かりだったためです。

「え? もういいの?」
もっと手間と時間がかかると覚悟してたのに、意外にも早く審査が終わりました。
なんだかちょっと肩すかしです。

「…なんだよ!さっきの両替所でもっとあの子と会話を楽しんでおけばよかった…。」
先程、女性に対して素っ気無い対応をしたことをカナリ後悔してしまいます…。

午前5:30。
ボーディングゲートへ行きソファーに座って待ちます。

6:10。
それほど待たされる事もなく飛行機へ搭乗できました。

6:30。
飛行機は、多分ニ度と来ることのないマダガスカルの大地をしずかに離れました…。
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 最後まで待たされる旅
[ ヨハネスブルグ ] 2000年6月24日 ★

午前9:50。
3時間強のフライトでアフリカ大陸、南アフリカへ戻って来ました。

ここ、ヨハネスブルグの空港は3週間前、ケニアに行く前に来たことがあります。
空港内に何があるかわかっているので、ちょっと通ぶって場内を歩き回ります。

「………はぁ。」
みやげを見るのにもすぐ飽きて、することは無くなってしまいました。

次のフライトは午後2:40。
それまで4時間以上、することが何にもありません…。

とりあえず、BBQバーガーとコーラ&コーヒーで昼飯を済ませました。
現地の通貨などもっていないので、クレジットカードで支払いを済ませます。

「46SAR(=サウス・アフリカ・ランド)っていくらだぁ?」
自分がどのくらいの値段の物を食べたのか、全く想像がつきませんでした。
もしかしたら『ものすごくリッチなハンバーガー』を食べてしまったかもしれませんが、それを知る術はありません…。

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その後も何をするわけでもなく、ソファーに座りボーっとしていました。

午後1:55がボーディングの時間ですが、場内アナウンスが入る様子がありません。
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「マレーシア航空は出発が1時間遅れます。」
しばらくして予想通りのアナウンスが流れました。
最後の最後まで計画通りに行かないアフリカの旅です。

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2:50。
本来の出発時間を過ぎてしまいました…。

「マレーシア航空は4:00頃の出発になりそうです。上のカフェでくつろいで下さい。」
なんともうれしくない追加アナウンスが流れます…。
カフェで搭乗券を見せるとジュースとサンドイッチをタダでくれるとのことでした。

「…38人もオーバーブッキング(2重予約)をしているらしいよ。」
隣に座っていた白人老夫婦が噂話をしていました。
確かにマレーシア行きのフライト待ちの人が周辺に溢れかえっています…。
「…オレ、ちゃんとリコンファームしたし…、でも、飛行機にのれるのか…?」
なんだか自分がちゃんと日本に帰れるのかさえ怪しく感じられてきました。

…ヨハネスブルグ。
なんだか、とっても不愉快で、腹立たしい印象しか残らない街です。

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 機内にて
[ ヨハネスブルグ → ] 2000年6月24日 ★

午後4:15。
待ちに待ちに待ち、やっと機内に乗り込む事が出来ました。
しかし、なかなか離陸準備に入る様子がありません…。
また、なにかトラブルなのでしょうか…?

「今しばらくお待ち下さい。まだ搭乗してないお客さまが…。」
もうそんな奴はおいて、とっとと飛び立ってほしい所です。

「やっと飛んだよぉーー!!」
ただ『離陸する事』がこんなにうれしかったことは、初めてかも知れません。

結局2:40発のフライトが4:50発になってしまいました…。
2000年、初夏のアフリカの旅は、最後の最後の最後まで待たされまくった旅です…。
ここまで計画通りに行かないと、もう本当に、ただ、笑うしかありません…!!

「現在、当機はマダガスカル上空を順調に飛行中です。」
離陸してしばらくしてから、機長からのアナウンスがありました。
南アフリカ=ヨハネスブルグからマレーシアに向かう空路は、マダガスカルの直上を通る様です。

「ここで乗せてもらえばよかった…。」
もちろんそんなことは無理な話ですが、早起きして一旦ヨハネスブルグに戻ってまたマダガスカルの上を通るなんて、なんだかアホみたいな気分です。

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 最後のフライト
[ クアラルンプール → ] 2000年6月25日 ★★

