
1981年8月12日。
たった8ヶ月のシンガポールでの滞在を終え、今度は日本から一番遠い国、 アルゼンチンへ少年は降り立ったのでした。
少年の意志とは全く関係のないところで彼の世界浪夢記 "Giro o Mundo"『じろおむんど』はどんどんすすんでいきます。
[ 1、イントロダクション ] [ 2、生活編 ] [ 3、TV、現地交流編 ] [ 4、旅行編 ] [ 5、帰国編 ]
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そして、日本の裏側へ 1981年 8月12日 ★★
アメリカのニューヨーク、ブラジルのリオデジャネイロ。
飛行機を2度も乗り継いで、9才の少年は日本の裏側にあるアルゼンチンの首都=ブエノスアイレスへやって来ました。「さ、さむい!!」
日本を夏に旅立ったはずなのに、2日後にはなんだか寒い所にたどり着いてしまいました。
「…8月なのに、なんでさむいの?」
なんだかわけのわからない事態にまた頭はコンガラがります。「…いったい、アルゼンチンってどんな国なんだろう?」
2度目の海外移住なだけあって、少年にもちょっとはゆとりができた様子です。
異国に連れて来られて大泣きするようなことはありませんでした。「…………うっ。」
長時間のフライトのため、飛行機酔いしたお兄さんが横でくたばっています。
2度海外移住しても、これには慣れない様です。
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アルゼンチンってどんな国? ★★★
本屋の旅行コーナーで、なかなかお目にかかれないアルゼンチンのガイドブック。
日本ではそれ程なじみのある国とは言えないようです。
アルゼンチンとは一体、どんな国なのでしょう?◆アルゼンチンの公用語
スペイン語です。
発音の面でスペインで話されるスペイン語とは多少違う様です。ちなみにスペイン語で『アルゼンチン』という国名は『あるへんてぃーな』と発音します。
『アルゼンチン』という日本語読みは日本人が『Argentine』というアルファベット表記だけをみてカタカナに表した結果、 現地の発音とは似ても似つかぬものになったものだと推測されます。◆アルゼンチンの国土
南北3694km、東西の最大幅1420km。
国土は約276万平方km。
日本全土の約7倍の広さを持った国です。
広大な国土を持つため、亜熱帯、温帯、乾燥帯、寒帯と4つの気候帯があります。
国土以外にも、少年はアルゼンチンでいろいろとスケールの大きさを見せつけられますが、それは後ほど。
(ステーキ大国、インフレ王国、ラ パンパ、ラプラタ川)◆アルゼンチンの人口
3418万人。(1994年)
国土は日本の7倍もあるのに、人口は日本の4分の1だなんて!
◆アルゼンチンの位置
アルゼンチンは南米にあります。
ブラジルの南、チリの東、南極の北、大西洋の西です。アルゼンチンは南半球にあります。
北半球と南半球では季節が逆になります。
つまり、日本で夏の時期、アルゼンチンでは冬です。
アルゼンチンでクリスマスは夏にきます。
アルゼンチンのクリスマスカードには『トナカイとそり』でなく『いるかとヨット』が描かれています。
(こんな冗談、信じないように…。)◆南半球にいるということ
夜空を彩る星座にも違いがあります。北極星はアルゼンチンからは見えません。
オリオン座のベテルギウスとリゲルは、日本から見る場合と位置(上下)が逆になります。『南へ行くこと』は、日本では一般的に暖かい地を目指すことになりますが、 アルゼンチンでは『南極を目指す』こと、つまり寒い地を目指すことになってしまいます。
こうして北半球と南半球の違いをみてくると、我々日本人が当たり前と思っている『常識』や『習慣』も 場所が変わればそうでもないことがわかってきます。
太陽も、日本だと南側を通って沈んで行きますが、アルゼンチンでは北側を通って沈んで行きます。
