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アメリカ留学からの帰国
アメリカはワシントン州、オークハーバーでの10ヶ月間の留学生活もなんとか無事に終了しました。
ここでの数々の経験は今後、きっとどこかで生かされることでしょう。 たぶん。
そして、帰国の時がせまります。

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 見送り
1990年6月 ★★★

See you again!
「元気でな!」
「アンドレも!!」
「また、会おうな!」
「もちろん!!」
アンドレはイタリア帰国前に両親とフロリダ旅行ヘ行くということで一足早くお別れです。
楽しい留学の日々がいつまでも続くように思われましたが、別れはあっけなくあっという間に訪れ過ぎ去ってしまいました。

リサ(ブラジル)、アナ(スウェーデン)、リラーニ(フィリピン)、そしてハミャン(韓国)。
共に留学生として10ヶ月間苦楽を共にしてきた親友たちとの別れの日々が続きました。
「また、会おう!」
強く握手をかわし、抱き合い、近い将来の再会を誓います。
別れの瞬間、数々の良き思い出が記憶の中から蘇り、言い様のない感覚になります。

そして、留学生はみな、オークハーバーからいなくなってしまいました。
「……………。」
人を見送るのはなんとも寂しいものです。

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 別れのとき
1990年6月22日 ★★★

そして、いよいよ重太の帰国日も明日に迫りました。
帰国日は偶然、彼の誕生日と重なってしまいました。
「ハッピーバースディ、ゲイタァ!!」
帰国前日にアメリカ人の友達が10人ほど集まり彼の誕生パーティーをしてくれました。

「さ、ろうそくを吹き消して! それから願いを言って!」
バースデーケーキまで用意してくれてます。
「フッーーーーーっ!!! あれ?」
ろうそくを吹いても吹いても火が消えません。
と言うより、一瞬消えた火がまたバチバチバチといって点火するのです!

「はっはっはー!!」
このろうそくはプラクティカル・ジョーク・アイテム(悪戯グッズ)だったのでした。
そのろうそくの炎はいつまでも終わらないと思っていた留学生活最後の日の夜を切なく演出してくれました。

American friends!
「友達になれてよかったよ。」
「お前、ナイスガイだな。」
「ほんとに日本に帰っちゃうの?」
「いつでも遊びにこいよ。」
彼らの言葉のひとつ一つが重太の心にずしんと響きます。

「みんなのこと、忘れないよ。」
「10年後のリユニオンで会おう!!」
「必ず!」
卒業10年を記念して
2000年8月に行われるリユニオン(同窓会)での再会を約束して、かけがいのない友達一人ひとりと固く握手をかわしました。

そして、オークハーバー最後の夜は静かに明けてゆきます…。

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 旅立ちのとき
1990年6月23日 ★★★★★

数々の出会いをして来たこの10ヶ月間。
最後にはたくさんの別れが待っていました。
留学生たちの帰国を見送り、最後には彼自身が見送られる側にたちました。

旅立ちの日は、ホストファミリーとケリーが空港まで見送りに来てくれました。
「日本に遊びに来てね。」
最後の3ヶ月、最高に盛り上がったケリーに彼は言いました。
「うん、アメリカに遊びに来なかったらみんなで日本までさらいに行くからね。」

ここを離れたら、お互い当分会えないことはわかっています。
今のうちに色々話しておきたいこともあります。
なのにいつものようには言葉は出て来ませんでした。
すぐ来る旅立ちの瞬間がこなければいい、そんな気持ちでいっぱいでした。

「ロスアンジェルス行きご搭乗の方は、搭乗手続きを行っております。」
いよいよ別れの時がきてしまいました。

「じゃあね。」
「ゲイタァも元気で。」
「いろいろ、本当にどうもありがとう。」
お世話になったホストファミリーと抱き合います。
留守がちだったホストマザー、年令差があったためあまり同じ時間を過ごさなかったホストブラザーたち。
どこか遠慮しがちだった彼のアメリカの家族もとてもいい人たちでした。
そうでなければ最後までこの留学を終わらせることはできなかったでしょう。

Good bye
「…これ。」
ケリーから白い小さなテディベアを渡されました。
「ずっとそばにこれを置いておいてね。」
「…ありがとう。」
しばしまた、沈黙が流れます。