9時間のフライトの末、マレーシアのクアラルンプールへ到着しました。
日本へのフライトのチェックインをとっとと済ませ、腰を落ち着かせます。

「おぉぉ、いっぱい日本人がいる!」
ここまで戻ってくると日本人観光客の数が一気に増え、日本に確実に近付いているのを実感しました。

マレーシア時間午前11:10。
ほぼ予定通り、飛行機は日本に向けクアラルンプールを飛び立ちました。
ここクアラルンプールでは、『お陰様で』ほとんど待ち時間がありませんでした。
乗り換えの時間にゆとりがあったからいいものの、下手をしたらここで飛行機に乗り遅れ、 さらに待たされる旅になりかねませんでした。

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 無事に帰国
[ 日本 ] 2000年6月25日 ★★

6時間半のフライトの末、重太は母国日本に無事戻ってくる事が出来ました。

 今回の旅で訪問した国 ーーー ケニア、マダガスカル
 症状 ーーー 下痢

旅の間の健康状態を記入する紙を提出して入国審査へ向かいます。
「す、すみません!!」
後ろから重太の紙を見た係りの人が走ってきました。

「この『下痢』って今は大丈夫ですか?」
「…? はい…。」
重太の行った場所が場所なだけに、危険な伝染病の可能性をぬぐい切れなかったんでしょう。

「何かあったら、ここにすぐ電話して下さいね。」
体調に関する簡単な質問をされた後、検疫所の電話番号の書かれた紙を渡されました。

「…どうも…。」
この紙が後でものすごく役に立つことになるとは、この時思いもしませんでした。

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 久々の逆カルチャーショック
[ 日本 ] 2000年6月25日 ★★★★★

「みんな靴をはいてるよ!!」
「みんなお化粧とかキレイ!!」
「汚れもない、穴もない服を着てるよ!!」

「街灯がある!! 夜でも明るいよ!」
「道が平らできれい!!」
「車もへっこみとかなくて、きれい!!!」
「橋も信号もあるよ!!」
「店が24時間あいてるよ!!」

日本に無事帰って来た重太を待っていたものは、久々の『逆カルチャーショック』でした。
アメリカやヨーロッパなど西側諸国には行き慣れていましたが、初のアフリカ訪問からの帰国はかなりインパクトがありました。
日本にずっと住んでいれば当たり前のことが、ものすごく新鮮に感じられます。

「ファミレス、注文をとるのに、メモをとるんじゃなくて、何か機械をつかってるよ!!」
「レジがバーコード処理だよ!」
「みんな独り言をしゃべりながら歩いてるよ!」(=携帯電話)
どれもこれも重太が日本にいなかった3週間の間に出来たものではありません。
出発前に知っていたものですが、なんだかとっても不思議なものがあふれている感じがしました。

「何か変な感じ…。」
何故かよくわかりませんが、日本と言う国にナナメに立っている気分がしました。

…そして、逆カルチャーショックよりもっとショックな出来事がこの後、訪れようとしていました。

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 いらないおみやげ?
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★★★★

アフリカ3週間の旅を無事に終え、重太は日本でのんびりする生活に戻りました。

帰国して最初の土曜日。
炎天下の中、前の会社の人たちと久々にビーチバレーを楽しみました。

「…………………?」
その夜、結構疲れているはずなのに、何故か全然寝つけませんでした…。
なんだか、フシギな感覚です…。

翌日の日曜日。
高校時代の友達の結婚式で昼からお酒を飲みまくりました。

…その夜、重太は急にだるくなり、発熱したのでした。

「……38度?!」
普段、熱などまったく出さない重太にとって、38度は大熱です!
これは、もしかして『いらないおみやげ』マラリアなのでしょうか?!

「マラリアは40度以上の熱が出て、ブルブルふるえが来るんだよ。」
「あなたのはマラリアじゃないでしょ。」
海外生活の長い両親の診断はただの風邪でした。

「…でも、おれ、ただの疲れで38度の熱を出すタイプじゃ無いぞ……。」
イヤぁ〜な予感が頭を離れません…。

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 病院へ
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★★★★

帰国時に成田空港でもらった紙に書かれた検疫所に電話をし、最寄りにある感染症科の場所を聞きました。

翌日=月曜日。
やはり体調はだるく、熱は引きませんでした。
朝一番で、その病院へむかいます。

待ち合い室には下を向いた覇気のない人たちでいっぱいです…。
病院なので当たり前なのですが、ここは中でも感染症科…。

「…ここにいるだけで別のヤバイ病気がうつったりしないのか…。」
まわりのどんよりした雰囲気から不謹慎なことを思ってしまいます。
もしかしたら、自分もマラリアかも知れないのに…。

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 マラリアではない
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★★★★