ちなみに、いくらアルゼンチンでも太陽は西からは昇りません。
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サッカー王国、ワールドカップ編 ★★★★
アルゼンチンといえば、『サッカー』で思い出される国の一つかも知れません。
ワールドカップを2度制した世界のサッカー強豪国の1つです。少年がアルゼンチンに住んでいた1982年。
ワールドカップ=スペイン大会が開催され、アルゼンチン優勝に特に大きな期待が寄せられていました。
代表チームにあの有名なサッカー選手、神の子『マラドーナ』がいたからです。
(マラドーナ、1982 = 下の列、右から2人目)
しかし、厳しいマークに対し憤慨したマラドーナは、ブラジルの選手を蹴って退場になりました。
そのせい?かアルゼンチンは、2次リーグで1勝もできず敗退…。
「………。」
少年がアルゼンチン優勝の感動をアルゼンチンで味わう事は出来ませんでした…。アルゼンチンがワールドカップで優勝したのは、1978年地元開催の大会と1986年メキシコ大会。
少年がアルゼンチンで生活していた時期をわざわざ避けるような気のつかいっぷりです。
なんにせよ、サッカーが強い国である、ということがアルゼンチン人の誇りの一つであることには違いありません。
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サッカー王国 ワールドカップ番外編 ★★★★
「サッカー」に欠かせないものはインチャーダス(=サポーター)です。
お気に入りのチームや、自分の国の代表チームに勝利を信じて大きな声援をおくり続けます。
各チームによって、様々な応援歌、応援スタイルがあり、それを見るのもサッカーの楽しみ方のひとつです。♪ ばもばーもー あるへんてぃーなー!(いけ! アルゼンチン!!)
♪ ばもばーもー あ がなーる!!(勝利をめざせ!!)
アルゼンチン代表チームの応援歌は1982年大会でも歌われていましたし、 98年フランス大会でも聞くことが出来ました。
アルゼンチンの人は国歌は歌えなくても、この歌は誰も歌えるはずです。1982年ワールドカップスペイン大会当時、アルゼンチンには代表チームを応援する「クレメンテ」というキャラクターが登場しました。(右イラスト参照)
それ以前からいたのか、その後も続いているのか知りませんが、その当時はとにかくいました。♪ みれ! みれ! け ろくーら!!
♪ みれ! みれ! け えもしょーーん!
♪ てぃれ! てぃれ! ぱぺりーとす!
♪ ばもす あるへんてぃーな け そ せ かんぴおん!
(見よ! この狂気を! この感動を!
紙吹雪を投げよう!
さぁ、アルゼンチン! 優勝をめざそう!)
<超感覚的異訳>黄色と黒のしま模様の頭と胴体と両足のぬいぐるみのキャラクタ−が大勢で大合唱する様子がテレビでよく放映されていました。
何故か一匹だけ黒くて頭の上に骨をつけたキャラクターが交じっています。
かわいいキャラクターはそれだけで子供の心をつかんでしまうものです。クレメンテは映画にもなり、少年はスペイン語が分かりもしないくせにそのブームにのって見に行ってしまいました。
「うそぉ…。」
そこでクレメンテのイラストのついたキャラクターグッズ(小さな色鉛筆とケース)を買ってみると、なんとそれは、日本製ではありませんか!
『みやげ輸入品の洗礼』を日本の裏側でまで受けることになるとは…。
アルゼンチンで高いお金を出して色鉛筆を買ったら『日本製』だったなんて…。
クレメンテのレコードも発売されました。
(1982年当時は『CD』ではなく、『レコード』です!)
派手な太鼓。
大合唱、大歓声。
出場各国の雰囲気やにぎやかさをかもしだした応援歌の中に、カメルーンのものもあります。♪ ぼぉ〜ろん ぼんぼん! ぼぉ〜ろん ぼんぼん!!
♪ じょ そい えりんちゃ で か〜めるん!
