
南米の熱気の懐かしさと初めて訪れるブラジルと言う国の新鮮さに重太は魅了されました。
しかし、この後、日本から遠く離れたこの地で意外にも様々な状況で『日本』に出会うことになります。
[ 1、イントロダクション ] [ 2、ブラジルと日本編 ] [ 3、カーニバル編 ]
ブラジルにて大歓迎される [ サンパウロ ] 1995年2月21日 ★
ある日の夜、重太とアツはエジモンの家=ササキさん宅の夕食会に招待されました。
「日本ではエジモンがお世話になりまして…。」
約4ヶ月前の1994年、10月。
日本に来たリサ、カレン、エジモンは重太の家に泊まり、一緒に横浜と東京観光をしたのでした。「どんどん食べて下さいね。」
「ありがとうございます!」
フェジョン(日本のいんげん豆ににたマメ)
マンジョッカ(イモからとった粉)
フェイジョアーダ、(フェジョンをベースに肉、豚の耳や鼻、腸詰めを加えて煮込む)
ごはん、肉、などブラジル料理がどんどん出て来ました。
こんなに食べたら日本に帰る頃には確実に重量オーバーになっていることでしょう…。「ほら、お酒もどうぞ!」
ブラジルワインも甘く美味しいものでした。
「どんどん食べて下さいね。」
「…も、もうおなかいっぱいです!」こんなもてなしを受けたことが生まれて今まであったでしょうか?
なんだか、親善大使にでもなったかのようなすばらしい歓迎を受けてしまいました。「…それほど大それたことをした覚えはないのに…。」
日本での重太の簡単なもてなしが、エジモンたちにはとても嬉しかった様です。
ものすごいもてなしに重太もアツもひたすら大感激です。
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海外で通じる日本語 ![]()
[ サンパウロ ] 1995年2月21日 ★★
「Jリーグのニュースはこちらでもやってるんですよ。」
「鹿島でズィーコががんばってるね!」
「カズがブラジルに来た時はどうなることかと思ったよ。」
日本とブラジルの掛け橋になるものが食事中の話題の中心となりました。会話はすべて「ポルトガル語」ではなく『日本語』です。
日本の裏側に来て、重太の母国語の「日本語」がこんなに使えるなんて…。(日本語は日本でしか通じない言語)
幼い頃の海外生活やアメリカ留学から、そんな考えが重太の中でずっとありました。
しかし、日本から一番遠いくらいのブラジルでは、在住の日系の方たちと 日本語がばっちり通じてしまいます!
20世紀初頭、日本からの移民した人たちが築いた一大コミュニティーがあるからです。
しかし、若い世代の人たちは日本語を話せない人も多い様です。海外で日本語が通じる事。
とても嬉しいのですが、ちょっぴり不思議な感じがしてしまいます。
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世界一うまいコーヒー ![]()
[ サンパウロ ] 1995年2月22日 ★★★
「これ、面白いデザイン! ほしい!」
重太はカレンの家で見かけた「らせん型メモ帳」を思いっきり気に入りました。
(正方形のメモ用紙が少しずつずれ、らせん上に重なったメモ帳)
次の日、それを買うため、カレンとパウリスタ・ショッピングセンターに行きました。「…ここには置いてないですね…。」
「すいませんが、ございません…。」
どの文房具屋を訪れてみても目的のモノを買うことはなかなか出来ません。「…ひと休みしようか。」
「そうだね…。」
ショッピングセンターの立ち飲みコーヒースタンドでエスプレッソを一杯頼みました。
「うめぇぇぇぇーー!!!」
小さなカップで飲んだそのエスプレッソ。
濃すぎるくらいに濃厚な味で、大変、とても、ものすごく、めちゃくちゃおいしいコーヒーでした!!こんなにコーヒーっぽいコーヒーは飲んだことがありません!
さすが、コーヒー王国=ブラジル。
たった1口のコーヒーだけで幸せにしてくれるなんて!
