何ヶ月そこで生活していようと、異国の地では知らないこと、わからないことだらけです。
未知の体験は次から次へとやって来ます。
留学後半の日常生活でどんなことが彼に待ち受けていたのでしょうか。
[ 1、留学開始編 ] [ 2、英語苦戦編 ] [ 3、前期体験入学 ] [ 4、高校生活編1 ] [ 5、日常生活編1 ] [ 6、後期体験入学 ] [ 7、高校生活編2 ] [ 8、日常生活編2 ] [ 9、卒業編 ]
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冴えない後半の始まり ![]()
1990年2月10日 ★
重太が所属する留学斡旋機関主催の「アイスクリーム・パーティー」が開催されることになりました。
久しぶりに近くの日本人留学生たちと会えます。
それぞれの半年間の留学の途中報告で盛り上がることでしょう。
何より日本語を久々話せることがとても楽しみです。
うまく日本語が話せるか、緊張してしまいます。
ホストマザーが重太をウィッドビー島を出た所まで送り、ハイウェイ沿いの大きなマクドナルドで別のホストと合流してパーティー会場にいく手はずになっていました。
道中、左折待ちの車がいたため、ちょっとした渋滞になっていました。
(アメリカは右側通行なので。)
「オー−ーノーーーー!!」
ホストマザーが突然ルームミラーを見て叫び出しました。
ブオォン!!
と、同時に、重太の乗った車の「左側」からトラックが凄いスピードで渋滞の車を次々と抜かしていきます。
グワァッシャーン!!
ハンドルを右に切り、勢いあまってそのまま横転しました!
右に緩やかにカーブを描いていたその道が渋滞しているとは思わず、いいスピードで突っ込んで来てしまった様です。
車は天井を地面につけたところで静止しました。
フロントガラスはヒビが入っています。
これは大事故です!!
「I... I'm fine...」(お、おれは大丈夫だよ…。)
横転した車の中から運転手が出て来ました。
とりあえず大きな怪我が無さそうなので、何よりです。
「シゲタ、ごめん。 アイスパーティーに送って行けなくなったよ…。」
「え? なんで?」
目撃者、ということで、ホストマザーはその場に残る必要がある、とのことでした。携帯電話も普及していない当時、他の誰かを呼び出し、待ち合わせ場所まで送ってもらうなどの緊急対応は出来ませんでした。
「………………。」
重太はそこでそのまま何もすることもなく、ただ待ちぼうけです。
「…俺が何したって言うんだよ…。」
アメリカ人的発想でぼやきますが、どうすることもできません。
なんだか、留学生活後半戦は冴えない形で始まってしまいました。
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ウサギの死 ★★
ある夜、家の前でウサギが傷付き倒れていました。
ネコにでもやられたのでしょうか?
「苦しむのは可哀相だから、殺してあげて。」
重傷で直りそうもない傷の具合を見て、ホストマザーは重太に言いました。
「え? 俺が殺すの?」
「そう、シャベルで一気に…。」
これには彼も驚きました。
自分の手でまだ生きてる動物を殺すなんてことは、彼にはできません。
いくらそれまでに蚊を何千匹、何万匹と殺してきた彼でも、可愛い白いウサギを殺すなんて…。
結局、ウサギがひっそり息を引き取るまでみんなで見守ることしかできませんでした。
その後、家の近くにお墓を作り、ウサギを埋めてあげました。
これは、日米の考え方の違いを目のあたりにした出来事でした。
日本人で同じ状況でウサギを殺すことが出来る人はどの位いるのでしょうか?
アメリカ人の場合はどうなのでしょう?
ウサギは一思いに殺された方がよかったのでしょうか?