「先週までアフリカに行っていまして……。熱は38度もありまして…。」
やっとまわってきた診察順番。
女性の先生に病状をあれこれ説明します。
先生からも色々質問を受け、それに重太はテキパキと答えます。

「うーーん、あなたのはマラリアじゃありませんねェ…。」
「…え?」
「普通ね、マラリアの患者さんって、『…フウゥーー、…フウゥーーー…』ってつらそうにふかーく息をするのよ。 あなたみたいにハキハキ答える人はマラリアじゃないわね。」
「…いや、でも…。」
「熱も38度でしょ? マラリアの人は40度以上熱が出て、服をいくら重ね着しても『寒い寒い』って言うのよ…。」

なるほど、言われてみると重太の現状だと、マラリアではなさそうです。
しかし、普段、発熱などしない重太としては、どうしても納得がいきません。

「…いや、でも…、週末にビーチバレーをしまして…。」
「その疲れで熱が出たんじゃない?」
先生と看護婦さんがケラケラ笑いはじめました。

「…昨日は友人の結婚式でビールや酒を結構飲みまして…。」
「ビーチバレーの疲れと、飲みの疲れが重なったんじゃないのかしら?」
何を言っても、目の前に『元気な』重太がいる限り、説得力がない様です…。

「お願いですから、採血して下さい!」
マラリアかどうか診断する決め手は採血による検査です。
血を顕微鏡で見て、マラリアの原虫がいるかどうかで、すぐマラリアかどうかわかるのです。
出発前、黄熱病などの各種予防接種をした時、検疫所の方からもらったマラリア関連の資料にそう書かれていました。

マラリアがいないならいないでそれにこした事はありません!
だから、とりあえず、何より、採血をしてもらう事を重太は切望しました。

「…分ったわ…。…一応採血してみましょう…。」
重太の頼み込みにしぶしぶ折れた形で、やっと採血をしてもらえる事になりました。

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 やっぱり!!!
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★★★★

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採血から数時間後、重太は再び診察室に入りました。

「…いたわよ、マラリア!」
先生は驚きながら、採血の結果を教えてくれました。

「でしょ! でしょ! でしょ!!!」
勝ち誇ったかの様に重太は喜びます!
お医者さんよりしっかりと病状を把握していた事になんだか優越感を覚えたのでした。

「…って、…えええぇぇぇ!!!!」
自分の体調を把握し、病名を当てたところまで素晴らしいのですが、 冷静になってよく考えてみると、とんでもない事態が自分の身に降り注いでいることに気付かされました。
無事にケニア・マダガスカルから帰って来たつもりが、実は全然無事ではなかったのです。

マラリアには、
 1)熱帯熱
 2)3日熱
 3)4日熱
 4)たまご型
と4種類ある様です。
マラリア検査紙に現れた赤いラインの位置から病名がはっきりしました。

「あなたのは熱帯熱マラリアね。」

なんと、重太のマラリアは放っておいたら命の危険のある熱帯熱マラリアだったのです!
発病から4、5日以内に治療を始めないと死んでしまうというマラリアではありませんか!

「……まじかよ……。」
…なんだか事態はどんどん笑えない方向に向かっている様な気がしました…。


体がちょっとだるく、熱は38度。
こんな病状で近所の普通の病院に行ったら、ただの風邪を診断され、普通の風邪薬をもらって診察は終わりでしょう。
しかし、そのまま放っておいたら人生まで終わってしまいます。
アフリカ帰りの方で体に異常を感じたは是非、専門の知識のある病院、お医者さんへ行く事を強くお勧めします。

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 マラリアの予防
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★★★★

マラリアには予防薬があります。
「じゃ、なんで事前に飲まなかったの?」
マラリアにかかった後、友人知人から散々そう言われました。

理由はいくつかあります。

 ■1■ アフリカ滞在中、滞在前後、ずっと薬を飲み続けなくてはならない。
 ■2■ 副作用もある。
 ■3■ 飲んでも利き目は50%ということ。

こんな話を聞いたら、わざわざ飲む気になれません。

「マラリアになってから治療薬を飲んだ方がいいよ。」
というアドバイスを受けていたので、あえて予防薬は飲まなかったのです。

薬を飲むよりは、マラリアの感染元である『ハマダラ蚊』にさされない様、予防する事に力を注いだ方が良い、とのことです。

=== 予防法 ===
『ハマダラ蚊』の活動時間は夕方〜明け方までと言われています。
その間は、
 ●暑くても蚊に刺されない様、長そでのシャツを着、長いズボン、靴下を履く。
 ●虫よけスプレーを露出した肌にむらなくかける。
 ●寝る時は蚊取り線香をいっぱい焚く。
 ●穴のあいていない蚊帳の中で寝る。

これらをアフリカに居る間は毎晩しっかり心掛け、実行しました。

… し か し !!

