家にいる時間も多く、テレビを見る機会はたくさんありました。
そこからお国柄というものも垣間見えるものです。
また、これまでは比較的受身的だった少年の行動が、ここでは少し違った展開を見せます。
[ 1、イントロダクション ] [ 2、生活編 ] [ 3、TV、現地交流編 ] [ 4、旅行編 ] [ 5、帰国編 ]
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アルゼンチンのテレビ ![]()
★★★
朝起きて、顔を洗って、朝食を食べ、学校へ行く。
学校で日本の文部省が定めたカリキュラムにのっとった義務教育をうけ、お家へ帰る。
これでは、日本にいようが、アルゼンチンにいようが大差はありません。アルゼンチンにいて、日本と根本的に違ったのはテレビ番組でしょう。
「なに当たり前のことを言ってるんだか!」
確かにそうなのですが、これが意外と注目すべき点です。友だちと遊びたくても、簡単に行き来できる場所にはみんなが住んでいません。
日本人社会で暮らす10才の日本人小学生の少年に、現地の人たちと何かをするツテなどありません。
暇で暇で仕方ないから塾に通いたい、とたわごとを言っても塾などありません。となると、遊ぶことが商売の小学生は、家でテレビを見るしかないのです。
当時、ブエノスアイレスでは、1、3、7、13番と、チャンネルは4つしかありませんでした。
16:00ころから番組が始まる、と言うかなりアバウトなスタンスでどの局も放送をしています。
生放送の場合だと、コメントしてる人が話を終えるまで、コマーシャルには絶対行きません。「テレビとは、そういうものなのか。」
少年はアルゼンチンのテレビを見て育ったので、これが普通と思っていました。後に日本に帰国した少年は、日本のテレビが話の途中だろうとなんだろうと時間通りにばっさり番組を切る 『かんだた、蜘蛛の糸』スタンスに逆カルチャーショックを受けたのです。
口と音声が微妙にずれてる日本のアフレコテレビコマーシャルも変に感じられて仕方ありませんでした。
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アルゼンチンのテレビ番組 ![]()
★★
テレビはその国の文化や情報を映像と言葉でたくさん与えてくれます。
話せもしない言葉に一つ一つ対応しなくていいのは、テレビの最大の魅力でした。
ただ、お気楽に「見ているだけ」でいいのです。ここで少しアルゼンチンのテレビ番組を紹介してみましょう。(81、82、83年当時)
これからの多チャンネル時代で、このどれかを日本で放送してはくれないものでしょうか。
タイトル 「セリョリータ マエストラ」 「ロス スィエン ディアス デ アナ」 タイトルの直訳 女性独身先生 アナの100日 内容 小学校を舞台にした連続ドラマ。(?)
内容は全然理解できませんでしたが、口笛ベースの明るいオープニングテーマは今でも頭にこびり着いています。
その曲にあわせて出演している生徒の紹介映像が続きます。
そのポーズのわざとらしさがいい味をだしていました。余命あと100日と診断されたアナとその恋人の話し。(多分)
これは少年より少年の母がスペイン語の勉強に、と泣きながら見ていました。
バラード調のテーマ曲が心に染み入りました。
タイトル 「エル クルブ デ アンテオヒート」 「サバド デ トード」 タイトルの直訳 ザ・アンテオヒート クラブ 全部 土曜日 内容 「アンテオヒート」というバカでかい眼鏡を書けたアニメキャラクターを主軸にした子供向け番組。
子供が登場して司会者とやり取りがあったり、アニメのコーナーがあったりとオーソドックスなつくりです。
この番組もオープニングテーマは頭にこびりついてしまいす。クイズあり、中継あり、なんでもあり、のバラエティー番組。
タイトル通り、土曜日1日中何かをやっています。
♪「サバド! サバド!」
と繰り返される番組テーマ曲がわかりやすくて◎。
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アルゼンチンのCM ![]()
★★
アルゼンチンでは、コマーシャルの合間に
「ご覧のチャンネルはアーテーセー(ATC)です。」
といった具合に、テレビ局の宣伝制止画像が30秒くらい入り、番組をつなぎます。
その画面の下には、時刻と気温、湿度は常に表示されます。
なるほど、どれもあればあったで困る情報ではありません。
さらに、アナウンサーがそれを丁寧にも読んでくれます。
人間同じことを繰り返し何度も聞かされると、たいてい覚えてしまうものです。
スペイン語を話せない少年も、気温だけはスペイン語でばっちり理解できるようになりました。テレビのコマーシャルと言うのも恐いもので、垂れ流しでみていると、自然とそのフレーズなどを覚えてしまいます。
細かい意味などわからず、どんどん未知の言語が頭の中に蓄積されていきます。♪「あき の ます。 ぱるけ のるて!」
(ここみたいな場所は他にはないよ! ノルテ公園!)
