高校生活以外にも彼は数々のアメリカを体験します。
それらは一体彼の目にはどう写ったのでしょう。
彼の日常生活の様子も見てみることにしましょう。
[ 1、留学開始編 ] [ 2、英語苦戦編 ] [ 3、前期体験入学 ] [ 4、高校生活編1 ] [ 5、日常生活編1 ] [ 6、後期体験入学 ] [ 7、高校生活編2 ] [ 8、日常生活編2 ] [ 9、卒業編 ]
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アメリカでの日常生活 1989年9月 ★
重太はアメリカでごく普通のアメリカ人一家にお世話になっていました。
寝る所、食べるものに困ることはありませんでした。
初めのうちは。
彼がお世話になった家は、広い敷地にぽつぽつと一軒家が建っている住宅地に家はありました。
家の前には車が6台はゆうにとめられるドライブウェーがあります。
友達が車で遊びに来ても、駐車スペースで困ることはありません。
家は2階建ての一軒家でした。
広大なアメリカだから、もんのすごく大きい家、というわけではありませんでした。
家の中は、ソファー、机、いす、キッチン、ベッド、テレビなどがありました。
日本でも構成内容に大差はありません。
「シゲィタ、また靴をぬいでる!」
家の中で長時間靴を履いているのだけは、どうも落ち着かないものがありました。
裏庭にはホットタブという日本で言う湯舟がありました。
「…。 ふぅぅぅうぅ…。」
冬、雪がちらつくのを眺めながらつかる湯舟はなかなか風情がありました。
車は2台あり、ホストマザー、ホストファザーがそれぞれ使っていました。
車がなければ、買い物、子供達の習い事の送り迎え、通勤など、生活に支障を来します。
「シゲィタ、買い物手伝って。」
ある日、ホストマザーにつき合い、買い物に出かけました。
「…。 これ、全部買うの?」
肉、マメ、米、缶詰め、シリアル、牛乳、コーラといった食料品の他、石鹸、ペーパータオルなど生活必需品を一気に買い込みます。
その総量、大きな紙袋20袋にもなりました!
「スケールがちがう…。」
これにはかなり驚かされました。
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腕の見せどころ 1989年9月 ★
「今日は、僕がカレーを作ります!」
何か一品くらい、日本の家庭料理をホストファミリーにごちそうしようと、日本でカレーを作れるように修行して来ました。
ほとんど料理をしない彼も、まがりなりにもカレーらしきものは作れるようになったのです。
普段お世話になっているホストにここで少しでも恩返しをしておきたい所、腕の見せどころです。
「私、辛いのダメなの…。」
ホストマザーの一言で、彼の唯一作れる自信の料理は永遠に闇に葬り去られました。
アメリカの広い敷地でゴルフをやることもあろうかと、日本でレッスンプロに基本を習って来ました。
サッカーやバレーボールは部活動でよくやりましたが、ゴルフというスポーツは留学のために始めたようなものです。
数カ月、近くの練習場に通うことで、なんとかボールが前に飛ぶようにはなりました。
「ゴルフ、やらないんだよね。」
ホストファザーの一言で、彼の日本でのレッスンの日々は水泡に帰しました。
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はい、おしまい! 1989年10月13日 ★
人間、生きていれば髪の毛は伸びてしまうものです。
留学前に短く散髪していった彼の髪も2ヶ月もすればボサボサです。
「バービー人形の髪みたい!」
太くて多い彼の髪をアメリカ人はそう表現しました。
そんなこと言われると、自分の髪の毛がとても邪魔臭くなってきました。
さっぱりしようと、町の美容室へ行きました。
パートタイムで働いているようなおばさんが、通販で買ったようなバリカンでザザーっと髪を切ってくれます。
「はい、おしまい!」
はやい! はやすぎます!
所要時間、15分程。
なんとなく、ちょっと切った、というぐらいなものです。
その後、ちょこっと頭を洗って、おしまいです。
なんという雑さ加減でしょう!