「………またね。」
「………すぐ、会えるさ。」
ケリーと抱き合います。
しめっぽい別れにはしないつもりでしたが、考えとは裏腹に両目から涙が溢れ出て来ます。
気持ちが高ぶり、言葉が上ずってしまいます。

「……あ、…あ、りがっ、…と、…、ん、…う、だか ら…、ひっく…。」
感謝の気持ちを言葉にしたかったのですが、何を言っているのか、本人ですら分からない状態です。
森鴎外の「舞姫」の主人公の旅立ち状態になってしまいました。
人前であんなに大泣きしたのは
シンガポールの初夜以来でしょう。

顔中を涙で覆い鼻水をたらしたまま、重太は10ヶ月過ごした留学の地、オークハーバー、そしてシアトルを後にしました。
嬉しいはずの18の誕生日が涙でいっぱいです。

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 ロスアンジェルスにて
1990年6月24日 ★★

ロスアンジェルスでアメリカ各地に散らばっていた日本人留学生たちと合流しました。

チャラチャラ金属をつけてる奴。
髪の毛の色が突然変異している奴。
耳に穴があいている奴。
10ヶ月の留学生活で何人かはすっかり見た目が変わってしまいました。
特に女性陣は横の身長が伸びた人が多いように見受けられます。

「How was your life in U.S.?」(どうだった?)
「Just great!!」(もう最高だったよ!)

日本人同士なのに、何故かみんな英語で話します。
なんだか、ちょっとヤナ感じです。
「自分の留学生活は他の奴には負けてない!」
と言わんばかりの、妙な闘争心がみんなの間で芽生えている様です。

In L.A.
「………………。」
そんな中、重太は6月のロスの強い日ざしを受け、一人ホテルのプールサイドでボーッとしていました。
オークハーバーを離れ、友達と別れ、ケリーと離れ、魂が抜けしまったかの様です。

「………またね。」
「………すぐ、会えるさ。」
別れの瞬間を思い出す度、また涙が溢れ出て来ます。
ここでまた、一生分の涙を使い果たしてしまいそうな勢いです。
いつの間にかナッツベリーファームという遊園地へ行ったらしいのですが、ほとんど記憶にありません。


いよいよ明日は、泣いても笑っても母国日本へ帰国するのです。
アメリカでのすべての任務を無事に終え、10ヶ月ぶりの日本の地を踏むことになります。
ずっと楽しみにしていたお気に入りのラーメン屋でラーメンを食べる日もすぐそこまで来ています。

「………………。」
どうせなら笑顔で日本に帰りたいものですが、今の彼にそれは無理な相談の様です。

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 凱旋帰国…?
1990年6月26日 ★

Chap. U.S. END
「お飲物は何になさいますか?」
「ウーロン茶ってあります?」
「はい。」
「オォッー!!」
帰りのフライトは日本航空でした。
ウーロン茶を飲めること、そして何より公共の場で日本語が通じることに留学生たちは大感激です。

「やったぁー!!」
「うわぁーーーー!」
成田空港に着陸した瞬間、機内は留学生の歓声で包まれました。
10ヶ月間、母国、友達、親元を離れて、留学生活をやりとげ、無事に帰国したのです。
これくらい騒いでもバチはあたらないでしょう、多分。

「…おかえりなさい!」
誰の出迎えもない成田空港で彼は自分に言いました。
アメリカに未練という大きな荷物を置いて来たままの帰国です。
彼の魂は日本にはない状態でした。

いくつもの出会いがあり、涙の別れがあり、その間、いろいろありました。
最後の最後は涙がありすぎて少ししまりませんでしたが、なんにせよ無事に10ヶ月間アメリカでの留学を終え、帰国したのです。
めでたし、めでたし、ということにしましょう!