ウサギの死が彼に与えた問いは今も解けないまま彼の心の中に残っています。
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大雪の一日 1990年2月17日 ★
オークハーバーにも記録的な大雪が降りました。
積雪11cm。
坂がそれなりにあるこの町ではちょっとした災害です。
雪の重さで電話線が切れたり、停電になったりもしました。
備えのろうそくで家中をともします。
電灯に慣れているとろうそくの光にパワー不足を感じてしまいますが、たまにはこういうのもムードがあっていいかもしれません。
ちょうど学校が4連休の初日に雪が降ったので、通学には影響は出ませんでした。
「ひーーーは!!」
日中は家の近くにある坂道で子供たちに混ざってそりで遊びました。
「ゲイタァ、次は僕の番だよ!!」
なかなか面白くてやめられません。
夕方以降は、日本から送られて来たビデオテープを見て過ごしました。
「社会主義国が次々民主化されていきます。」
「え?! 何? まじ??」
重太は英語で聞いてもわからないので、ニュース番組をほとんど見ていませんでした。
ビデオにあった徳光さんのニュース番組で初めて「ベルリンの壁崩壊」「ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊」を知りました。「これを知らなかったのって、俺だけ?」
ニュースの内容もショックでしたが、事件から2、3ヶ月後にやっと知った、という方がかなりショックでした。
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海軍兵士たちに囲まれて… ★★★
「へい、シャパニーズボーイ! 一緒に遊ばないかい?」
知らない若い海軍のお兄さん達に話し掛けられました。
「え?」
「だから、一緒に楽しもう、っていってるんだよ!」
いいガタイのお兄さん達は親し気に、それでいてスゴイ迫力でせまって来ます。
「え、でも…。」
「君も好きなんだろ?」
「…………。 え…。」
「ラケットボール。」
どうやら、年末、重太の記事が載った海軍の新聞を読んだ人達だったようです。
確かに取材の時、「ホストファミリーとラケットボールを楽しんでいます。」とコメントしました。
そんな忘れかけていた新聞の記事がこんなところにつながるなんて思いもしませんでした。
「よし! じゃ、やろう!」
いつの間にかラケットボールの試合が始まってしまいました。
ラケットボールとはスカッシュのいとこのようなスポーツです。
室内に2人(もしくは4人)で入り、ゴルフボールよりひとまわり大きい青いボールを打ち合います。
ボールが床に2バウンドする前にまた前方の壁に向かって打つ意外とハードなスポーツです。
「よし!!」
さすがアメリカ海軍の兵隊さんたちです。
体力もあれば、ラケットボールのテクニックもたいしたものです。
半年かじった程度の彼のレベルでは相手になりませんでした。
「ゲイタァ、なかなかやるな! またやろうぜ!」
「うん、楽しかったよ!」
再戦を約束して別れました。
しかし、その後彼らとプレーすることはありませんでした。
「アメリカにも社交辞令ってあるんだなぁ…。」
この時彼はそう思いました。
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そこの車、とまりなさい! 1990年2月 ★★
「インドアサッカーやりに行こうぜ!」
アンドレが重太を車で誘いに来ました。
「免許、とったの?!」
重太の所属する留学斡旋機関では、アメリカで免許を取得してはいけない規則になっていました。
アンドレにちょっと差をつけられた気分です。
屋内ローラースケート場が今日はインドアサッカー場に早変わりです。
高校の仲間や中学生や大人まで混じってインドアサッカーで楽しみます。
ひさびさの運動で重太はいい汗をかきました。
「よし、そろそろ帰るか。」
アンドレが重太を送っていく最中に事件は起きました。
「Shit!!」(=くそ!)