買えずにいたメモのことなど、もうどうでもよくなっていました。
「ブラジルでは、冷たいのは『まずいコーヒー』なのに!」
昨年、日本に来たリサが『アイスコーヒー』をみてビックリして言った言葉を思い出しました。
「冷たくなるとコーヒーはまずくなるのに、なんでわざわざ冷やして飲むの?」
なるほど、ブラジル人にそう言われてしまうとそれがもっともに聞こえてしまいます。「『おいしい』『まずい』という感覚も慣れ次第で いくらでも変わってしまうんだろうなぁ…。」
このコーヒーの一件で感じました。
それにしても、パウリスタ・ショッピングモールで飲んだ エスプレッソは世界で一番うまいコーヒーのひとつに違いありません。
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世界一うまいホットドッグ ![]()
[ サンパウロ、ウスピ ] 1995年2月22日 ★★★
「よっし、ウスピに行こう!」
カレンの弟、マサオが重太とアツをウスピに連れて行ってくれました。ウスピとはUSP(University of San Paulo=サンパウロ大学)のことです。
ウスピの学生であるマサオが身分証を守衛さんに見せると、車ごと大学校内に入ることが出来ました。門をくぐると広い敷地内に点々と建物があり、駐車場や道路がゆったりとありました。
芝生のそばには温かい場所に生える背の高い木々が生い茂っています。
川ではボート部らしき人たちが練習をしています。
道路の脇に英雄らしき人の銅像があったり、大きなスタジアムや競輪場、郵便局まであります。
そこは一つの町、と言った感じです。
アメリカなどでも大学と言うと一つの町、といった感じですが、 ブラジルのサンパウロ大学もまさにそんな感じでした。
「あれはパンやピザを焼く鎌だよ。」
「あそこにたくさん生えているのはバナナの木だよ。」
「なんでそんなものが大学に…?」
大学校内にいるとは思えない不思議な光景があちこちにありました。大学内の道路でホットドッグ売りのトラックが停まっていました。
「食事にしようか。」
『カショーホ ケンチ』と呼ばれるその食べ物は、日本で見慣れたホットドッグのソーセージの上に 細かくほそいポテトチップを散りばめ、ケチャップをかけてからその上にスマッシュドポテトを塗りたくります。
たかがホットドッグと思っていたら、結構なボリュームです。「うめぇぇぇぇーー!!!」
意外や意外、大変、とても、ものすごくめちゃくちゃおいしい『カショーホ ケンチ』でした。
ブラジルで飲まれるソフトドリンク『ガラナー』ジュースともなかなかよい相性です。「うまいか? もう一個食べる?」
「食べる! 食べる!」
マサオに勧められ、遠慮なくもう1つペロリと食べてしまいました。
ウスピの『カショーホ ケンチ』は、世界一うまいホットドッグのひとつに違いありません。
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意外な無料配付物 ![]()
[ サンパウロ ] 1995年2月23日 ★★★
夜、8時を過ぎました。
重太、アツ、リサ、カレン、エジモンらは、予定された時間通りに サンバチームのパレード(練習)を見にサンパウロの町へ行きました。:
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1時間半待っても、何も始まりません。
さすがはラテンの国、時間におおらかです。
まわりはいろいろ騒ぎ立てているのですが、パレード自体がいつ始まるか、全くわかりません。
お腹もすいたので、やむなくこの場を切りあげる事にしました。
駐車場に向かう際、チラシのようなものをもらいました。
「…こ、これは!!」
中にはカミシーニャ(=コンドーム)が貼りつけられていました。
生まれてこのかた、街頭でコンドームなんてもらったことがありません!カーニバルで国中がお祭り気分になるこの時期。
開放的な雰囲気で出会った男女は一夏の思い出を作ってしまう様です。
そんなこんなで無計画に子供が増えてしまうこと、そして性病感染を防ごうと言うためなのでしょう。数日は続くカーニバル。
コンドームが一つだけで足りるとは、とても思えません。
ブラジルで統計をとると、もしかしたら12月生まれの子供が圧倒的に多いかも知れません…。
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世界一うまいピザ ![]()
[ サンパウロ ] 1995年2月23日 ★★★
みんなで『1900』(ミッレ ノベチェント)という名のピザ屋に行きました。
創業年を店名にしている様子です。「ブラジルでピザなんて…、ねぇ…。」
半ば騙されてみよう、みたいなスタンスでお店に入り、ピザを食べました。
「うめぇぇぇぇーー!!!」
意外や意外、大変、とても、ものすごくめちゃくちゃおいしい『ピザ』でした。
厚めの生地にトローリとろけるチーズがたっぷりのクリーミーなピザ。
トッピングの具もたっぷりで味もボリュームも大満足です!!これには本当に驚きました!!