じろおむんど アメリカ留学編 −完−


留学仲間と別れ、彼は実家の横浜を目指します。
家に着くまでがアメリカ留学です。
最後まで気をゆるめず、無事、真の留学終了にしたいものです。

………………………続いて、アメリカ留学編、エピローグです。

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 バック トゥ ザ  ホームタウン
1990年6月26日 ★

「……あ、あれぇ??!」
10ヶ月振りに戻ってきた自分の町はまるでミニチュアの様です。
建物、道路、車、人々…。
何故か何もかもが少し小さく見え、ゴミゴミしている様に感じられてしまいます。
ずっと広大なアメリカで過ごしてきたからでしょうか。
それとも、彼がアメリカで心も体も大きくなって帰って来たせいでしょうか。

Back to yokohama
「……こんなビル、あったっけ?」
以前はあった店がなかったり、新しい建物ができていたりもしました。

気分は彼の大好きな映画、「バック トゥ ザ フューチャー」の主人公マーティーです。
自分が知ってるはずの町がどこか変わっています。
そのことに戸惑い、きょろきょろしながら町を歩きました。

『時計台前広場を後ろ向きに歩いてまわりを確認する仕種』まで彼はまねてみました。
「この子、大丈夫かしら?」
近くで彼をみた人はそう思ったことでしょう。

なんだか、日本に帰って来た実感がまだありません。

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 バック トゥ ホーム
1990年6月26日 ★★

「…ただいまぁ。」
「おかえり!!」
母の出迎えでやっと自分の家に戻って来た感じがしました。
知らない人が出て来たら、どうしようかと一瞬思ったりもしました。

「……あ、あれぇ??!」
自分が育ってきた家までミニチュアに感じられました。
もっと大きな家に住んでいたと思ったくらいです。

「…こんなの、あったっけ?」
ウォッシュレット、ベッドに棚、ヒーター、留守番電話。
アメリカ出発前になかったモノがたくさんありました。
電子レンジ、ビデオなど物質的に変わっていたものもありました。

電気のスイッチの「オン」「オフ」がアメリカだと上下なのに、日本では左右になってます。
ささいな違いにもいろいろ気がついてしまいます。

「…おや、まぁ…。」
部屋には兄たちに頼んでおいた1年分の週刊誌(4セット)が転がっていました。
その数150冊以上。
全部読むのだけで1ヶ月くらいかかりそうです。

テレビは当たり前ですが、日本語で放送しています。
内容が全部分かってしまうのが、嬉しいような悲しいような感じです。

「おもしれーー。」
アメリカとは違う日常のささいな違和感が、興味深く感じられます。

Tel to U.S.
時差を考慮して、アメリカのケリーに電話をしました。
「家についちゃったよ…。」
「…………。」
受話器の向こう側から涙声が聞こえて来ました。
「……なんだか、さびしいね…。」
「…うん。」
それまでみたいに電話をかけて、気軽にあえる距離にいないことを実感しました。

「もう日本にいるんだなぁ…。」
10分程ケリーと話し、受話器を置いた後、日本にいることを少しずつ噛みしめました。

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 再会、そして留年決定?
1990年6月26日 ★★★

「元気かー!!」
「お帰り!!」
帰国したばかりの晩、日本の高校の友だちが早速彼の家に押しかけて来ました。

久しぶりに会う面々はみな元気そうです。
「おう、元気だぞ!!」
いつまでも逆ホームシックにかかっている場合ではなさそうです。

「どうだった?」
「もう英語ペラペラ?」
「麻薬やった?」
「金髪美人紹介して!!」
「この写真の人、どんな人?」
あれこれと質問攻めにあいます。
これは有名人がインタビューされているようで、ちょっといい気分です。
早速、楽しみにしていた友達といろいろ話すことができました。
やはり言いたいことを文法など気にせず言える母国語は便利です。

「お前、なんか関西弁が混ざってないか?」
帰りのロスアンジェルスで話していた日本人留学生の関西弁が少しだけうつってしまった様です。
「お前、本当は関西に留学してたんじゃないの?」

「で、いつから登校してくるの?」
やがて話は日本の高校の事になりました。
「そういやお前の名前、2年生の名簿にあったぞ。」
「え?」
「だから、4月の時点ではお前は留年してんだよ。」
そんな話は聞いてません!

たしかに、日本の高校で3年生に進級する手はずを全く踏んでいません。
と、いうことは、もう7月なのに彼はまだ高校2年生のままなのです!!