突然、アンドレが舌打ちして減速しました。
「?? どうした?」
後ろから赤いサイレンが近付いて来ました。
「今、時速何マイル出してた分かってるかい?」
停止させた車の横に警察官がやって来ました。
「彼を送っていかなくちゃいけないんで、急いでたんです。」
「急いでてもスピードを出しすぎちゃいかんなぁ。」
アンドレはスピード違反のチケットを1枚頂きました。
「ぽるか まいやーれ!」
なにやらわけの分からない言葉でぼやいてます。
重太は全然悪くありませんが、家まで送ってくれようとした途中での出来事なので、違反料金の何%か出すべきか悩みます。
でも、アクセルを思いっきり踏んだのはアンドレですから…。
アンドレと重太の車のトラブルはこのあと、3年後にも…。
(→ イタリア93 掲載予定)
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本屋、発見! ★
オークハーバーのダウンタウンに本屋を発見しました。
軒を列ねた場所にひっそり目立たないようにある本屋なので、何度かその前を通ってもそこが本屋と気付かずにいたのです。「…ふーん。」
本棚に本がぎっしりつまっています。
壁の高い位置にはいろいろなポスターが貼ってありました。「あれ?」
よく見ると、『AKIRA』とアルファベットで書かれた文字とともに日本で見慣れた絵柄のポスターがありました。
『北斗の拳』
『うる星やつら』
『パイナップル アーミー』
『アップル シード』
『風の谷のナウシカ』
名だたる日本の漫画が売られていました。
内容はもちろん英訳されていましたが、日本の漫画がアメリカの書店で売られているのを見るのはうれしいものです。ある日、重太は大好きな映画『バック トゥ ザ フューチャー2、3』の小説本があることを知りました。
「注文できる?」
「もちろん!」
少ない小遣いをはたいて、待望の小説を買いました。
「やったぁ!」
英語を駆使して本を注文して、大好きな本を買えました。
そのことに満足して、その後、1ページも読み進めていません。
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日本人が賞賛されるアカデミー賞 1990年3月 ★★★
重太は年に一度開催される映画の祭典、アカデミー賞を見るのを毎年楽しみにしています。
各賞の受賞作を予想するのも楽しいのですが、アメリカらしい派手な演出、司会者の巧みなトーク、 ステージショーとしてのあの雰囲気そのものが彼を惹き付けるようです。
その年のアカデミー賞では、日本が誇る映画監督、「世界の黒沢」がアカデミー名誉賞を受賞しました。
会場は総立ちで黒沢監督をステージに迎えます。
受賞のスピーチは日本語で行われました。
日本語がアメリカの公共の電波を占拠したのです!!
日本人としてはなんとも気分がいいものです。
「おい、なんて言ってンだよ。」
まわりの友達が彼に聞きます。
自分だけそのスピーチの内容がわかる優越感にひたっていたのもつかの間です。
通訳の方がスピーチの内容を見事に訳して下さいました。
「私はまだ映画をよく分かっていないのです。」
受賞の際の黒沢監督の有名な言葉です。
心の底からそう思って本当に言ったのか、謙遜して放った言葉なのかわかりませんが、会場は大ウケです。
「『世界の黒沢』が何を言ってるんだか!」
世界の偉大な映画監督が放った「アメリカンジョーク」としてアメリカ人にはとらえられた様です。
「ハッピーバーすデー トゥーユー、ハッピーバーすデー トゥーユー…。」
黒沢監督の誕生日がちかい、ということで日本から監督を祝う衛星中継が入りました。
その際歌われた「誕生日の歌」で、BIRTHDAY の「TH」の発音がアメリカ人の耳には実に「変」に聞こえた様です。
「日本人は TH の発音ができないのか?」
次の日、彼が日本を代表して学校中で笑われました。
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身分証明書、拝見 ★★★
ある日、彼はホスト グランド ペアレンツ(ホストの祖父母)と一緒に隣町、クーペベルへ行きました。
そこは映画、「ローズ家の戦争」でマイケルダグラスとキャスリーン・ターナーが劇中で出会う場所として使われた町です。
雨の降る中、骨とう市が行われていたテントで二人は出会いますが、そんなことは彼の体験とは全く関係ありません。
「あそこでコーヒーでも飲もうか。」
3人で近くの店に入りました。
小さいながらも雰囲気の良い店です。
年をとったらこんな喫茶店を開いて美味しいケーキを焼いて地元の人と楽しくふれあうのもいいかも知れません。
海が見える窓側の席に座るとすぐ店のマスターらしき人が来ました。