本場イタリアで食べたピザより衝撃的なのは何故でしょうか?
もしかしたら、1900の『ピザ』は、世界一うまいピザかもしれません…。「こんなピザはもう食べられないかも知れない!」
重太はこれでもかと、ピザをガッツいていました。トロ−−−……。
「…………。」
「…………。」
トロ−−−−−……。
エジモンは、ピザにこれでもかと言わんばかりにオリーブオイルを注ぎ続けます。「これくらいかけないと味がないからね。」
「…。 でも、食べる時、オイルが皿に結構たれちゃってない?」
「それは店の人が洗うからいいんだよ。」
そう言われてしまうと、何も言い返せません。
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ブラジルの人々 その2 ![]()
[ サンパウロ ] 1995年2月25日 ★★
「夕方からイグアペに行くよ!」
カレンのご両親が暮らしていると言うイグアペという町へ行くことになりました。
サンパウロから車で4時間ほどの小さな町、ということです。「行く前にちょっと、車を点検したほうがいいね。」
マサオの一言で、車を整備しにガソリンスタンドへ行くことになりました。「うーん、ちょっと待っててくれ…。」
日本なら10分くらいで済みそうな点検、整備をなかなか始めてくれません。
「あのー、早くしてもらいたいんですけど…。」
「うん、店の者が今、パーツを買いに行ってるから…。」
さすが、ラテンの国、ブラジルです。
お客さまの都合より、自分の気分や都合が最優先のようです。:
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重太はアツとマサオと3人でただボーっと何もすることもなく、1〜2時間、炎天下で待たされました。
「ボア、タルジ!(=こんにちは) ちょっと、いいかい?」
「いいよ、アミーゴ(=友よ)!!」
さすが、アミーゴの国、ブラジルです。
あとから、修理屋さんのお友達が来ると、そっちが優先されてしまいました。
「おそるべし、ラテン民族…。」
文句を言ったらもっと作業が遅れそうな気配すらすます。
ここは黙って見守っていた方が良さそうです。
それにしても余りにも暇なので、3人で目の前の交通量の多い道路をボーっと眺めていました。
ドン!!
ある車が止まり切れず、前の車に追突してしまいました!
ブォン!!
一瞬遅れて、後部のトランクが開きました。
その開くタイミングの微妙なズレがB級のコメディー映画を見ている様です。「おまえ、前を見て走ってたのか!」
「そっちが急に止まったんだろ!!」
さすが、灼熱の国、ブラジルです。
二者間で熱い取っ組み合いの喧嘩が始まってしまいました。
車をワキによせることなど二の次の様です。「お〜い、なおったよ〜!」
野次馬している間に車の修理もやっと終わった様です。
いい暇つぶしが出来ました。
やっと、これでイグアペへの出発できそうです。
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貧富の差 ![]()
[ → イグアペ ] 1995年2月25日 ★★★
「よし、しゅっぱ〜つ!」
いよいよイグアペへ向け、重太たち一行は出発しました。
1号車=重太、アツ、カレン。
2号車=リサ、ミュートン(リサの弟)、ミユキ(カレンの妹)。
バイク=マサオ(カレンの弟)。サンパウロ市内から高速道路で市外へ出る時のことです。
土の上にコンクリートを重ねただけの簡素な家々が目に入りました。「ファべ−ラって言うんだよ。」
カレンが静かに説明してくれました。
ここは地方から都市に仕事を求めて来た人が、仕事につけず、住んでいる場所とのことです。
ほんの一角でなく、四方八方に広がるその家々。
どの家も作りはあらく、家がひしめき合って建っています。
火事や地震などの災害が起こったら、多くの犠牲を出してしまいそうです。土の上の裸足ではしる子供達。
そこら中にほされている洗濯物。
ボロボロのバイクや車。
ちょっと離れた場所にあるゴミの山…。
とても住み心地がいいようには見えません。それまでほとんど目にしなかったブラジルの現実、貧富の差をここで初めて少しだけ目の当たりにしました。