(僕は カメルーンのたった一人の応援団!)太鼓一つ、一人の男性がぼそ、っと歌います。
あきらかにカメルーンをバカにします。
確かにサッカーは、南米とヨーロッパの国々が強いというイメージがあります。
「アフリカのカメルーンなんてとるにたらない相手だ」と言うことなのでしょう。
しかし、こけおろし、バカにしていたカメルーンにアルゼンチン代表チームは1990年イタリア大会の初戦で負けてしまうのです…。
ディフェンディング・チャンピオンとしてのぞんだ大会の初戦での敗戦は、アルゼンチン国民には大きなショックだったことでしょう…。
それでも、その大会アルゼンチンは準優勝。
優勝候補にあげられながら、1次リーグで敗退した2002年日本韓国大会よりずっとましです。98年フランス大会で日本も同じようにアルゼンチン相手に大金星をあげてほしかったものですが…。
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サッカー王国、国内編 ★★★
首都ブエノスアイレスの公園や道路では、小さな子供から大人までボールを蹴って遊んでいます。
手を使わずにボールを相手ゴールへ入れるだけ。
バットやグローブ、スティックやヘルメット、ラケットやネットなどの道具も必要ありません。
ボールっぽいものと、ゴールの目安となる空き缶でもあれば、十分サッカーはできます。
単純明解、誰でもどこでも気軽に楽しめる。
それが、このスポーツの最大の魅力なのかも知れません。アルゼンチン人の地元クラブチームへの入れこみ方はものすごいものがあります。
週末に行なわれる試合の度にインチャーダス(=サポーター)同士が喧嘩し暴動になっているといっても過言ではありません!
自分のひいきチームが負けたら次の日は勉強や仕事が手につかないほど。
それほどサッカーはアルゼンチンの人たちの生活に根付いているのです。テレビで国内リーグの中継は数時間遅れてから放送するそうです。
でないと、カンチャ(=スタジアム)に足を運ぶ人が減ってしまうからだとか。
経済問題を抱えた国なので、カンチャへいくメリットをはっきりさせるのはいい事でしょう。
しかし、真のインチャーダスは自分のチームが勝利する姿を生で見たいとお金をかけてでもカンチャへ足を運ぶはずです!「ゴ−−−−−−−ル!」
点が入った時、TVのアナウンサーの声はすさまじいものがあります。
息が続く限りここぞと言わんばかりの大声で叫び、勝利への貴重な1ゴールを喜ぶのです。
日本のアナウンサーがこれをやると、「うるさい!」と日本中から抗議の電話がかかってくるようです。「ゴル、ゴル、ゴル、ゴル! ゴール デ マラドーナ!!」
続いて小刻みにゴールと繰り返し、最後に得点者の名を言います。
誰が点をいれたか、とても分かりやすいです。お国柄のでた応援、TV中継。
サッカーへの情熱がものすごく伝わってくる国、それがアルゼンチンです。
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サッカー王国、少年の夢 その1 ★★★★
せっかくサッカー王国アルゼンチンに来たのです。
生でサッカーを観戦し、その興奮を味わいたいものです。
「アルゼンチンが勝つところを見たい!」
しかし、カンチャはあぶなく小学生が簡単に行ける場所ではありません。
少年は2年半のアルゼンチン滞在中、現地で1度もサッカーの試合を生で見る事はありませんでした。しかし、願っていれば、夢とは叶うものです!
少年の夢が叶ったのは、約16年後の1998年、ワールドカップフランス大会でのことです。
アルゼンチンが勝利をおさめた国は…
ワールドカップ出場を果たした我がサッカー日本代表でした…。
喜んでいいものか、悲しむべきか…。
悩むところです…。
( → 詳しくは、『フランス98』をご覧下さい。)
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サッカー王国、少年の夢 その2 ★★★★
「マラドーナのプレーを見たい!」
しかし、ワールドカップ終了後にマラドーナはスペインに移籍してしまいました。
少年はアルゼンチンにいながら、アルゼンチンでマラドーナの勇姿を見る事はできませんでした…。しかし、願っていれば、夢とは叶うものです!