サビが理解しやすく、覚えやすく、歌いやすいコマーシャルは18年経った今でも思い出せてしまいます。「ネスクイック」や 「ZUM!..」 などは、コマーシャルによってその商品を知り、思わず買ってしまったいい例です。
「ア、ソル、シオン! コラソン デ アルゴドン!」(アソルシオン=商品名、絹の心!)
何気なく何度も大声で口ずさんだあの歌は、実は「生理用品」か「おむつ」のCMだったのでは?
と今さらながら思われます。
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アルゼンチンで見たアニメ ★
小学生が見るテレビ番組と言えば、やはりアニメでしょう。
アニメは子供の世界共通言語のようなもので、これを見ずに次の日学校へいけません。アルゼンチンにも司会者が出てきて子供達と遊ぶような番組もあるのですが、 少年の語学力では番組内容を理解できず、興味を持って見ることはできません。
その点、アニメは絵の雰囲気やキャラクターの動作から話しの筋はなんとなくわかります。
話がそれほどわからなくても、見ているだけで楽しいものです。
動きがメインの『ピンクパンサー』は日本人の小学生にでも楽しめる傑作です。
スペイン語では『ぱんてーら ろーさ』と言う様です。日本が誇るギャグアニメ『ハクション大魔王』をアルゼンチンで放映していました。
台詞はもちろん全部スペイン語に吹き替えられていましたが、 野球の得点板などの画面内の文字は日本語のままです。
現地の子供たちはもちろん日本の文字を理解できないでしょうが、 それ以上に野球と言う馴染みのないマイナースポーツに困惑した事でしょう。故郷の文字を異国のテレビで見る。
何故か、少年は急に偉くなったような誇らしい気になりました。
こういうところから、自分の文化への目覚めや誇りが生まれてくるのでしょう。きっと。
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アルゼンチンで見た映画 ![]()
★
テレビコマーシャルで見たり、学校で話題になっていたりすると映画を見たくなってしまうものです。
少年はアルゼンチンでこれらの映画を母親同伴で見に行きました。
「E.T.」 スピルバーグ監督作品。異星人との触れ合い感動大作。 「ファイヤーフォックス」 クリントイーストウッド主演。敵国最新鋭戦闘機を盗む物語。 「トロン」 ディズニーの世界初CG映画。 「アニー」 孤児院で明るく過ごすアニーの物語。 「クレメンテ」 サッカーアルゼンチン代表チーム応援キャラクターの映画。
セリフは英語やスペイン語です。
字幕はあったとしても、もちろんスペイン語です。
そのため、内容はさっぱりわかりませんが、とりあえず画面から伝わる雰囲気だけたのしみました。他には、『ロッキー3』が大ブームでした。
主題歌『アイズ オブ ザ タイガー』はよくラジオから聞こえたものです。
あの独特な前奏は、色々なテレビ番組で盛り上がるシーンのBGMとして、 アルゼンチンでもよく使われていました。少年は母親と兄と『フラッシュダンス』を見ようと劇場へ行きました。
「君はこの映画を見れないよ。」
何故だか、門前払いされてしまいました。
年齢制限つきの映画だったようです。
そんなにキワドイ映画だったのでしょうか?
レオタード姿の女性は小さい子に見せてはいけないのでしょうか?