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うわぁーー!! ![]()
[ → イグアペ ] 1995年2月25日 ★★★
2台の車と1台のバイクはそのままイグアペを目指します。
「うわぁぁぁぁーー!!!」
車中から見た何気ない景色が重太の感性に何かをうったえかけます。
緑の生い茂った山間の高速道路を走っているだけなのに、なんだか心が揺すぶられます。「ちょっと、休憩しよう。」
西の空に太陽がダイナミックに沈んで行きます。
「うわぁぁぁーー!!!」
日が沈むことなど当たり前過ぎて、日本ではあまり気にしたことがなかった気がします。
そんな単純なことをブラジルにまで来ないと気付かないような生活を重太は日本でしていたみたいです。「なんだ、あれ?」
日も沈み、あたりも真っ暗になった時、アツが遠くの空を指差しました。
「うわぁーー!!!」
ワニの頭部の形をした雷雲の中に稲光りが見えます。「うわぁーー!!!」
重太たちの頭上には満天の星空がありました。
ただ夜空を見上げているだけなのに、なんだか涙があふれてきます。
貧富の差、大自然などに触れたことによって、妙にセンチメンタルになってしまったようです。「さ、行こうか。」
目的地、イグアペまではあと少しです。
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イグアペのカーニバル [ イグアペ ] 1995年2月25日 ★★
日もすっかり暮れた真っ暗な闇の中。
4時間のロングドライブの末、一向はイグアペに到着しました。
「ようこそ。 イグアペへ。」
カレンの両親、ヨシカワ夫妻に会いました。
「日本ではカレンがお世話になりまして…。」
「いえいえ、そんな…。」
またまたここでも『日本語』で丁寧にお礼を言われてしまいました。
ブラジルで使われる言語は日本語なのかと勘違いしてしまいそうです。「…も、もう食えません…。」
お腹が破裂しそうな程、夕食を頂いた後、車で市内見物へ行きました。「…きれい、きれい!」
高台からライトアップされた町を眺めました。
中心に教会らしき建物が見えますが、それ以外に高い建物はなさそうです。
町自体もそれほど大きく無さそうです。
町に戻ると道では軽快なリズムにあわせて鮮やかな衣装に身を包んだ集団が練り歩いて来ました。
小さいながらも山車の行進もあります。
道路も広場も、町中がカーニバル一色に染まっていました。
決して規模は大きくありませんが、参加している皆が心の底から楽しんでいる様子が伝わって来ます。「カーニバルってリオ デ ジャネイロでやるんじゃないの?」
「この時期、ブラジル中でカーニバルは行われているんだよ。」
「へぇ! そうなんだ!」
リオのカーニバルが有名すぎて、ブラジルのカーニバルと言えばそれしかないのかと勝手に思っていました。
しかし、実際は違う様です…。
いろいろ勉強になる旅です。
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悠久の時の中で [ イグアペ ] 1995年2月25日 ★★
小さな町、イグアぺでカーニバルの賑やかな雰囲気を楽しんだ後、ヨシカワ家に戻りました。
ヨシカワさん宅は、2階のワンフロアーにキッチンと食堂、そして寝室が2つある すごくシンプルなつくりでした。
現在、家を建設中とのことで、ここはいわば一時的な借家とのこと。
そこに突然7人もの人間が増えてしまうなんて、申し訳ない限りです。テーブル、いす、ベッド、食器、外枠のない扇風機、…。
生活に最低限必要なものがあるだけの生活です。
「…生きてくのには、これくらいで十分なのかも…。」
シンプルな生活に重太は感銘を受けてしまいました。家の前には大きな川が流れていて、その手前には低い石垣が連なっています。
そこに腰をかけ、河原で重太たちは夜風にあたっていました。
ガガガガガガガガガ…
家の前の石畳の通りには燃費の悪そうな車がうるさい音をたて、ゆっくりと走り去って行きます。
何をするわけでも、誰と話すわけでもなく、ただ、たたずむだけの時間がゆっくりと流れました。「カー二バル、行きましたか?」