その夢がかなうまで20年もかかるとは本人も思っていませんでしたが…。
( → 詳しくは、マラドーナ引退試合観戦記をご覧下さい。)
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ステーキ大国 ![]()
★★★★★
でかい! うまい! やすい!
ステーキに関しては文句なしのアルゼンチン。
豚肉の方が高いという、日本では考えられないお肉事情。
国が違えば、食文化も物価も全然違うものです。ステーキは厚さが2cmはあるかと言うくらいにスライスされ、焼かれます。
調味料は塩とコショウだけ。
それだけで十分うまいのです。
広大な土地で育った牛の天然のうまさなのでしょうか。
肉はやわらかく、炭火で少しこげた部分のあのさくさく感がたまりません。腸や血詰めのソーセージ(モルシージャ)、牛の乳など日本ではお目にかかれないメニューもあります。
少しくせがありますが、一度食べ慣れてしまうと病みつきになってしまいます。
レモン汁をかけた腸の肉(チンチュリン)は絶品です!!!
あの尿くささ(?)がなんともたまらないのです。他にあご肉のモジェーハ、ソーセージタイプのチョリソもはずせません!!
「アサード」にも驚かされます。
「アサード」とは牛を一頭、ばっさり左右に開き、どーんと網の上にのせそのまま丸々焼いてしまうことです。
牛を「あじのひらき」状態にして網焼きにする、というと分かりやすいでしょうか。
なんともスケールが大きい話です。レタス、トマト、たまねぎなどにビネガーをたっぷり混ぜたサラダ(エンサラーダ・ミクスタ)がこの肉料理には なんだかよくあいます。
そして、アルゼンチンの美味しいワインとともに大勢で食べる肉料理ほど楽しい食事はないでしょう。
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インフレ大国 ★★★★★
今でもそのメカニズムはよくわかりませんが、アルゼンチンはインフレの激しい国です。インフレとは簡単に言えば、とにかく物価がどんどんあがってしまうことです。
去年1、000ペソだったアイスクリームも今年は10、000ペソになり、来年には100、000ペソになってしまうような状況のことです。
物価が1秒ごとに値上がりしてると言っても過言ではないかもしれません!例えば『新しい運動靴を買いたい』とします。
欲しいデザインで、サイズがあうものを見つけたら、すぐその場で買うべきなのです。
「あっちの大通りの店の方が安いかも」
などと思い、移動している間にも物価があがってしまうくらいのインフレのため、値段はその瞬間が一番安いのです。
即断即決がアルゼンチンでの買い物のコツなのです。(1981年当時)
インフレのおかげでお札の0(ゼロ)の数も年々インフレしている気がします。(写真、右=百万ペソ札)
少年がアルゼンチンに滞在している間に「ペソ(=通貨単位)のゼロを4桁きる政策」がとられました。
世に言う『デノミ』、デノミネーションです。
具体的には10、000ペソを1ペソとしよう、ということです。
デノミを実施するのは、お札にゼロがうじゃうじゃあって分かりにくいのと、レジの表示桁数はインフレと一緒に増えないためでしょう。そうしたからといって、インフレがなくなるわけではなさそうですが…。
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タンゴ発祥の国 ★★
アルゼンチンと聞いてタンゴを忘れるわけにはいきません。
タンゴ発祥の地として有名なボカ地区、カミニートは昔アルゼンチン1の港町でした。
船乗りや移民達から官能的なダンス、タンゴが生まれたといわれています。
『ボカ』といえば、サッカーファンには、マラドーナが所属したチーム名としての方がなじみがあるかもしれません。
『カミニート』一帯の家の壁は赤や黄色、緑やピンクといったカラフルな色に塗られています。
日曜日には路上バンドネオン弾きと男女のダンサーがタンゴを踊っていたりします。
タンゴ発祥の地ならではの風景です。
タンゴ好きの人なら一度は訪れてみたい場所でしょう。
タンゴとお酒を楽しめるナイトスポットもたくさんあるみたいですが、小学生の少年には無縁の世界でした。