「君、身分証明書を見せて。」
恐い顔で重太にマスターは言いました。
「え?」
事態をよく飲み込めていない彼はとまどいました。
「ここはバーだ。 酒を飲むなら身分証明書を見せろ、と言ってるんだ!」
お酒を飲む気などもうとうなかった3人はすぐそのバーを後にしました。
保護者とも言えるホストが一緒にいるのだから、酒を飲みに来たわけじゃないことぐらい分かりそうなものです。
21才以下の人にお酒を売らない姿勢をまざまざと見せつけられました。
日本だったら、高校生でも飲み会を開いてアルコールをどんどん飲みます。
お酒を買うのにでさえ、身分証明書を見せたことなど一度もありません。
「厳しいなぁ…。」
しっかりした制度を見せつけられたと同時に、融通のきかない店員に嫌な思いをした1日でした。
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フットボールカード 1990年4月 ★
重太はダウンタウンに出る時、毎回楽しみにしていることがありました。
それはNFLカード(アメリカン フットボール)を1パック買うことです。学校でMLBカード(野球)、NBAカード(バスケットボール)、NHLカード(アイスホッケー)など集めている人がいました。
そんな中でもアメリカならではということで、重太はアメフトのカードを何気なく集め始めてしまったのです。
1枚ごとにアメリカンフットボールの選手の写真と昨シーズンまでの成績が書かれたカードが10枚1パックで売られています。
シーズンは1月末で終わってしまいましたが、彼のコレクションはまだまだ終わりません。
たいして選手名もチーム名もわからないくせにせっせと買い集めました。
「アトランタ?」
「ファルコンズ!」
「シンシナティー?」
「ベンガルズ!!」
お陰様で当時の全チーム名とフランチャイズ都市だけは言えるようになりました。「集めてどうするの、それ?」
趣味というのは他人からはなかなか理解されないもののようです。
「集めることが楽しいんじゃないか!」
「1年もすりゃ、ゴミになるだけだろ?」
痛い所をつかれました。
確かに今となっては見返すことすらせず、段ボールの片隅に安置されています。
中に1枚でも破格の値段の付いた「プレミアカード」が眠っていることを祈るのみです。
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イースターとエッグハント 1990年4月 ★
朝、ホストファミリーみんなでおめかしをして教会ヘ行きました。
普段はめったに教会など行かないのに、クリスマスとイースターだけは特別です。神父さんの有り難いお言葉を聞いた後、列に並んで一切れのパンと一口のワインを頂きます。
重太はキリスト教徒でも何でもないのに、こんなことしていいのでしょうか?
罰があたらないように祈るだけです。
その後、イースター伝統のブランチを食べに海軍の将校クラブ(=レストラン)へ行きました。
サラダとビーフをてんこ盛り食べ、お腹いっぱいです。
小さな子供がいる家族はレストランのまわりで「エッグハント」大会をしてました。
「エッグハント」とは、特殊な塗料で絵が描かれたゆで卵、「イースターエッグ」を草むらに隠しておき、子供達がさがし出す伝統行事です。
「あった!」
「ここにも!!」
子供達は卵を見つけておおはしゃぎです。「ここにもあるよ!」
卵を見つけて重太も大喜びです。
高校生でもこんな単純なゲームを楽しめてしまうものです。
「あんたは大きいんだから、ダメだよ!」
近くのおばさんに真剣な顔で怒られ、卵は取り上げられてしまいました。
どうやら、高校生は参加してはいけないようです。
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ひもじい思い ★
毎月日本から送られてくる小遣いは主に高校での昼飯代でなくなってしまいました。
夕飯はホームステイしている家で毎晩作ってくれるはずでした。
しかし、留学生活後半でホストマザーは夕食をつくらず、どこかへ遊びに行ってしまうことが多くなってしまいました。
これには彼も本当にまいりました。
毎晩、夕飯代も小遣いから出すほど、彼の懐は温かくなかったのです。
部活動もしている高校生の彼が毎晩お腹を減らすのになんら不思議なことはありません。
ステイ先にはなぜか、お米が買いだめしてあったので、米を炊いて、生卵をかけて食べることがよくありました。
「トップラーメン」というインスタントラーメンも買いだめしてあったので、それにねぎをきざんでハムをのせ、生卵をかけ食べることもよくありました。
なんだか売れないミュージシャンの切り詰めた食生活の様です。
「グロウス!」(=気持ち悪い!)