「はい、盛り上がってきましたねぇ。」
夕涼みをしていると、ヨシカワさんの知り合いが通るとちょっとした世間話が始まります。「………。」
素朴な石畳の道路を舞台に、涼しい夜風が吹き、川のせせらぎがBGMとして流れ…。
なんだかウソみたいにゆっくりと時は流れます。
日本にはない大切なものがここにはあふれている気がしました。
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朝のイグアペ ![]()
[ イグアペ ] 1995年2月26日 ★
次の日の朝。
外はものすごくいい天気です。
昨日は夜に到着したため、イグアペの町の景観がほとんどわかりませんでしたが、 今日は町をよく観察できます。
家から一歩出て、空を見上げると雲が徐々に小さくなって遠くの空まで続いています。
切り取った空の一角では、電線が縦横無尽に走っています。芝生、緑の木々はどこを見ても必ず視界に入って来ます。
夏の日ざしが熱いせいか、歩道に人通りはほとんどありません。6角形のタイル状の石畳の道路は、どの道もゆったり4車線はありそうです。
交通量も少なく、これだけ道路が広ければ路上駐車に怒る人はまずいないでしょう。
道の端でバーベキュー用の鉄板を重太とアツがゆっくり洗っていても、なんら問題はありませんでした。家の前を流れる川は、対岸まで150mくらいはありそうです。
昨晩は暗くてよく見えなかったため、こんなに大きな川だとは思いませんでした。
橋や渡し船が見当たらないので、どうやって対岸にいけるのか、少し不思議です。家の壁は白く塗られ、屋根は濃い黄土色の瓦です。
ところどころ、白い壁に何かの宣伝らしきラクガキがありました。
手書きのペイントが手作り感満点で、なんだか微笑ましく感じられます。渋滞もラッシュもない、とても静かな田舎町…。
それがイグアペの朝の顔でした。
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ビーチへの道 [ イグアペ ] 1995年2月26日 ★★
総勢9人、2台の車とマサオのバイクでビーチへピクニックに行くことになりました。「気持ちいいねぇ!!」
途中までマサオのバイクの後ろに乗せてもらいました。
ヘルメットをつけないと風を直接感じられてとても気持ちがいいものです。
しかし、スピードを出されるとちょっとだけ恐いものです。「ここらの山は一山100万円くらいで買えるよ。」
ヨシカワさんが教えてくれました。
「ホントですか?!!」
それなりの大きさの山を100万円で買えてしまうなんて!
ブラジルならではのなんともスケールのデカイ話です!
「定年後は、ここで村でもつくると面白いかもなぁ…。」
これから就職するというのに、もう老後の夢を思い描き始めてしまいます…。
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ビーチにて [ イグアペ ] 1995年2月26日 ★★
車で30分ほど行ったビーチは広く、人もまばらです。
「ひろーーーい!!」
イモ荒い状態のどこかの国の海岸とは大違いです。
砂は細かく白くきれいですが、水はそれほど透き通っているわけではありませんでした。目の前は海、後ろは山々。
頭上には青い空、足下は白い砂。
360度ぐるっと大自然に囲まれています。
重太の住む横浜では味わえない空間です!ビーチに転がっている大木をうまく土台にしてその上に鉄板をのせ、バーベキューのスタートです。
「…もう、食べられません…。」
肉をたらふく食べた後はビーチでのんびりくつろぎます。
「…いいねぇ…。」
なんとも贅沢な時間が過ぎて行きました。近くでビーチバレーをしている人たちがいます。
「一緒にやろうよ!」
マサオに頼んでもらい、現地の人たちとビーチバレー開始です。
ブラジルはサッカー王国です。
「バレーなら勝てるだろ!」
日本で多少バレーボール&ビーチバレーをかじったことのある重太は小柄な相手選手たちをみて、 余裕をかましていました。「…う、うめぇ!」
ところがどっこい、現地のプレーヤーたちはツワモノでした。
重太たちなど全く歯がたちません!