髪の切りカスが耳の中に散乱したまま、10ドル払って彼は帰って来ました。
なんだか騙された感じです。
また、あっという間にまたバービーヘアーに戻ってしまいそうな気がします…。
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13日の金曜日 1989年10月13日 ★★★
別に重太は日頃の行いがそれほどいい訳ではありません。
しかし、ここまで運が悪いと落ち込むのを通り越して笑うしかありません。
13日の金曜日。
それは彼の不幸を笑うための日なのかもしれません。
「あああぁぁぁー!!」
その日、留学して、初めて寝坊をしました。
アラームをセットし忘れただけなのですが、かなりショックです。
急いでスタンバッて、家を出ます。
「ゲイタァ、気をつけな。13日の金曜日に黒いネコが横切ったら3ヶ月は不運続きだよ。」
スコットの気の利いた見送りに感謝しつつ、自転車を急いでこぎ始めました。
自転車通学の最中、電線の上からカラスが彼をずっと見下ろしています。
「うわあああぁぁぁー!!」
不気味に思っていた次の瞬間、自転車のブレーキワイヤーが切れました。
「すいません……」
宿題を家に忘れ大目玉です。
「あああぁぁぁー!!」
サイフを家に忘れてきてしまいました。
昼飯が食えないところでしたが、リサに2ドル借りてその場をしのぎます。
「うそぉ!!」
ポップクイズ(抜き打ちテスト)がありました。
留学2ヶ月弱でこれは厳しいものがあります。
「……………」
お気に入りのウォークマンも落として調子が悪くなってしまいました。
「えっ?」
放課後、床屋へ行ったらその雑さ加減に涙が出そうでした。(上の項目参照)
「…こんな不幸のフルコースを下さらなくてもいいのに………。」
さすが13日の金曜日、という感じです。
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食べ物事情 ![]()
1989年 ★
重太のアメリカでの食事事情はこんな感じでした。◆朝◆
「シリアル」や「オートミール」を食べるのが普通でした。
「ライスクリスピー」や「チェリオス」という商品がありましたが、彼のお気に入りは誰が何というが、「キャプテン クランチ」のピーナッツバター味です。
これは牛乳と混ぜて食べると最高です!!
「オートミール」は小麦と味のついた粉末があらかじめパックされたものに牛乳をかけ、電子レンジであたためて食べるものです。
はじめのうちはぐちゃぐちゃした感じが気持ち悪く、あまり食べませんでしたが、イチゴなどの味付きのモノを食べるうちに好んで食べるようになりました。◆昼◆
学校ではサンドウィッチにピザかハンバーガーを食べるのがお決まりでした。
「何、この組み合わせは?」
ピーナッツバターとイチゴジャムの組み合わせに最初は戸惑いましたが、慣れてしまえばおいしいものです。
セロリのくぼみにピーナッツバターをぬることもよくありました。
家にいる時は、「トップラーメン」(インスタントラーメン)やごはんを炊いて食べたりしました。
ホストファミリーが以前、日本に住んでいたので、電子炊飯ジャーがあったので、白米に飢えることはありませんでした。◆おやつ時◆
ホストブラザーたちに混ざって、あまーいお菓子をよく口にしました。
薄く、固まったジャムのようなお菓子をセロファンで巻いたものは、カタ抜きようの線が入っていて、切り抜く楽しみもありました。
「リクリッシュ」というキャンディーは、赤い方はまだ我慢して食べれないこともないのですが、黒い方はまずくて食べれたものではありません。
電子レンジで温めてできる紙袋に入った「ポップコーン」もよく食べたものです。◆夜◆
「キャンプベルスープ」、「ホットビーンズ」(辛いマメ料理)、ごはん、ハンバーグ、肉料理などを口にしました。
日本人にもなじみのある味ばかりだったので、食があわない、ということはありませんでした。「ゴールデンカロル」というファミリーレストランに行って、サラダバーをたらふく食べに行く、ということも良くありました。
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ビクトリア旅行 ![]()
1989年10月 ★
彼は週末を利用してカナダのビクトリアへ旅行しました。
「じゃ、行こうか。」
「よろしくお願いします!」
ホストファミリーの日本人の知り合いのミネさんがアメリカに遊びに来ていました。
その人と二人で安近短の車の旅が始まりです。
まずは、進路を北にとり、カナダのバンクーバーを目指します。
『国境を越える=飛行機に乗る』という感覚が日本人にはしみついてしまっています。