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はじめてのおつかい ![]()
1982年12月21日(火) ★★★★★★★
夏が始まりかけたアルゼンチンの12月。
少年は母親からお使いを頼まれました。
いつも飲んでいるりんごジュースを買ってきてほしい、とのことです。
普段、買い物はいつも母親と行っていたので、これはちょっとした冒険です。さっそくいつも親と一緒に行く近くのスーパーへ一人で歩いて行きました。
(BGM = BBクィーンのおつかいのテーマ)
そこは店のおばちゃんに物を注文して買うお店です。「ふご で まんさーな、どす ぽる ふぁぼーる。(りんごジュース、2つ下さい。)」
いっちょ前に片言のスペイン語で買い物を試みました。
「チーコ? (小さいの?)」
「のぉ、ぐらんで!(いいえ、大きいの!)」
「(大きいのは)ないの、ごめんなさいね。」(日本語訳)驚きです!
少年は生意気にもなんとかスペイン語でお買い物をしようとしたではありませんか!
いつの間にこんなスペイン語を話せるようになったのでしょう?
しかし、残念ながらいつもの「りんごジュース」1リットルパックは無いとのことでした。無いものは仕方ありません。
さらに、りんごジュースなど飲まなくても困る事はありません。
あきらめて帰ろうかと思いましたが、少年は機転を利かせて少し遠い他の店へ足を運ぶことにしました。次の店は、欲しいものをカゴに入れレジに持っていく『スーパーマーケットタイプ』の店でした。
「あった!!」
店内を歩き、少年は目的の「りんごジュース」を見つけました。
しかし!
当時の少年の背の高さでは届かない位置にそのジュースは並べられていたのです。
なんて気の利かない店なのでしょう。さあ、困りました…。
少年のスペイン語力では「あれをとって下さい。」という文章は、まだ作れなかったのです。
…今でも作れませんが。意を決して、通りかかったおじさんに話し掛けます。
「せにょーる、ふご で まんさーな……。(すみません、おじさん、りんごジュース)」
少年は棚の上のりんごジュースを指でさし、かごに入れる動作をしました。「これかい?」
こんなもんです!
名詞の羅列と動作だけでなんとか通じてしまうものです!「のー!(ちがいます!)」
隣のです、と指で指し示し、
「どす ぽるふぁぼーる。(2つ お願いします。)」
と言って2つ目的のブツを取ってもらいました。「ぐらしあす!(=ありがとう!)」
一つの大きな仕事をやり終えた少年は、お礼を言い、鼻息荒くレジに向かいます。「5万2千ペソです。」
「!!!!!!!!!!!」なんとお金がたりません!!!!
少年が手に握っていたのは5万ペソ札だったのです。
りんごジュース2つ分の値段を考え、10万ペソ札を持ってきたつもりだったのですが、どうやら間違えた様です。
…これでは2千ペソ足りません。さあ、困りました…。
少年のスペイン語力では、「1つでいいです」、
「家に帰ってお金をとってきます」、
「2千ペソ負けて下さい」などの文章は、まだ作れなかったのです。
…もちろん、今でも作れませんが。「ママから2千ペソ、もらっておいで。」
とレジの女の人が言ってくれました。(多分)少年はりんごジュースを2つ持ち猛ダッシュで家に帰りました。
そして、母親に事情を話して3千ペソをもらい、再びその店まで走りました。「ムイ ビエン!(よくできたね!)」
そういってレジの女性は少年にレシートを渡してくれました。
こうして少年のはじめてのおつかいは無事(?)終わりました。ちょっとしたことだったのですが、少年にとっては異国の地での思い出深き大冒険です。
少年が死にものぐるいで走ったのは、後にも先にもあの時くらいでしょう。
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逃げてきた現地交流 1983年5月某日 ★★★★★
少年は日本人学校の友だちとマンションの卓球場で卓球をしていました。そこへ中学生くらいの現地の子供が3人きます。
なにやら穏やかに話し掛けてきます。
「一緒に卓球をやりたい」とか、「ラケットを貸してくれ」とでも言っているのでしょう。「…………。」
少年たちは現地の子供達を無視して、そそくさとその場を去りました。
言葉がわからない日本人の小学生の行動なんてこんなもんです。あっという間に卓球から帰ってきた少年らをみて、少年の父が不思議がりました。
いきさつを説明すると、
「その子達は卓球をやりたかったんじゃないか?」
といって、ラケットとボールを貸しに行きました。数十分後、どうやら現地の子供たちは父が貸したラケットを返しに来たようです。
なにやら、玄関でずっと話しが続いています。現地の子供たちは、卓球場で腕時計を見つけて、持ってきてくれたのでした。
それは、少年の友だちが卓球場に置いてきた物でした。なんていい現地の人たちなんでしょう。
少年たちに無視されたのに、ちゃんと忘れ物を届けてくれたんですから。
逆に、少年の情けないことと言ったら…。
現地の人との交流は言葉では無く、気持ち、「魂」なのです!