強弱をつけた攻撃に重太たちは防戦一方です。「…ま、まいりました…。」
ただの1セットも取れないまま、日は暮れてしまいました…。初めから相手を強敵と思っていれば、もって違う展開もあったかもしれないのに…。
「…あれ、そういえば…。」
後から考えてみれば、ブラジルはサッカーだけでなくバレーボールも強い国でした…。
勝手な思い違いが敗戦後のショックをさらに大きくしてくれました。
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無免許運転 ![]()
[ イグアペ ] 1995年2月27日 ★★
イグアペからサンパウロに戻る日の朝。
「乗ってみる? 簡単だよ!」
マサオがモトクロスタイプのバイクを重太たちに貸してくれました。
アツと二人乗りしてイグアペ探索に出かけます。
二人ともバイクの免許を持っていませんが、この際、気にしないことにしましょう。
上半身はだかにノーヘルメット。
日本の都心じゃなかなかできないスタイルでバイクを走らせました。がくん、がくん…。
慣れないバイクのギアチェンジに戸惑いながらバイクを走らせます。
ぷすん…。
エンストと戦いながら少しずつバイクに慣れてきました。「きもちいいいぃぃぃーーーー!!」
車も少なく、道路も広く、風を切ってバイクを走らせるのは快適そのものです。「対岸に行ってみようぜ!!」
砂地に足下をとられることもなくなり、やっとバイクに乗っている感じを味わえ出したところで、探求心に火がともりました。
バイクを川沿いに飛ばし、橋を探します。
「あったぁ〜!!」
しばらくして、対岸へ行ける橋を探し出しました。橋を渡り、今度は対岸の川沿いを走ります。
「あそこらへんがヨシカワさんの家だよな?」
「ああ、多分、あそこらへんだ!」
家の前から見えた対岸の場所に来ることができました。
「♪♪♪」
こんな些細な冒険でもなんだか心満たされるものがあります。
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メッセージ [ イグアペ ] 1995年2月27日 ★★★
「数年前に日本に行った時の事だけどね…。」
サンパウロへ戻る準備を終え、川辺でココナッツのジュースを飲んでいる時の事です。
ヨシカワさんがポツリと話し始めました。「『あなたたちは日本に一年しか住めない』と言われたんだよ。
同じ日本出身の人間なのに、ブラジルの永住権を手に入れてしまうと扱いも大きく変わってしまうんだ…。」
日本に住む日本人の重太にはあまりピンとこない話でした。
「同じ顔をしているのに、こんな違う扱いを受け、情けなかった…。」
懐かしい母国に帰ったのに、規則的なもので歓迎を受けなかったんだな、とわかりました。
人間はみんな同じなのに、国籍一つで扱いが変わってしまうことをヨシカワさんは嘆いていたのです。「こういったことの起こらない世の中に今後しなくちゃ行けないよな…。」
ヨシカワさんは熱い目で語ってくれました。
その目がとても印象的でした。「…色々お世話になりました。」
イグアペに残るカレンの両親、ヨシカワ夫妻にお礼を言い一行はサンパウロを目指しました。
リゾート気分で来たイグアペですが、最後にとても大きく意義のあるメッセージを重太はもらった気がしました。
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お嬢様なの? [ → サンパウロ ] 1995年2月27日 ★★
重太たちはイグアペからサンパウロへ戻りました。
それまではカレン宅にお世話になっていましたが、今度はリサの家にお邪魔することになります。「え? まじ?」
通されたマンションはワンフロワー全部が彼女の大邸宅でした。
柔らかそうなソファー、きらびやかなシャンデリア。
大きな窓全面を覆う白く綺麗なカーテンに細かい模様のじゅうたん。
金銀が輝く食器と、大きく綺麗なガラスや食器が行儀よく収まっている食器棚。
あれこれ見ているだけでなんだか立ちくらみしそうです。「すげぇなぁ…。 リサってお嬢様だったの?」
アツの素朴な疑問に重太も首をかしげるばかりです。
「…そ、そう、みたいだね…。」
アメリカ留学から彼女のことは知ってたいましたが、お嬢様だとかお金持ちとか、そんなふうには見えませんでした。
明るく気さくな彼女の雰囲気にそんな様子はみじんも感じなかったのです。
人は本当に見かけによらないものです。
『ブラジルからの留学生』ということをよぉーく考えれば、お金持ちであることを 想像するのはむずかしくないのですが…。リサの意外な正体にも驚かされましたが、本では読んだことのあった ブラジルの貧富の差を目の当たりにしてこれまたビックリです。