ホストシスターは卵を生でたべる彼を不気味がります。
しかし、そんなことを気にしている場合ではありません。
とにかく何かを食べ、空腹をいやさなくてはならない程、夕食に苦労していたのです。
ご飯もラーメンもない日は、夕食にシリアルという日もありました…。
「おれ、なんでこんなモノ、食ってんだろう…。」
これにはさすがに彼も泣けました。
なんともひもじい日々が留学の最後になって続いたのです。
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ファストフード論 ★
どこからかファーストフードの割り引きクーポン券が手に入りました。
「たまには、いいか…。」
泣く泣く小遣いを削り、ウェンディーズやマクドナルドへ向かいました。アメリカのマクドナルドには「てりやきマックバーガー」がありませんでした。
そのかわり「サラダ」や「ダイエットコーク」など日本には見られないものがありました。
全世界、まったく同じメニューではない様です。●バーガーキング(ハンバーガー)
●ジャック イン ザ ボックス(Jack in the Box、ハンバーガー)
●サブウェイ(サブマリン サンドウィッチ)
●タコベル(タコス)
当時、日本になかったこれらの店は、特にお気に入りでした。
店に通い続けているうちに彼なりの哲学が出来て来ます。
「タコタイム(店名)よりタコベルの方がうまい!」
「バーガーキングは肉の焼き方がいい!!」
「ピザにはDr.ペッパーがあう!!」
「ハンバーガー系にはチェリーコークかな。」
「じゃぁ、ルートビアー(ソフトドリンクの一種)には?」
あれこれえらそうに言っていると、突っ込みが入るものです。
「あれは飲みモノじゃないよ! ゴムを溶かしたような味じゃん!」
結局は「哲学」というより「好き嫌い」を大声でほざいているだけのようです。
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リフィルサービス ★
アメリカのセブンイレブンでは、カップに自分でコーラなどの飲み物を入れて、レジに持っていって精算するシステムもあります。
カップの大きさにより値段に差があります。
自分の選んだ大きさのカップに一滴でも多く入れようと、最後はチビチビがんばってできるだけ多く注ごうとするものです。
家族でラケットボールをした後、「タコベル」(タコスのファーストフード店)に寄りました。
タコスは彼がアメリカで気に入った食べ物のひとつです。
メキシコ生まれのこの食べ物は野菜や肉にちょっと辛いソースをつけ、トルティーヤというとうもろこしを焼いた皮につつんで食べるものです。
「う、うまいいいい!!」
今となっては日本でもお馴染みの食べ物ですが、アメリカで初めてこれを食した時、彼は感激しまくりました。
彼は、ソフトシェルのタコスを2つとラージサイズのドクターペッパーを注文しました。
アメリカのラージサイズのカップは両手で持たないと重くて持てないようなバケツサイズです。
運動後ということで、のどがものすごく乾いていたのでこのサイズを選びました。
「ゲイタァ、なんでラージなんか頼んだの?」
ホストブラザーのスコットが彼に聞きました。
「え? だってのどが乾いてたから。」
「リフィルサービスがあるのに!」
「え??」
リフィルサービス、とはお代わり自由のサービスのことです。
飲み終えたカップをレジに持って行けば、何回でもお代わりできるというサービスのことでした。
しかし、カップの大きさによって、値段の差があるのです。
つまり、小さなカップで何度もお代わりした方がお得なのです。
「ドクターペッパーをもう一杯。」
少しでももとをとってやろうと、彼は帰り際にお代わりをしました。
これは、お持ち帰り用です。
「ゲイタァ! これ、捨てていい?」
結局、そのドクターペッパーは冷蔵庫の中で氷が溶け、とても飲めた代物でなくなってしました。
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知らない歌手たち ★