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お礼の「ベシート」 1981年9月某日 ★★★★★
学校で『現地交流会』と言うものが年に数回ありました。
日本人学校と現地の小学校の生徒たちがお互いの文化を紹介しあうというものです。少年は折り紙でメダルを作りました。
見て美し、作って楽し。
折り紙は日本が誇る大衆文化の王様です。
国際交流の際には政治家の交渉や会談よりも効果が大きい、とっておきの切り札です。
海外で友達を作りたい、と思ったらところかまわず折り紙を折っていれば現地の人が寄ってくることでしょう。少年は中学生くらいの女の子の首にそのメダルをかけてあげました。
「ムーチャス グラシアス!」(=どうもありがとう!!)
女の子は大いに喜び、お礼に少年に『ベシート』(=キス(小))をしようとしました。『キス』と言ってもほっぺとほっぺをあわして「チュ」っというだけの、お礼のキスです。
「…い、いいよ。」
しかし、少年は思いきりそれを遠慮しました。
拒絶したと言った方がいいかもしれません。
素直なお礼を突っ返したことになります。かなりおしい…、いえ、失礼なことをしたものです。
相手の習慣を知らずにとった行動とはいえ、無礼な行為としか言い様がありません!
唇を前につき出して対応した方がまだましだったかも知れません。
それはそれで、また恥ずかしい勘違いですが…。
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マルビーナス紛争 ![]()
1982年4月2日 ★★★★★
ブエノスアイレスの街を歩いていると、ベランダにアルゼンチンの国旗を出している家を何軒も見ました。
「国民の祝日?」
少年は勝手にそう思い込んでいましたが、何日たってもその国旗はベランダにぶら下げられています。
それどころか、街中に国旗が増えて行くくらいです。それが、国民の意識を一つにするためのものと知ったのはそれから間もなくです。
そうです、紛争が始まったのです。
マルビーナス紛争が。
日本では『フォークランド紛争』と言った方がわかりやすいでしょうか。アルゼンチンの東方の沖、700kmの大西洋に浮かぶマルビーナス諸島の領有権をめぐっての争いでした。
この紛争により、少年のまわりも少し落ち着かない雰囲気になっていきました。
まず、日本からの輸入禁止で仕事ができなくなった人たちが日本へ帰国して行きました。
ただでさえ人数の少ない日本人学校の生徒数がさらに減ったのです。アルゼンチンの芳しくない戦況がよく耳に入り、少しずつですが少年も不安がつのっていきました。
自分が滞在している国で紛争が始まったら、そう落ち着いていられるものではありません。
「もし、ここが戦場になったら……。」
かなり離れたところでドンパチをやっていようと、こんなことを考えてしまうものです。結局、2ヶ月ほどでこの紛争はアルゼンチンの敗戦で終わりました。
少年は直接紛争に巻き込まれたりするような事はありませんでした。
しかし、この一件以来、少年はどうも英国を好きになれないようです。
アルゼンチンに住んでいるというだけで、気分的には『アルゼンチン人』になっていたからです。
ろくにスペイン語も話せないくせに…。
紛争中のアルゼンチンの国民はみなこう思っていたはずです。
「サッカーのワールドカップの試合でケリをつけよう! 島は勝った方のものにしようぜ!」そして、82年6月にワールドカップスペイン大会が始まります。
この年、アルゼンチンとイギリスの対決はありませんでしたが、次の86年大会の準々決勝で、両国は激突しました。
アルゼンチンのエース、マラドーナが『伝説の6人抜きのゴール』をやってのけた試合です!!