そんな島国の民、日本人にとって、車で国境を越えるというのは、なんとも「奇妙」な感じでした。
「え? もうカナダ?!」
高速の料金所みたいな税関を通り、あっけなくカナダヘ入国です。
そのまま北へ進みます。
「制限速度、80kmだってさ!」
高速道路のスピード制限の標識が「マイル」から「キロメートル」表示になりました。
日本人にはこの方が、思いっきり分かりやすいです。
重太はその昔、アルゼンチンから帰国する際、ほんの数時間だけバンクーバーに滞在したことのあります。
「こんな感じだったっけ?」
ドーム球場とまわりの景色は何となく憶えていますが、他はなんだか記憶と違う場所の様に感じられました。
そのバンクーバーに車を置き、予約していたツアーバスに乗りました。
そのバスがさらにフェリーにのり、バンクーバーの西にあるビクトリアという都市を目ざします。
ビクトリアは「ブリティッシュ コロンビア」という州にあるだけあって、イギリスっぽくてきれいな町です。
Empress(エンプレス)と正面に書かれたホテルは趣があり、ここのアフターヌーンティーは有名らしいです。
お茶するだけで数千円もとられるそうです。
「日本語でどうぞ。」
ダウンタウンを歩いていると、店先にそう書かれた看板をたくさん見かけました。
「ケッ!!」
留学して2ヶ月。
ちょっとずつアメリカかぶれしはじめてきた重太は、そんな日本人観光客を意識した看板が妙に滑稽に見えました。
まだ、ろくに英語も話せないくせに、海外通ぶった態度だけは一人前以上です。
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ビクトリア観光 ![]()
1989年10月 ★
Empressの向いにはマリーナがあり、たくさんのクルーザーやヨットが停泊しています。
その隣には、州会議事堂があります。
夜、建物に取り付けられた数千の電球がライトアップされ、ビクトリアの夜をあざやかに演出します。
ビクトリアに行ったらこれを見ずになにを見のがすわけにはいきません!
マリーナのその隣には、ワックスミュージアムがあります。
「車のワックスの歴史でも知ることができるのか?」
あまり期待できませんが、とりあえず入ってみることにしました。
「…………。」
薄暗い館内を歩いていくと、何やらあちこちに人の気配を感じます。
アインシュタインがいます!
ディズニーもいます!
ブッシュ大統領、ブッダ、マリリンモンローやジョンウェイン、ヒトラーにナポレオン、そして明治天皇までいらっしゃいます!
そう、そこはいわゆる「ロウ人形館」だったのです。
有名人、政界、宗教などテーマに別れて著名な人間がロウ人形としてそこにいらっしゃるのでした。
似てたり、そうでなかったりする人形たちを見るのは意外に楽しく、ちょっと得した気分です。
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ビクトリアから帰宅 ![]()
1989年10月 ★★
楽しかったビクトリア旅行もあっという間に終わります。
日曜日の夜、フェリーでバンクーバーに戻り、そこから車でオークハーバーを目指します。
「『レイズナー』って知ってる?」
「見てましたよ!!」
「オープニングの歌がかっこいいんだよね!」
帰りの車中、日本のロボットアニメの話でミネさんと重太は盛り上がりまくりました。
「あれ?」
いつの間にか、車は見なれない景色の中を走っていました。
何故か、山がどんどん近付いてきます。
目指す方向は南。
南に山はありません。
「…これって、東に向かって走ってません??」
アニメ話で盛り上がっているうちに、道に迷ってしまったようです。
時間はすでに深夜過ぎです。
「とりあえず、シアトル方面を目指せば、わける場所に出るだろう!」
地図を持っていないので、勘をたよりに南を目指して走り続けます。
なんとか家にたどり着いたのは、深夜2時をとっくに過ぎた頃でした。
「明日の、テストの、勉強を し な く ちゃ ………。」
疲れて、眠くて、それどころではありませんでした。
次の日、ワールドプレブレムのテストをぶっつけ本番で受けました。
結果は………。
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冬時間? 夏時間? 1989年10月29日 ★
10月29日は1日25時間ありました。
冬が近付き、日の出が遅くなり始めたので、それにあわせ時間を1時間遅らせるのです。
なんとも不思議なこの「時間調整」は、毎年4月と10月に2回あります。