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ラ パンパ ★★
地理の授業で多分一度くらい耳にしたことある言葉『ラ パンパ』。(もしくは『パンパ』)
小さな文字でこのページを読んでいる人は読み違えるかも知れませんが、
ここでの話題は『ラ パンパ』です。
陽気なメキシコ音楽『ラ バンバ』ではありません。ラ パンパとは、アルゼンチンに広がる大草原のことです。
小麦、トウモロコシなどの生産がさかんに行われています。ブエノスアイレスから車で郊外へ1時間も走ればパンパを見ることができます。
見渡す限りの大草原では、日本でなかなかお目にかかれない『地平線』を見ることができます。
地球の大きさを実感すると共に、360度『地平線』に囲まれると、 「地球は平らである」と信じていた大昔の人々の弁護をしたくなります。
パンパには牛や羊がたくさん放牧されています。
ガウチョと呼ばれるカウボーイが馬にまたがり牛や羊を率いている姿はなんとも絵になります。
アルゼンチンみやげに革製品が多いのも、このパンパによるものでしょう。
「へぇ〜! おもしろい!」
少年は『ソルティーハ』と呼ばれるガウチョの競技に大変興味を持ちました。
それは、ガウチョたちが鉛筆サイズの木の棒を持ち、疾走する馬にまたがり、 パン食い競争のようにぶらさげられた10円サイズのリングにその棒を通す、という単純な競技です。揺れる馬上でリングに棒を通すのは至難の技でしょう。
少年も一度挑戦してみたかったのですが、まだまだちっちゃい小学生にはやらせてもらえませんでした。
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ラプラタ川 ★
アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスとウルグアイの間に『ラプラタ川』が流れています。
しかし、その川は『海』なのです。わけのわからない説明ですが、ラプラタ川は対岸が見えない程『広い』川なのです。
川幅は河口で220kmもあるとのこと。
実に東京 − 静岡間をゆうに越す長さ!
それでも『川』なのだそうです。上流へ行けば確かに俗にいう「川」らしい様子を伺えるらしいのですが、 首都ブエノスアイレスから見えるラプラタ川は『海』としか言い様がありません。
「これはなんて言う名の海ですか?」
初めて見た人が何も知らずにこう聞いても、全然おかしくありません。
これを川と言いはる方がおかしいかもしれません。
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地震のない国 ★
ブエノスアイレスの街の外れに建設中のビルがありました。
壁がうすく、ひよわそうな構造です。
そのくせ、20階以上ありそうでした。でも、これで全く問題がないです。
『地震』がないブエノスアイレスでは、耐震基準など気にせずどんな形のビルでも 建てられることでしょう。
そもそも『耐震基準』なんて言葉すらあるかどうか、あやしいですが。
地震が当たり前の日本人では考えられない建築事情です。でも、もしちょっとした地震が起きたら…。
ものすごく大きな被害がでてしまいそうな気がします。
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道について、その1 ★★★
アルゼンチンでは、車は日本と反対側、右側を走ります。
別に南半球だからというわけではありませんが。慣れるまでは角を曲がる度に
「うわ、逆側の車線を走り出しちゃったよ!」
とビックリドッキリしてしまうものです。
首都、ブエノスアイレスは街が碁盤の目のように道がはしっています。
大きな幹線道路(アベニーダ)は、車が両側をびゅんびゅん走っていますが、 ちょっと街はずれの道路(カージェ)は、ゆったりとした道が一方通行として使われています。その一本隣の道が反対方向へ一方通行へ、そのまた一本隣がさらに反対への一方通行…、と言う具合になっていて、 行ったり来たりできるようになっているのです。
車に乗っていて来た方向に戻りたかったら、とにかく一本隣の道へ行けばいいのです。
