
重太にとって初めてのヨーロッパ。中世の町並みや教会、お城など見ることができ、感激モノでした。
さらに旧友との再会あり、新たな出会いありと、充実した日々を過ごせました。
その40日におよぶイタリアでの滞在もいよいよ終わろうとしています。
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最後の晩さん 1993年9月8日 [シエナ] ★★★
夏が終わりかけの9月の昼。
シエナの日ざしはまだまだ強いものでした。「元気でね。折り紙、ありがとう!」
「またね!」
一緒にクルージングのお供をさせてもらったステファーニャは、フィレンツェの大学の寮へと戻って行きました。
ここ、イタリアでも夏休みがもうすぐ終わる様です。
そして、重太のイタリア滞在の日もいよいよ最後となりました。
「今日はおごらせて下さい!」
40日間お世話になったアンドレ家族を夕食会に御招待しました。
銀行員のアンドレのお父さん。
昼に銀行から戻って来て、シャワーで汗を流し、上半身はだかのまま昼食をとります。
「ワインを飲んだのに、すぐ車で再出勤ですか?」
「イタリアじゃ警官だって、昼飯と一緒にワインを飲むさ!」
そう言って、再び出社して行く姿がとても印象的でした。
小学校の先生のお母さん。
英語は話せないのですが、いつも重太が分かるようにジェスチャーを交え、 ゆっくりとしたイタリア語で話してくれました。
「イタリアではパンツにもアイロンをかけるんだ!!」
「スィー! スィー!!」(そうよ! そうなのよ!!)
そんなことに驚いた重太に笑って応えてくれました。
元ミス・トスカーナ州のお姉さん。
英語もフランス語も話せる才色兼備のお姉さんは、シエナ周辺の名所を案内してくれました。
グラッパ一気飲みをした後、もう一杯勧められた際、
「無理しなくていいんだからね。」
と気づかってくれた心優しいお姉さんでした。
「イタリア女性、最高!」
彼女のおかげで、重太のイタリア女性への評価はかなり高いです。
そしてアメリカ留学時代からの悪友アンドレ。
彼がいたからこそ、同年代のイタリア人の生活を垣間見ることが出来ました。
(知らなくてよかったものまでも含めて…。)
充実したイタリア滞在はアンドレ一家なくして、あり得ませんでした。「何が楽しかった?」
「パリオはすごかった! また見たいです。」
「また、遊びに来てね。」
「はい、日本にも遊びに来て下さいよ!」
トスカーナ地方のキャンティワインが最後の晩さんに花を添えました。
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最後の集会 ![]()
1993年9月8日 [シエナ] ★★★
「よし、シゲチャン、行くぞ!」
「??」
最後の夕食後、アンドレが重太を外へ連れ出しました。
「帰っちゃうのか?」
「うそだろ? ずっとここにいなよ!」
ルーカ、ジョルジョ、エマヌエレ、マルタ、マリッサ。
この滞在で出会ったアンドレの友達が重太にお別れを言いに集まってくれたのでした。「おれ、えいご、はなせない、でも、たのしかった。」
たどたどしい英語でジョルジョが重太に話し掛けました。
「イタリア語、もっと、勉強、また、しえな、くる。」
一生懸命知りうる限りの単語をつなげて、ジョルジョに返事をしました。
「日本語、ひらがな講座、面白かったよ!」
マルタが言いました。「日本人も面白い人がいるんだな。」
「変な奴、だろ!」
「ぽるか まいやーれ! アンドレ!」
男どもは普段と変わらず、バカ笑いをしています。もう夜も遅いと言うのに、誰一人この場を去ろうとしません。
「…シゲタ、メールちょうだいね。」
マリッサが静かに重太に近寄り、電子メールのアドレスをくれました。
「うん、マリッサもメールだして!」
マリッサは少し寂し気な笑顔でうなずきました。
彼がイタリア放浪の旅からシエナに帰ってくる度、駅まで迎えに来てくれた 彼女には感謝の気持ちでいっぱいです。
イタリア語を教えてもらったり、一緒にレストランに行ったり、と彼女とは思い出もいっぱいです。「みんな、いつでも日本に遊びに来てくれよ!」
「おう! シゲタもまた来いよ!」
「グラッツィエ! チャオ!」(ありがとう! ばいばい!)