日本にも昔あったそうですが、味わったことのない重太はその仕組みがよくわかっていません。
「なんだよ、みんな来ないなぁ…。どうしたんだろう?」
彼は時差調整もせず、一人先に待ち合わせ場所に来ていたのでした。
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責任 ★
「Shigeta! You are late! (シゲタ! 遅いわよ!)」
学校からいつもより遅れて帰るとホストマザーに怒られてしまいました。
ホストマザーにもいろいろ用事があり、彼にベビーシッターを任せて出かけようとしていた様です。
「今度やったらグラウンディッド(学校以外外出禁止令)だからね!」
高校生なのに、3時までに一旦帰宅することが義務付けられてしまいました。
「国際交流委員会があるんだ。 ちょっと顔を出してよ。」
何気なく参加してしまった放課後活動は、彼にその後一週間の外出を禁止させるものとなってしまいました。
「Shigeta! Wake up! (シゲタ、起きて!)」
金曜の夜、遅くまで遊び、次の日、お昼まで寝坊していたら怒られてしまいました。
「みんなもう起きてるのよ!」
ホストマザーは辞書で責任(responsibility)という単語を重太に見せ、家族内でのルールについて話しました。
ペナルティーとして「裏庭の芝刈り」、「ゴミ出し」や「木製家具のワックスがけ」をやるはめになってしまいました。
そして、それはそのまま彼専属の業務となってしまいました。
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ツインピークスヘ ![]()
1989年11月 ★
そこは、あのローラー・パーマーの死体が発見された近くの滝でした。
有名な連続殺人事件の舞台となった「ツインピークス」に彼は事件前に訪れていたのです。
しかし、いくらアメリカの地図をさがしても「ツインピークス」を発見することはできません。
少なくともローラー・パーマー殺人事件のあった「ツインピークス」はワシントン州の地図にはないはずです。
彼が訪れた場所は、連続TVドラマ「ツインピークス」の撮影で使われた場所だったのです。
ホストファミリーの車にゆられ、どこをどう行ったか全く分かりませんが、シアトル郊外にあのロケ地はあるようです。
木々が生茂る静かな林に突然現れる滝。
イグアスの滝ほどの迫力はありませんでしたが、林の中のアクセントとしてとても神秘的な雰囲気をもった滝でした。
近くにあるホテルも「ツインピークス」でロケに使われたようです。
確かにあの一帯で殺人事件が起きたら謎が謎を呼びそうな雰囲気であるのは間違いありません。
無気味さがただようあのTVドラマのロケ地として、絶好の場所と言えます。
しかし、あの近くが美味しいチェリーパイで有名という話は聞いたことがありません。
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サンクス・ギビングはこりごり 1989年11月 ★★
「サンクス・ギビング」とは「感謝祭」のことです。
キリスト教にゆかりのない重太には、
「学校に行かなくていい素晴らしい日」
という認識しかされていませんでした。
朝、起きてみるとテレビの雰囲気が通常と違います。
「各地のお祭りぶり」をズームイン朝!のように中継しています。
昼を過ぎると、いろいろな人がたくさん家に挨拶に来ます。
ホストファミリーの親戚や友達です。
「あいむ しげた。ふろむ じゃぱん。」(重太です。日本から来ました。)
その都度、彼は自己紹介をするはめになりました。
この日は1日の中で自分の名前を言った回数の最高記録を塗り替えました。
「ふむ、ふむ。」
感謝祭には七面鳥がつきものです。
初めて食べた七面鳥は、なかなか味わいがあって美味しいものでした。
ガキんちょが荒らす家の中を彼は仕方なしに片付けます。
「シゲィタ、これも洗っておいて。」
食器の後片付けも彼の仕事となってしまいました。
「学校に行かず、ゆっくり休めるはず」
感謝祭は彼にとっては「ノー・サンクス・ギビング」(こんなのいらない)という感じになってしまいました。
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ひとりの夜 ★★
◆宿題◆
アメリカの高校では毎日、いずれかの科目で宿題が出されました。
英語もろくに分からない重太には、辞書を片手に悪戦苦闘の日々が続きました。
夕食の前後は、きまって重太の宿題タイムです。
それが一段落する頃には、時計は11:00をまわっています。