これはちょっと不安になって来ました。
留年することがないと聞いて留学したのに、実は高校2年生をもう一度やらなければならないとなると、なんだか騙された気分です。

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 進級なるか?
1990年7月 ★

School uniform
次の日、ほこりまみれの制服を引っぱり出し、高校ヘ行ってみました。
「懐かしい!!」
 いつもの東横線。
 いつもの横浜駅。
 いつもの通学路。
大抵のものが10ヶ月前と同じです。
なんだか、ここでやっと地元に戻って来た気がしてきました。
別に不登校だったわけではないのですが、久々の地元高校への通学に少し緊張してしまいます。

「ただいま戻りました!」
「あぁ、帰って来たね!! お帰り! どうだった? アメリカは?」
2年生の時の担任の先生に挨拶をし、進級に必要と思われる書類を丁寧に提出しました。

「ちょっと待っててね。」
「…は、はい。 ?」
何か問題でもあるのでしょうか?
3年生に進級できないこともあり得るのでしょうか。

「じゃ、入って。」
緊張して待つこと10分。
面識もない副校長との面接になりました。
なんだか予想外の展開に戸惑ってしまいます。

「1年間の留学はどうだった?」
「アメリカのどこらへんに行ってたの?」
「食事はおいしかった?」
「何が一番印象に残ってる?」
こんな茶菓子をかじりながらする会話のような質問が延々と続きました。
「進級するのに関係あるのか?」
そう思い始めた頃、やっと面談は終わり、また外で待つことになりました。

10分後、再び副校長室に呼び出されました。
「冠木君。」
なんだか重苦しい雰囲気です。
「明日から3年生として登校して下さい。」
「…! はい!!」
ようやく3年生に編入を認められました。

「…いやぁ、よかったぁ!!!」
これで高校に入学した顔ぶれと共に卒業することが出来ます!
そのメンバーの同窓会に出ることも出来るのです!
下級生にため口を聞かれることもなくなりました。

「とりあえず真面目にアメリカで勉強しておいて良かったぁ。」
めでたく復学、進級はできました。
しかし、これからは、厳しい日々が続く受験生の仲間入りです。

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 アメリカナイズされてない?
1990年7月 ★★★

「ああァァ! 重太じゃン!!! なんでここにいるの??」
「ええぇぇぇーーー!!!!」
「あれ? もう帰ってきたの?」
「うわぁ、ひさしぶり!」
「あれ、背、伸びた?」
久々会う友達の反応は、驚いたものから素っ気ないものまで、様々でした。

「変わってないねぇ。日焼けした肌以外。」
「全然アメリカっぽくないよ!」
「なんか、普通じゃン!」
どうやら高校の友達は彼が『チャラチャラしたニセアメリカ人』になって登校してくるのを期待していた様です。
「あのなぁ…。」
見た目だけで何も変わっていないかのように判断されたことに彼は頭にきました。

「最初の数カ月は本当に大変だったんだぞ! まわりが何言ってるか分からなくて…。」
「あ、そう。 また、後でな。」
語り継ぐべき数々の彼の武勇伝に誰も耳を傾けてくれません。

「アメリカ人はカセットケースサイズのウォークマンにびびりまくってたぜ!」
「…ふーん。」
アメリカの高校の様子にも興味を示す人はいませんでした。
みんな高校3年生、受験勉強に忙しい様子です。

「…あらぁ?」
どうやら日本は今までとは変わってしまった様です。
それとも、彼だけが10ヶ月前のままなのでしょうか?

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 本当にアメリカ帰り?
1990年7月 ★★★

一足先に帰ってきていた留学済み生徒たちが廊下で「英語」で話してます。
いくら英語が話せるからとはいえ、ああはなりたくないものです。

「Hi, Shigeta! How was your stay?」(留学はどうだった?)
「It was just great! How was yours? 」(最高だったよ! そっちは?)
英語には英語でとっさにこたえてしまう「悲しき性」を彼も身につけていました。
ヤナ感じです。

「おお、重太、一応英語話してんじゃン!」
「まあね!」
まわりの友達もこれで少しは彼を見直したみたいです。
しかし、そんな彼も帰国直後の英語の期末テストでは伝説を作ってしまいます。