ひとり一人と抱き合い、肩をたたき、楽しいイタリア人との最後の瞬間は過ぎて来ました。
なんだか、またすぐみんなには会えそうな気がしたので「お別れ」という感じではありませんでした。
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旅立ち ![]()
1993年9月8日 [シエナ] ★★★
シエナで出会ったみんなとの最後の時をすごし、アンドレと重太は家に戻りました。
シエナで、そしてイタリアでの最後の夜となりました。
「シゲチャン、今度会う時まで、これを持ってろよ!」
アンドレが1000リラ札を2つにちぎりました。
「………もちろん!」
ちぎられた1000リラ札を片方ずつ二人は分け合いました。
なんだか、ちょっと映画みたいな別れのシーンです。
はたして彼は今でもこのことを覚えているのでしょうか?(片側1000りら)の写真。
今回のイタリア訪問は、『旅をしに来た』、というより、『生活をしに来た』感じがします。
明日、目覚めたら、またみんなでカンポ広場を練り歩き、ワイワイくだらないことでもしていそうな気さえします。
9月9日、早朝。
まだ日がのぼり切らないシエナ。夏休み明けのテスト勉強で疲れているアンドレを起こさず、重太は帰国の途についたのでした。
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ソウルにて ![]()
1993年9月9日 [ローマ → チューリッヒ → ソウル] ★★★
シエナから列車でローマへ。
ローマのフェウミチーノ空港を出発した飛行機は、行きと同じ経路を逆にたどります。まず、スイスのチューリッヒに降りました。
ただの乗り換えなので、残念ながら空港からは一歩も出れません。
重太はそこで来た時と同様にしっかりと用を足しました。
スイスへの置き土産はこれでばっちりでしょう。その後、飛行機はソウルのキンポ空港へ向かいます。
「懐かしのソウル大学だ!」
「昼休み遊んだグラウンドも見える!」
「寝泊まりした生活館だ!」
着陸直前に、昨年、3週間過ごしたソウルの町をじっくりと眺めることができました。キンポ空港では3時間程時間がありました。
「そうだ! ハミャンに電話しよう!」
アメリカ留学時代の韓国人の友、ハミャンに電話をかけました。
「オディソ チョナ カードルル サルス イッスムニカ?(どこで電話のカードを買えますか?)」
大学で1年半ならったけど、ほぼ忘れかけている韓国語をがんばって使って聞いてみました。
すると、空港から市内は通話がただとのことです。
これはラッキーです。
料金を気にせず話まくることにしましょう。
「ハミャン、元気か?」
「シゲタ? どこにいるの?」
「キンポ空港! イタリアの帰り! アンドレに会って来たよ!」
「空港から出れないの?」
「無理、もうすぐボーディングの時間だし。」
「そうか…。 残念。」「イタリア、おもしろかったぞ!」
「アンドレ、変わってなかったよ!」
アメリカ留学仲間との1年ぶりの会話は弾みます。「シゲタ、なんか、英語がうまくなったね。」
たしかに、言いたいことが英語でどんどん出て来ます。「#$&!!!」
電話ボックスの脇で、おばちゃんが怒ってます。
早口韓国語で騒がれてもさっぱり分かりません。
きっと電話を使いたいのでしょうが、こっちは1年ぶりに級友と話しているのです。
邪魔はしないでもらいたいところです。
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またまた、浦島太郎状態? 1993年9月9日 [日本] ★★★
ソウルでは、電話でですがハミャンと楽しい一時をすごせました。
そして、重太は無事日本に帰って来ました。
数本のワインのお土産とわけのわからないイタリア語を多数引っさげての凱旋帰国です。「あらら?」
40日離れていた日本は何やらちょっと様子が違います。
家の近くに大型紳士服店がいつの間にか出来ていました。
たった40日しか日本を離れていなかったのに、また浦島太郎状態になってしまった様です。「おかえり。」
「あれ?」
家に帰ってみると台所がきれいに改装されていました。
我が家なのに我が家でない、変な感じです。「うわぁ…。」
さらに重太の部屋の畳も変わっていました。
真新しい畳のいい香りが部屋中いっぱいです。
台所の改装でいらなくなった棚までおまけに付いていました。
「…。 ここ、俺の部屋だよな…。」
海外に行って帰ってくる度、逆カルチャーショックを味わっているような気がします。「今年は夏だった気がしないよ。」
後日、久々会った大学の友達がぼやきました。
日本は夏の間、ずーーーーっと雨だった様です。
夏休みの日記を最後にまとめて書く小学生には、かえって有り難かったことでしょう。
遺跡や歴史ある町に直接触れる旅。
たのしい人たちとの出会いと異文化体験。
伝統行事やおいしい食事との遭遇。
イタリアで過ごした刺激的な40日間。
これらの体験が重太を次の旅へ、新しい冒険へと導くきっかけとなったのでした。
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次の『じろおむんど』は? ★
じろおむんど ブラジル編
次の『じろおむんど』は1995年、ブラジル編。
サンバに燃えるサンパウロへ!!このサイトのタイトル『じろおむんど』の名の由来が明らかに!!
2002年 10月下旬公開予定!
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イタリアからの帰国 -目次-
・最後の晩さん ………お世話になったアンドレ一家を夕食に御招待・最後の集会 ………シエナで出会った友達との最後のひととき
・旅立ち ………いよいよ日本へ帰国
・ソウルにて ………1年ぶりに級友と電話で
・またまた、浦島太郎状態? ………日本の変化にとまどう
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