日本の実家から3ヶ月に1度ほど小包が届きました。
その中には彼が大好きだった漫画「ドラゴンボール」の週刊誌からの切り抜きや日本のテレビ番組を録画したVTRが入っていました。
当時、「ドラゴンボール」はナメック星での攻防が繰り広げられている時期でした。
アメリカにいながら続きが気になって仕方のないドラゴンボール史上最高潮の頃だったのです。
なんともありがたい小包でした。
日本のテレビ番組も日本から数カ月離れて暮らす彼には大変興味深いものでした。
当時始まったばかりの「知ってるつもり?」では、他界したばかりの手塚治虫を取り上げていました。
「ぎみあブレイク」という番組で「巨泉の使える英語」みたいなコーナーがありました。
「笑うせぇるすまん」も印象深いコーナーでした。
それら、日本語で内容の理解できる番組は、彼の乾き始めていた知的好奇心を潤してくれるものでした。
毎年楽しみにしていた「アメリカ横断ウルトラクイズ」もVTRの中に入っていました。
クイズを解いて、次の地を目指すあのゲーム&冒険感覚の番組を重太は大好きでした。
「アメリカに行きたいなぁ…。」
日本のテレビ番組を見ていると、自分がアメリカにいることを忘れてしまいます。
1990年当時まだ放送していた「トップテン」という歌謡曲のランキング番組では知らない歌手たちがなかなかいい歌を歌っています。
ドリームズ・カム・トゥルーや、リンドバーグといったミュージシャンは彼はアメリカにいる時に知りました。
日本にいない間にいろいろ世間は変わっていそうです。
アルゼンチン帰国時と同様に、また浦島太郎状態になってしまいそうです。
VTRには、日本のアニメ、「美味しんぼ」も入っていました。
「う、うまそうだなぁ…………。」
当時、しょっちゅう腹をすかせていた彼には、例えアニメであっても食べものが出てくる番組はかなり辛いものがありました。
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ビデオ鑑賞 1990年4月 ★
当時、アメリカではスーパーマーケットの中にレンタルビデオショップが入っているところがありました。
お買い物の帰りに映画もどうぞ、ということなのでしょう。
また、HBOという映画専用ケーブルテレビもありました。
「映画を見ようよ!」
週末の夜、友達の家に行って映画を見ることがありました。
少し前の話題作をお安くお手軽に大勢で見れるのが魅力です。
「これ、見た?」
「まだ。」
「それ、いまいちだぞ!」
あれこれ言いながら何を借りるか決めるのがまた楽しかったりします。
●フィールド オブ ドリームス(ケビン コスナー主演)
●ベストキッド3(ラルフ マッチオ主演 空手映画)
●アビス(「タイタニック」のジェームズ キャメロン監督作品)
●ベスト オブ ザ ベスト(格闘映画)
大抵、1回に2本ほど借りて、スナックにソフトドリンクを飲みながら夜通し映画を見ることになります。「オオオオオ!!!」
「はっはっは!!」
「???」
日本語字幕のない映画は重太には理解しきれません。
モノにしたつもりの英語も実はまだまだ奥が深いことに気付かされました。
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シアトルへの小旅行 1990年4月 ★★★
彼は自力でシアトルヘ行く、小さな冒険をすることになりました。
メンバーは、ブラジルからの留学生のリサと隣町クーペベル高校に留学している日本人トシ、そして重太の3人です。
朝早く町のバスに乗り、島の南端にあるクリントンという港を目指します。
ウィッドビー島を南北に走る市バスは乗車賃はなんとタダなのです。
のんびり1時間ほどバスに乗り、クリントンに着きました。
そこからフェリーで15分ほどの対岸の港、ムキテオを目指します。
「いよいよアメリカ本土に上陸です!!」
気分はウルトラクイズのノリです。
ムキテオからは市バスを1回乗り換え、やっとシアトルへたどり着きました。