道には「7月9日通り」、「サン・マルティン通り」などそれぞれに名前が必ずついています。
歴史的事象に関連した名前が多いようです。
ヨーロッパの国々を参考にしたのでしょう。
番地も道の一方が偶数、反対側は奇数が順番に並んでいます。
こういった規則正しく町が整備されていると、初めてそこへ来た人にとって大変わかりやすく有り難いものです。ですから、家の場所を教えるのも簡単です。
碁盤の目をささっと書いて、その近辺の道の名前を2〜3書きます。
住所(たいてい番号)を書いて、
「この赤いレンガのマンションの6階」
といえば、大抵の人は間違えずにそこへたどり着けるはずです。
方向オンチの人にもってこいの町と言えます。
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道について、その2 ★★★
首都、ブエノスアイレスには「7月9日通り」(ぬえべ で ふーりょ)という大きな大きな道があります。
1816年、7月9日の独立にちなんで名付けられたそうです。
片側8車線、両側で16車線。
道幅が144mもある世界1幅の広い道です。
道を渡り切るのにカールルイスでも早くて14秒ほどかかってしまうことでしょう。町中の一方通行の道(カージェ)でも大抵4車線ほどあります。
とは言っても、その両側は車がずらーっと駐車してあり、車が走るのはまん中2車線分しかありません。
ま、一方通行には十分すぎる道幅ですが。両側にとめてある車は隙間がないくらい、ぴったりビッシリと駐車されています。
アルゼンチンの人はみんな『縦列駐車のプロ』なのです。
少しでも駐車できそうなスペースを見つけたら、バンパーをフル活用して、前後の車を動かしこじ開けて車をとめます。
一説に寄ると、パーキングの際、サイドブレーキをひいてはいけないらしいです。
それも、ずーっと平野のブエノスアイレスだからできる芸当です。
坂の多いサンフランシスコでは絶対無理でしょう。
時折、駐車してある車の上にペットボトルが置いてあることがあります。
それは、その車を「売ります!」という意味だそうです。
別に近所に出没するネコ対策というわけではないみたいです。
道は石畳です。げんこつほどの大きさの石が隙間なく敷き詰められています。
昔、貿易船がヨーロッパからくる時、軽すぎる船の重しにしてた石だと言われています。
ブエノスアイレス中の道という道に石が敷き詰められているのを見ると、貿易先の国の石を全部もって来たのではないか、と 思えてしまう程です。
道に関してだけでも、いろいろ書けてしまう国、アルゼンチン。
もし、訪れることがあったら『道』と言う観点から街を眺めるのも面白いかも知れません。
足元に注意してみると、犬の糞がとにかく多いことにも気付くことでしょう。
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当たり前のことですが、アルゼンチンでの生活は日本とは全然違います。
とまどいや失敗の中で一体少年はどんなことを感じたのでしょう?
アルゼンチン81 -目次-
- [ ◆1、イントロダクション◆]
- ・そして、日本の裏側へ ………はるばるアルゼンチンまでやってきました
・アルゼンチンってどんな国? ………公用語、国土、位置などについて
・サッカー王国、ワールドカップ編 ………2度のワールドカップ優勝国
・サッカー王国 ワールドカップ番外編 ………アルゼンチンサッカーの応援歌について
・サッカー王国、国内編 ………市民とサッカーの結びつき
・サッカー王国、少年の夢 その1 ………アルゼンチンの勝利を見たい!
・サッカー王国、少年の夢 その2 ………マラドーナのプレーを見たい!
・ステーキ大国 ………アルゼンチンの代表的食文化の紹介
・インフレ王国 ………経済事情を少しばかし
・タンゴ発祥の国 ………タンゴ発祥の地を訪れる
・ラ パンパ ………大草原、パンパとガウチョについて
・ラプラタ川 ………川なのか、海なのか?
・地震のない国 ………建設現場を見て
・道について、その1 ………道や住所について
・道について、その2 ………路上駐車関連
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