寝ないと次の日に差し支えるので、簡単に日記に書いて寝る、というのが彼の平日のパターンでした。
◆手紙◆
宿題が少ない夜、週末の夜などには日本に手紙を書きました。
1989年当時は電子メールやインターネットなどは殆ど普及しておらず、日本との交信はもっぱら手紙でした。
アメリカでの生活に脇目もふらずどっぷりつかれて、その方がかえって良かったかも知れません。
とは言っても、日本の友達に忘れ去られてしまうのも悲しいものです。
彼は手紙を頻繁に出し、自分の存在はきちんとアピールしておきました。
日本のみなさん、お元気ですか。
僕は元気にやっています。
ドラゴンボールの続きがどうなったか教えて下さい。
何だかんだ言っても日本の事が気になってしまう様です。
郵便受けを暇があれば見に行くほど、手紙が来るのを楽しみにしていました。
しかし、受験で忙しいのか、忘れられてしまったのだが、なかなか日本から返事は来ませんでした。
◆ほか◆
オークハーバーでは冬になると、5時頃にはあたりは真っ暗になってしまいます。
緯度が高いため仕方ありません。
自転車で気軽に外出することができなくなってしまうのです。
ひとりで過ごす夜、暇な時はレーザーディスクで映画を見たり、落書きをしたりして時間をつぶしました。
友達と夜、頻繁に遊びに行くのは、日が少しずつ長くなる春頃になりそうです。
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新聞の一面を飾る男 1989年12月 ★★
日本ではなかなか起こらないことが、アメリカでは起こってしまうものです。
彼はアメリカの新聞に掲載されてしまったのです。
それもまるまる1面を独占して。
「留学生のクリスマス」という題で彼と彼のホストファミリーが過ごすクリスマスの様子が掲載されました。
みんなで行った飾り付けの様子や日本の文化、折り紙を教えてる様子などが写真として載りました。
ここでもまたお得意の折り紙が大活躍です。
幼稚園で習ったあのお遊びが、国際交流のネタとしてこんなに有効とは誰が思ったでしょうか?
「もっとしっかり、色々学んでおけばよかった!!」
悔やまれて仕方ありません。新聞は読まれてこそ意味があります。
しかし、この話題を彼にしてくる人は全くいませんでした。
と言うのも、彼が載った新聞は「海軍新聞」で、市販されている一般紙ではなかったのです。
掲載される嬉しさと、誰にも読まれてないワビシサを両方味わうことのできたイベントでした。
(ところが、その後、海軍の兵士に囲まれることに…。)
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アメリカのクリスマス 1989年12月 ★★
世界中の子供が待ちに待つビッグイベント、クリスマス。
アメリカでは家族で過ごす、大切なイベントです。
みんなでクリスマスツリーに飾り付けをして、暖炉の横には赤い靴下をぶらさげます。
無邪気なホストブラザーたちは大ハシャギです。
家には電飾をつけ、クリスマス気分を盛り上げます。
「サンタに自転車をたのんだよ!」
「私はお人形!」
ホストブラザーたちは皆、小学生だったので、高校生の重太は一歩引いた位置から眺めるクリスマスです。
クリスマスの朝、子供達は早起きしてツリーの下にあるプレゼントの箱を楽しそうに開けています。
その開け方のすごいこと、すごいこと。
紙包みをびりびり破き、次から次ヘと自分ヘのプレゼントを開けていくのです。
クリスマスの数日前、ホストファザーが勤める海軍のクリスマスパーティーがありました。
小さい子供たちがクリスマスに欲しいものをそこで出張サンタにおねだりするのです。「はい、これはゲイタァに。」
重太に歩み寄って来たサンタさんが封筒をくれました。
「どんな紙切れが入っていることやら…。」
たいして期待もせず封を開けてみました。
「う、うおぉぉ! こ、これは!!!」
そこにはなんと重太がごヒイキのアメフトのチーム、「シアトルシーホークス」の観戦チケットが入っているではありませんか!
「うわぁ、サンタさん、ありがとう!!」
アメリカに来たからには、是非一度はアメフトの試合を見たいと思っていました。
しかし、アメフトはシーズンを通しての試合数が野球ほど多くなく、チケット入手が困難だったのです。
アメフトの試合を見たいという夢がかなうなんて、なんて素晴らしいことでしょう!
なかなか粋なクリスマスプレゼントをもらうことができました!
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キングドーム 1989年12月 ★★
やってきました、キングドーム!