普段はホストファミリーや友達の車に乗ってすーっと1時間半くらいであっという間に着いてしまいます。
異国の地で自力でシアトルになんとかたどり着きました。
「やったぁーー!!」
そんなに偉業を果たしたわけでもないのに、ものすごい達成感を感じました。
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シアトルへにて 1990年4月 ★★
シアトルという街自体、あまり日本人には馴染みのない都市かも知れません。
しかし、アラスカやハワイを除く日本から一番近いアメリカ本土の都市がシアトルなのです。
たぶん。
横浜の港に永久停泊している氷川丸は現役時代、横浜とシアトル間を往復していたという話です。
ボーイング社の工場やマイクロソフト本社、任天堂アメリカなどもシアトル近郊にあります。
スターバックスコーヒー発祥の地と聞きました。
「リトルブッダ」や「めぐり逢えたら」などの映画の舞台にもなっています。
「ハロー、エレン!」
「ハーイ、タロウ!!」
といった具合で始まる中学の教科書の舞台にもなっていました。
シアトルは、意外と馴染みのないようでそうでもない街なのです。
魚市場や雑貨店が並ぶパイク プレイス マーケットをじっくり見てまわります。
入り口の売店では世界中の新聞を売っていました。
「あった、あった!!」
やはり自分の国の新聞は、自然と探してしまいます。そんなことはないのでしょうが、鮮度の悪そうな魚が魚屋に並んでいました。
どうして外国で見る魚は新鮮でないように見えてしまうのでしょう?
その後はモノレールに乗り、サイエンス センター付近を巡り、スペース ニードルにも上りました。
スペース ニードルはシアトルのシンボル的存在の白くそびえ立つタワーです。
ダウンタウンでも様々な店を見てまわりました。
オークハーバーには無いような電気屋さん、大きな本屋さん、スポーツショップ、などなどです。
たった4時間ほどしかシアトルにはいませんでしたが、彼にとって久々の大都市ヘの小旅行は大変刺激的なものでした。
オークハーバーの広い土地、のんびりとした時の流れが当たり前になっていたからです。
人の波に飲み込まれたり、高いビルを思わず見上げてしまうほど、すっかり田舎者になっていました。
留学を終え、故郷、横浜に戻った時、ビルを見上げないように気をつけたいところです。
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何も分からずに始まった彼の留学もあっという間に9ヶ月が過ぎました。
シニア(最上級生)の彼は高校生活最後のビッグイベント、卒業式に参加することになります。
アメリカの卒業式は、いったいどんなものなのでしょうか?
いよいよアメリカ留学もクライマックスです。
いよいよ卒業編へ
日常生活編2 目次
・冴えない後半の始まり ………楽しみにしていたパーティーにたどり着けず…・ウサギの死 ………死への対処の日米の違い
・大雪の一日 ………初めて知らされたショックなこと
・海軍兵士たちに囲まれて… ………「一緒に楽しもうぜ!」と誘われる
・そこの車、とまりなさい! ………スピード違反で捕まる
・本屋、発見! ………本屋には日本のマンガも
・日本人が賞賛されるアカデミー賞 ………特別名誉賞に黒沢明監督
・身分証明書、拝見 ………知らないうちにバーに入ってしまい…
・フットボールカード ………留学中、楽しみにしていたカード集め
・イースターとエッグハント ………アメリカ伝統行事に参加
・ひもじい思い ………十分夕食を食べれない日々
・ファストフード論 ………彼なりのファーストフードへのこだわり
・リフィルサービス ………ソフトドリンクもおかわり自由
・知らない歌手たち ………日本の流行りをビデオでキャッチアップ
・ビデオ鑑賞 ………大勢の友達と映画を見て過ごす
・シアトルへの小旅行 ………自力でシアトルまで
・シアトルへにて ………シアトル紹介
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