その直前には、マラドーナがヘディングにみせかけ『手』でいれた『神の手ゴール』があったりもします。
このいわくつき伝説のゴールとイギリス戦の勝利でアルゼンチンの人は マルビーナスの紛争のうっぷんを存分にはらしたことでしょう。そして、ワールドカップ優勝でアルゼンチンの人は何にも変え難い誇りを手に入れた事でしょう。
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恋しや、日本 ★
テレビ、マンガ、アニメ、歌謡曲、スポーツ、流行、お菓子…。
海外に入れば、故郷のことをあれこれ思い出す日がよくありました。
当時、日本では、『オレたちひょうきん族』や『ガンプラ』ブームが起きていました。
歌謡界では『マッチ』に『としちゃん』、『松田聖子』に『中森明菜』や『いも欽トリオ』などが売れている頃です。
アニメは『アラレちゃん』に『キャプテン翼』『キン肉マン』『忍者ハットリくん』などがオンエアされていました。日本の裏側にいる少年は、そのブームに全く乗れません。
日本人学校に転校生が来ると、日本の流行についてしつこく話をききます。
数少ない雑誌を見たりして、日本でのブームを想像します。
「あぁ、それ、知ってるよ!」
いつか帰国した曉には、そのブームを知っていたかのように振る舞うため、少年は日々の努力をおこたりませんでした。
帰国する頃には、また新しいブームがおきていて、結局話題についてはいけないものなのですが…。「『おれたちひょうきん族』ってTV番組を見てみたい!」
「マンガ『ドクタースランプ』や『キャプテン翼』はどうなっているんだろう?」
「流行りの『ガンプラ』を手に入れたい!」
日本のTV番組や、マンガや流行りものなど、小学生の少年は相当気になりました。
しかし、アルゼンチンではそれらをそう簡単に手に入れる事はできません。
「あああぁぁぁーー!!!」
文房具屋で『チョロQ』を見つけ、すかさず買いました。
しかし、何かもの足りません…。
シンガポール時代から買い続けてるスターウォーズのフィギュアもアルゼンチンで手に入ります。
しかし、重太の欲求を満たしくれません…。
娯楽への飢えは日に日に大きくなるばかりです。日本の週刊少年マンガ雑誌は、一週間遅れでアルゼンチンにも入りました。
しかし、お値段は約1700円と、日本の10倍。
これでは、とても毎週買うわけには行きません。家では日本の某有名新聞を頼んでいました。
およそ3日遅れで届くその新聞。
その中で小学生の少年が楽しめるのは、唯一『コボちゃん』くらいでした。日本から出張で来た父親の会社の人からもらう日本のお菓子は、最高のおみやげです。
少年はある日『ベビースターラーメン』をおみやげでもらいました。
値段にして、たった30円のお菓子です。
しかし、そのたったの30円のお菓子がとてもうれしく、何にもかえがたいおみやげだったのでした。
「(…今日はこれだけにしとこっと…。)」
少しでも長く食べれるように、毎日ちょっとずつチビチビ味わいながら『ベビースターラーメン』を食べたものです…。ここで、一句…。
あぁ、日本
…恋しや日本…
あぁ、日本
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少年はアルゼンチンに滞在中、何度も家族で国内旅行をしました。
南米をヒッチハイクで北上したドロンズも行かなかったような知られざる名所を覗いてみましょう。
アルゼンチン81 -目次-
- [ ◆3、TV、現地交流編◆ ]
- ・アルゼンチンのテレビ ………その魅力的な放送スタイル
・アルゼンチンのテレビ番組 ………お勧めの番組を4本紹介
・アルゼンチンのCM ………耳に残るメイフレーズの宝庫
・アルゼンチンで見たアニメ ………子供に欠かせない娯楽文化
・アルゼンチンで見た映画 ………セリフも字幕もシステムも不明
・はじめてのおつかい ………海外で一人で無事におつかいができるか?
・逃げてきた現地交流 ………言葉の壁が消極性を生んだ
・お礼の「ベシート」 ………習慣の違いが生むこっぱずかしい想い
・マルビーナス紛争 ………1982年4月にぼっ発したあの紛争
・恋しや、日本 ………何年も日本を離れると日本欠乏症に
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