1度だけ、その予防を出来ない時がありました。
マダガスカル、世界遺産を見にムロンダバから北上を続け、
マナンボロ川で渡し船を待っている時です。
移動に時間がかかり日がくれてしまい、蚊がいっぱいいると思われる川岸にTシャツ、短パンで数十分間待たされる羽目になってしまったのです。

「…やっぱり、あの時がハマダラ蚊に刺されたのかなぁ…。」
いつの間にかかかってしまったこの伝染病の原因を重太はボンヤリ考えていました。

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 マラリアの治療
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★★★★

マラリアになってしまったら、治療するしかありません。
さいわい、医学が発達した2000年、マラリアの治療は錠剤を飲めば完了です。

「6錠飲めばいいのかしら…? 4錠かしら…?」
先生は学術書を読みながら、患者の目の前で悩み始めました…。
…と言うのも、体重によって飲む治療薬の数が違うらしいのです。

70kg未満は4錠、70kg以上は6錠とのことです。

その時、重太はアフリカ帰りで69kgでした。
でも普段は71〜72kgあります。

「ま、ちょっと多めに飲んでおきましょうか。」
「(…おいおい、そんな判断でいいのか…?)」
根拠に乏しいあいまいな判断になんだか不安が残ります。
何より患者の目の前で学術書を開いて悩むのは、やめてもらいたいところです。

「…あのぉ…、入院しなくちゃいけませんか?」
「普通は1日くらい様子見で入院してもらうけど、あなたは元気だから外来でいいわよ。」
普通に風邪をひいた患者よりも元気な若者は、あっさり家に帰らされました…。

…帰宅後、すぐ治療薬メフロキンを3錠飲みます。
その8時間後に2錠、さらにその8時間後に1錠飲んでマラリアの治療は終わりました。
なんて簡単な治療なんでしょう…。

「(…本当にこんなんで治るのか…?)」
死にいたると言われている伝染病のあっけない治療に、なんだか不安が残ります…。

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 そして、治療後
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★★

マラリア治療薬を飲み、その後は指示通りじっと寝ていました。

やや熱っぽいものの、あいかわらず意識はしっかりしており、悪寒も感じません。
ちょっと体が重く感じられる程度です。
病人の自覚はほとんどありませんでした。

「水とかスポーツドリンクをいっぱい飲んで、オシッコをたくさん出して下さい。」
そうしてマラリアをどんどん体の外へ出す様です。

病院では、風呂や食事についての指示は一切ありませんでした。

治療薬の影響で平衡感覚がなくなるらしく、車の運転はとめられました
他、激しい運動お酒も当分お預けとのことです。
車を使った商売をしているわけでもなければ、スポーツ選手でも、アルコール依存症でもないので、これらはたいした問題ではありません。

「…あ! そう言えばぁ…!!」
突然、マラリアになる前に借りた『大人なビデオ』の返却期限が今日までである事を思い出しました。

…誰かに返しに行ってもらうのも抵抗があります…。
…かと言って、このまま返さないわけにもいきません…。

「…よいしょっと…。」
仕方なく、重太は一人で歩いてビデオを返しにレンタル屋まで行き、帰って来ました。
彼が日本一、いや、世界一元気なマラリア患者であることは間違いなさそうです…。

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 マラリアがうつる?!
[ 横浜 ] 2000年7月3日 ★

日本にはマラリアの媒介であるハマダラ蚊がいないので、伝染することはない様です。
重太がマラリアになっても、まわりの人に感染する恐れは『全く』ありませんでした。

「うわ、さわるなよ! マラリアがうつる!」
もし、重太は小学校に通っていたら、まわりの友達にこうやってイジメられたに違いありません。

繰り返しますが、マラリアは空気感染や手で接触することで感染することはありません!!
重太がマラリアの時でも、他の人に移ることはありえなかったのです!

「学術上の病名でもう絶滅したかと思ってたよ。」
メールでマラリアになったことを友達に告げると、こんな返事が返ってきたりもしました。

ここは一発、友人、知人のみなさんにマラリアの正しい知識を伝えておかねばなりません!