「ねぇ、何点だった?」
「……いいだろ、別に何点だって!」
「隠すなよ、いい点取ってンだろ!」
「ああぁぁ!!」
強引に答案を奪われてしまいました。

「……、え?」
「…………、まじ、これ?」
なんと、彼の点数は19点でした。
100点満点のテストで……。

「お前、本当にアメリカに行ってたのか?」
「…………。」
言い返す言葉がありません…。

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 浦島 重太郎
1990年7月 ★★

重太がアメリカで10ヶ月過ごしている間に日本では色々なことが変わっていました。
高校3年生になった同級生は受験勉強にシャカリキです。
休み時間まで勉強をすると言う事態に重太は戸惑いを隠せませんでした。

変わっていたのは学校ばかりではありません。

♪そぉーれ そーおれ 鉄骨飲料!
「な、なんじゃこれ?」
画面いっぱいにたくさんの女の人が『』と言いながら踊っています。
「なんだか、日本もかわったなぁ!」
それは10ヶ月前にはなかったようなインパクトのあるCMでした。

『ベストテン』、『トップテン』などのランキング歌番組が次々なくなっていったのも意外でした。
テレビの様子も10ヶ月の間になんだか別物になってしまった感じです。

『ちびまる子ちゃん』たるアニメが世間を賑わせています。

街角の看板に英語が増えたような気がしました。
これは多分、気のせいでしょう。

 『矢がも』
 『シンデレラ エクスプレス』
 『人面犬、人面魚』などが話題になっていたようです。
日本を離れていた彼には、どれ一つとして詳細がわかりません。

 『アッシー君』
 『ミツグ君』
 『トレンディ』という聞き慣れない言葉が巷で流行っていました。
「…そ、それ、どういう意味ですか?」
なんだか日本に留学に来たような気分です。

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 次につづく?
1991年3月 ★

翌年の3月、彼は生涯2度目の高校卒業証書をもらいます。
1年の間に2度、高校を卒業したことになりました。

運よく某大学の自己推薦枠に滑り込むことができ、4月からは晴れて大学生です。
「ふざけんなよ、お前!!」
高校の友達は彼の首をしめながら言いました。
10ヶ月もアメリカで遊んで来た上、12月には大学に合格してしまったのです。
彼らはずっと受験に備えて勉強し続けていたので、この台詞も当然と言えば当然です。
この時、彼は友達を半分なくしました。

大学にどこも受からなかったら再渡米すら考えていた彼ですが、これでまた日本に居座ってしまいそうです。

こうなると、10ヶ月のアメリカ留学はただの「お遊び留学」になってしまいます。
せっかく海外にどっぷりつかることが出来た「アメリカ留学」の経験をいかす機会はくるのでしょうか?
アメリカで出会った数々の友達と再会する日は来るのでしょうか?
そして、英語のテストでは全くふるわない彼の英語力は今後、役に立つのでしょうか?

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 つづきのお知らせ
 ★


じろおむんど アメリカ留学編 −リユニオン編−


10年後の2000年8月に開かれる『同窓会(=リユニオン)』に重太は向かいます。

そこには、10年の時を経て、成長した重太の姿が! (あるのか?)
そして、10年振り、アメリカの友達との感動の再会が!(あるのか?)

本編(=アメリカ留学編)の完全続編!!

その様子はReunion2000こちら!!

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 アメリカ留学からの帰国 目次 

見送り ………留学仲間が次々と帰国

別れのとき ………親しい友達と最後の一時

旅立ちのとき ………数々の思い出のある留学の地をあとに

ロスアンジェルスにて ………もぬけのからの重太

凱旋帰国…? ………10ヶ月の留学を無事完了!! アメリカ留学編 −完−


◆エピローグ◆

バック トゥ ザ  ホームタウン ………不思議な感じのする故郷

バック トゥ ホーム ………不思議な感じのする我が家

再会、そして留年決定? ………高校の友達から聞かされた意外な事実

進級なるか? ………高校で進級審査

アメリカナイズされてない?  ………再会した友達の意外のコメント

本当にアメリカ帰り? ………発揮される英語力

浦島 重太郎 ………10ヶ月いない間に変わってしまった日本

次につづく? ………「じろおむんど」終了?

つづきのお知らせ ………アメリカ留学リユニオン編のお知らせ


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