サンパウロの町外れにあるファべ−ラのような貧しい一角があるかと思えば、豪華な内装の家もあります。
「…同じ国、同じ町に住んでいながらここまで生活に差が出てしまうものなのか…。」
万年中流意識の日本人、重太はまた大きな衝撃を受けました。
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不思議な会話 ![]()
[ サンパウロ ] 1995年2月27日 ★★
「ようこそ。 重太くん、久しぶりね。」
「お世話になります。」
リサのお母さんとは、アメリカに留学した際、卒業式で会って以来、5年ぶりの対面です。「リサ、お二人にシャワーでも浴びてもらったら?」
「ペロ、オンジ フィカ トアーリャス?」
「棚の中にあるじゃない?」
「シン。」
お母さんは日本語でリサに話し掛け、リサはポルトガル語で応えます。
それにまたお母さんは日本語で応え、それにリサはポルトガル語で応えます。
はたから見ると成立し得ない会話のようですが、意味はきちんと通じているらしいのです。というのも、リサは日本語を話せないものの、言っていることはわかる、とのことなのです。
「不思議だ…。」
横でそれをずっと聞いていた重太は、それぞれが違う言語で話す会話を聞きしきりに首をかしげていました。
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日本から一番遠い日本 [ サンパウロ ] 1995年2月27日 ★★★
「じゃぁ、ダンスパーティーに行こう!」
その夜、リサ、カレン、エジモンらと日系人が集うディスコへ出かけました。体育館の様な講堂に大音量のディスコ音楽が流れます。
薄暗いホールでは赤、青、黄色などのスポットライトが場内を照らします。
ところせましと人が場を埋めつくし、リズムにあわせ大暴れしています。
雰囲気はアメリカの高校のダンスパーティーの様でした。しかし、まわりを良く見回すと、みな、重太やアツと同じ日本人の顔をしています。
日系人のダンスパーティーに来たのですから当たり前の状況なのですが、 こんなにもたくさんの日系人がいるのか、と改めて驚かされました。
「日本から遠い場所にも日本がある…。」
はじめのうちは異国の地で母国に巡り会えた、なんともうれしい気がしました。激しく体を揺らし、夜通し踊りくるう若者。
前の人の肩に両手を乗せ、ラインダンスで場内を移動する集団。
酔っぱらって陽気に大声でしゃべる面々。
分け隔てなく仲良くじゃれあう男女。そこにいる人々の顔は日本人。
しかし、雰囲気は欧米スタイルのダンスパーティー。
話される言葉はポルトガル語。
人々の行動、振る舞い方はブラジル風。
外見は日本人と似ていても、明らかに様子に違いがあります。(ここは一見日本っぽい感じがするけど、なんだか全然違う。
自分は日本人だからか、なんだかこの場には溶け込んでいない。
この場にいる自分は一体何ものなんだろう?)異国で触れた日本の断片。
その中に見え隠れするブラジル。
そこに足を踏み入れた日本人重太。
色々な要素が複雑な気持ちとなって重太に襲い掛かりました。
目次へ
ブラジルに住むたくさんの日系人に触れ、『日本人とは?』という問いを投げつけられた感じがしました。
なかなかその問いの答えの出ないまま、重太はブラジル訪問最大目的のカーニバルを迎えようとしています。
ブラジル95 [2、ブラジルと日本編] 目次
・ブラジルにて大歓迎される ………ものすごくもてなされる夕食会・海外で通じる日本語 ………異国の地で通じる日本語
・世界一うまいコーヒー ………これを飲まずにいられない!
・世界一うまいホットドッグ ………これを食べずにいられない!
・意外な無料配付物 ………こんなものもらうなんて…
・世界一うまいピザ ………意外な掘り出し物
・ブラジルの人々 その2 ………アミーゴの国を実感
・貧富の差 ………ブラジルの実状と大自然を目の当たりに
・うわぁーー!! ………ブラジルの実状と大自然を目の当たりに
・イグアペのカーニバル ………小規模ながらインパクトのあるイベント
・悠久の時の中で ………急ぐことなく優雅に流れる時
・朝のイグアペ ………静かな田舎町を散歩
・ビーチへの道 ………100万円で買えるものとは?
・ビーチにて ………人気の少ないビーチにて
・無免許運転 ………バイクでイグアペの町を探索
・メッセージ ………日系人の熱い想いを受け取る
・お嬢様なの? ………リサの意外な実態
・不思議な会話 ………日本語とポルトガル語による会話
・日本から一番遠い日本 ………同世代の日系人のダンスパーティーにて
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