マラリアは人から人にうつりません!
そして、マラリアは実際に現在ある伝染病です。

オレは、とりあえず元気に生きてます。
しばらくて完全復活したら、飯でも食いに行きましょう!

『マラリア・キャリー』より

『頭がやられてるよ…、完全に…。』
ジョークで書いた最後の1単語によって、友達からは体ではなく、頭の心配をされるハメになりました…。

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 体温の変化
[ 横浜 ] 2000年7月4日 ★★★

水を飲み、一人で歩いてトイレに行き、用を足し、寝て、また水を飲み…。
病院で言われた通りおとなしく寝て回復を待ちました。

「39度?」
頭痛も悪寒もなく、気分も落ち着いているのに、何故か熱は上がって行きました。

「また、39度? この体温計、壊れてないか?」
調子はいいのに、測定する度『39度』を連発されると、そう思ってしまいます。

7月5日。
 6:00 39.0度
 8:00 38.3度
 9:30 37.4度
 0:00 37.8度
 3:30 38.4度
 7:20 37.1度
 8:40 38.4度
10:05 37.8度
12:55 38.5度

「お! 熱が引いて来たぞ!」
「まじ? また上がって来たよ…。」
検温の度、体温がどうなっているのかが楽しみに感じられて来ました。
何だか、検温が趣味になってしまいそうです。

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 マラリア、その後<1>
[ 横浜 ] 2000年7月6日 ★★★

「37.1度…。」
言われた通りおとなしく寝ていたら数日後には熱はひき、それなりの回復をみせてしまいました。

再び病院へ行き、その後の経過をみます。
尿は問題無し。
薬による副作用で血小板が壊れるはずなのに、異常がない様です。
なんとも頑丈な体に生まれたものです。
両親に感謝しなくてはなりません。

「マラリアももう殆どいないみたいね。」
「…いやぁ、よかった、よかった!」
言われた通りおとなしくしていてもし悪くなっても、じっくり直そうと考えていました。
しかし、良くなっていればもちろんそれにこした事はありません!!

「…普通に生きているって、うれしいね。」
大袈裟の様ですが、生きてることをマジマジと実感しました。
これからもずっと生き延びられることをうれしく思いました。

マラリアを早期発見、早期治療をしたおかげで、死の恐怖こそありませんでした。
しかし、生をこれほどまでに実感できるとも思いませんでした。

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 マラリア、その後<2>
[ 横浜 ] 2000年7月 ★★

治療後の経過確認のため、1週間おきの通院が続きます。

7月10日。
肝臓の酵素の数値が上がってる様です。
しかし、これは薬の副作用で仕方の無いとのことでした。
マラリアはもういない様です。

7月17日。
肝臓の数値はおさまって来ました。
しかし、今度は白血球が多いとのことです。
マラリアはもう完全にいない様でした。

マラリアは完治したといっても良さそうです。
聞く所によると、ものによってはマラリアがまだ体に残って、半年おきに発熱することもある様です。
しかし、発症後4年以上たった<<2004年12月>>現在まで、そんなことはありません。
…でも、献血は自粛した方が良さそうなので、していません…。

こうして一連のマラリア騒動はとりあえず終わったのでした。

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帰国後までトラブルがたえなかったアフリカの旅。
一段落する間もなく、次の『じろおむんど』が控えています。
そう、それは10年前のビックイベントの続きです。

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  アフリカからの帰国、そして… 目次 

通じぬ思い ………言葉が通じずに生まれる誤解

最後の両替え ………持ち出し禁止のマラガシーフラン

さらば、マダガスカル ………意外にあっさり出国

最後まで待たされる旅 ………いわくのヨハネスブルグで最後のトラブル

機内にて ………感激の離陸

最後のフライト ………なんとか日本へ向け、飛び立つ

成田にて ………万が一のため、渡された検疫所の電話番号

久々の逆カルチャーショック ………帰国後、待っていたモノ

いらないおみやげ? ………最悪の事態に?

マラリアではない ………マラリアの症状は出ていない様子

やっぱり!!! ………予想通り、最悪の事態に

マラリアの予防 ………マラリアの予防薬、予防方法について

マラリアの治療 ………マラリアの治療について

そして、治療後 ………病院の指示通りゆっくり寝る

マラリアがうつる?! ………近付くとうつるものなの?

体温の変化 ………体温の上昇下降が続く

マラリア、その後<1> ………『生』を実感

マラリア、その後<2> ………その後の経過

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