シアトルで行われるメジャーリーグやアメフトの試合はここが舞台となります。
シアトルマリナーズの野球の試合はすでに2、3回見に来たことがありました。
しかし、アメフトの試合はこれが最初で最後の体験です。
それも、なんとシーホークスが誇る名ワイドレシーバー、「スティーブ・ラージェント」の引退試合を見ることができたのでした!
「スティーブ・ラージェント? 誰、それ?」
と大抵の人は言うでしょう。
「スティーブ・ラージェント」とは、当時、ワイドレシーバーとしてタッチダウンパスの記録を持っていた人です。
多分…。
万年Bクラスのチーム、シアトルシーホークスの中で唯一誇れる名プレーヤー、それがスティーブ・ラージェントだったのです。
なんにせよ、偉大な選手であったことだけは間違いありません。
席はこれ以上後ろに席がないくらい最上階のさらに一番後ろの席でした。
全体を必要以上に見渡せて、素晴らしい席です。
しかし、あまりにもプレーヤーが小さく、誰が誰だがカメラの望遠レンズで見ても分かりません。
スティーブ・ラージェントの引退セレモニーが行われ、いよいよ試合開始です。
相手はにっくきワシントン レッドスキンズ。
どうして憎いのかよくわかりませんが、試合は相手のワンサイドゲームで、大変不愉快なゲームでした。
しかし、大切なのは雰囲気を楽しむこと、試合の勝敗は気にしてはいけません!
勝てば最高でしたが、アメリカに来て、アメフトの試合を見れたことだけでもよしとしましょう!
そう自分に言い聞かせ、キングドームを後にしました。
「…試合に勝ってればなぁ…。」
ゴッゴー−ーーー…………
このキングドームは、2000年3月26日にいきなり取り壊されてしまいました。
日本のテレビニュースで見た重太は驚きを隠せませんでした。
彼の思い出の地が一つ、消えてしまったのです。
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アメリカの年越し、そしてお正月 1989年12月31日 ★★
1989年12月31日、大晦日。
のんびりTVを見て新年を待ちます。
もちろんアメリカでは紅白歌合戦などやっていません。
年越しそばも食べませんでした。「おめでとう!!」
5、 4、 3、 2、 1、 0!!! ア・ハッピー・ニューイヤー!!
ホストブラザーたちが家の中でラッパを吹いて新年を祝います。
一緒に1990年を10分ほど祝って、重太はすぐ寝ました。
「初日の出を見に行こう」、などと言うアメリカ人はいませんでした。
1990年1月1日、元日。
朝起きて電子レンジで温めたインスタントフードを食べながら、TVで大学のアメフトを観戦します。
「これがアメリカの伝統的な正月なのさ!」
…なんとも歴史的で重みのある伝統です。
初もうでも、お年玉も、おせち料理もなんにもないまま元日は無事に終わりました。
1990年1月2日。
今日から早速登校です。
「うそぉ………。」
風情も何もあったもんではありません。
おせちやおもちがないのはしょうがないにしても、2日から学校があるというのは日本人には少し酷な正月でした。
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いよいよアメリカ留学も後半戦です。
前期とはちがった授業を選択することになった彼は一体どんなことを学んでいくのでしょう?
英語は少しは話せるようになったのでしょうか?
後期体験入学へ
日常生活編1 目次
・アメリカでの日常生活 ………日本の生活との相違点・腕の見せどころ ………日本の修行の成果を発揮
・はい、おしまい! ………すぐに終わる散髪
・13日の金曜日 ………不幸が一気に降り注ぐ日
・食べ物事情 ………アメリカでの食生活
・ビクトリア旅行 ………車で国境を越え、カナダへ
・ビクトリア観光 ………ワックスミュージアムへ
・ビクトリアから帰宅 ………バンクーバーから南を目指す一行に起きたハプニング
・冬時間? 夏時間? ………日照時間によってずれる時間帯
・責任 ………家族の一員としての役目
・ツインピークスヘ ………連続殺人事件の現場へ
・サンクス・ギビングはこりごり ………ゆっくり休めるはずの休日が…
・ひとりの夜 ………オークハーバーの冬は夜が長い
・新聞の一面を飾る男 ………留学生にあたるスポットライト
・アメリカのクリスマス ………重太に意外なプレゼントが
・キングドーム ………念願のアメフトを観戦
・アメリカの年越し、そしてお正月 ………日本とは全く違う年末年始
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