アルゼンチンの最後を飾るのは旅のあれこれ。
ここからは彼の"Giro o Mundo"アルゼンチン -旅行編-です。
[ 1、イントロダクション ] [ 2、生活編 ] [ 3、TV、現地交流編 ] [ 4、旅行編 ] [ 5、帰国編 ]
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世界最南端の町へ ![]()
1981年12月 ★★★
「見て、下はマゼラン海峡よ!」
南へ向かう飛行機の中で、少年の母親が感激していました。
地図でしかお目にかかれないような遠くに来てしまったからです。
「………。」
それが、どんなに大変ですごいことか、9才の少年にはピンときません。
フエゴ島。
そこはマゼラン海峡を超えた南米最南端の島です。
『火の国』という意味のこの島は、地面から吹き出す天然ガスにより本当に小さなかがり火が出ているのです。
実際に少年はその様子を見れませんでしたが…。少年は『ウスワイア』という世界最南端の町へ行きました。
南緯約55度。
南極まで1000キロほどにある町です。
これまた望んでもいないのに、少年は『世界の果て』に連れて来られてしまいました。
そこは行きたくてもおいそれと簡単に日本から行けるような場所ではありません。
ここは素直に感激しておきたいところです。「すっげぇー!」
「世界最南端だよ!」
横で中学生の兄たちが世界最南端の町に来た事に素直に感激をしていました。
「…さむい…。」
夏なのに、風が強く寒い事の方が少年には大事件でした。
全く、贅沢なくらいに無感動なヤツです…。
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みやげ物の洗礼 ![]()
1981年12月 ★★
ウスワイアは、目の前にビーグル海峡がある港町です。
「…うまい!」
寒いせいか温かい蟹料理が一層おいしく食べられる町でもあります。空にはいつも雲が多く灰色のイメージがあります。
(その様子は映画『ラテンアメリカ 光と影の詩』、漫画『ジパング少年』最終15巻で なんとなく見ることが出来ます。)
サンマルティン通りにレストランや電気屋、お土産屋さんが静かに並んでいます。
ぜんまいで走るかわいいペンギンのおもちゃを少年は買いました。
「はやく、ペンギンを見たいな!」
おもちゃを手に少年は心を踊らせていました。
ちなみにウスワイアでペンギンを見ることはできません。「…またかよ。」
よく見るとそのペンギンのおもちゃは香港製でした。
少年は再び『みやげ輸入品の洗礼』を世界最南端の町で受けてしまったのでした。
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沈まぬ太陽 1981年12月 ★★★
南半球にあるアルゼンチンの12月は冬でなく夏。
緯度が下がれば下がる(=南に行く)ほど、日が長くなる事になります。
北半球の日本の夏で緯度をあげる(=北にいく)ほど日が長くなるのと同じです。日本で言う冬至はアルゼンチンでは夏至になります。
つまり、その日はアルゼンチンの1年の中でもっとも日が長い日です。
そんな南アルゼンチンで『夜は暗くなるもの』という常識を根本からくつがえしてくれる事態に遭遇しました。
…そう、白夜です。午後10時を過ぎようとも、日が沈みそうな気配を感じません。
「…もう明るくなて来た!」
地平線をかすめた太陽が、やっと沈んだと思った矢先に太陽はまた昇ってきます。
でしゃばりでおしゃべり好きのどこかのおば様のようです。
日が長いとなんだか得したような気分になります。
いつ寝ていいのか、迷ってしまうくらいです。
しかし、冬になれば今度は逆に夜がむちゃくちゃ長いことになるはずです。
日中も暗くて活動しにくいことでしょう…。
『1日』とは昼と夜がだいたい半々のもの、という考えがここでは通じません。
所変われば、昼夜の概念すら変わってしまう様です。
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無限の星々 1981年12月 ★★★
アルゼンチン南部の夏にも夜はちょっとばかしですが、きちんと存在します。
「………うわぁ……!!」
カラファテという町で見た明るい星空に少年は圧倒されました。
夜を彩る無数の星たち…。
ところせましとその場を奪いあう星座たち…。
その隙間さえも埋めつくそうとする名もない星たち…。視界に入り切らない夜空には、どこもものすごく輝く星たちで一杯でした。
都会から離れ空気が澄んでいるためか?
街灯やネオンなどの光害がないからか?
もっと他に特別な理由があるのか?
なんにせよ、あれ程多くの星々が夜空にあるのを見たことがありません。沈まぬ太陽、無限の星々…。
それらを実際に見たことが、世界最南端の町に行った事より少年には心から純粋に感動できるものでした。
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モレノ氷河 ![]()
1981年12月 ★★★★
「……氷河?」
言葉では聞いたことがあっても、少年はこれから何を見に行くのか、今一つ想像できませんでした。カラファテからバスで移動して、ロス・グラシアレス国立公園へ入りました。
「………うわぁ……!!」
歩くこと数分、突然目の前に『モレノ氷河』は現れました。
それは、湖にできた『氷の壁』でした。
高さ60メートル、幅5キロメートル。
その青白い氷の壁は奥へ奥へとずぅーとつながっています。
「……なんだ、これ!!」
初めて実際に見た氷河の圧倒的なスケールに、少年はただ驚かされるばかりです。
丘の上にある観測地点で氷河をじっくり見下ろします。
じーっと見ていると、その景色に吸い込まれていくような錯覚に陥ります。
実際に吸い込まれると多分無事では済まないでしょう。
そういう人がいたのか『危険! 湖に落ちないように!』という看板もありました。ごごーー!!
ざぱーん!しばらくぼーっと見ていると、氷河の柱が湖に崩れ落ちるシーンに遭遇します。
氷河は1日数十cmずつ動いていて、奥側の氷河が圧力にたえきれなくなり、崩れ落ちるそうです。
少しずつ氷の柱が傾き、倒れ、水面に沈み、波打つその迫力。
そのスケールが大きすぎるせいか、スローモーションで崩れ落ちていくようにさえ見えてしまいます。「……すげぇ…!!」
ただ氷の柱が倒れただけなのですが、その自然の営みにただ、ただ心を奪われてしまいます。
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イグアスの滝 ![]()
1982年8月 ★★★★
![]()
幅4.5km、落差平均70m。
幅、落差ともにナイアガラの滝より大きい滝、それが『イグアス』です。
モレノ氷河が『氷の壁』なら、イグアスの滝は『水の壁』と言えるでしょう。
ちなみにイグアスは、原語で『大きい水』を意味するとのことです。ゴゴォォォォ……
褐色に近い大量の水の落下する轟音。
ふきあがる水しぶきの霧。
一度に視界に入り切らない水の壁。
光を浴び、あちこちにかかる虹。
どれをとっても他の滝とはスケールが違います。
『悪魔ののどぶえ』といって、滝を橋の上から見る場所があります。
その名の通り、飲み込まれたらどうしようもないほど、大きな穴に瀑水が落下していきます。
高所恐怖症の人以外にも『お勧めできない』程の高さと自然の迫力を味わえる場所です。
水しぶきが常に一体に蔓延し、いつのまにかズブヌレになってしまっていまいます。
乾燥肌の人にお薦めかもしれません。この優雅で壮大な滝を上から見るため、あちこちに観光用の橋がかけられています。
水が下に豪快に落ちていく様をよぉーく眺める事が出来る貴重な場所です。
もし、歩いてる時に橋が壊れたら…。
…考えただけでゾッとします。「…一体どうやってこの橋をかけたんだろう?」
たしかにとっても不思議です。
水をせきとめ、その間に土台を作って、乾かして、なんて出来るはずありません。
水がどんどん滝に向かって流れている最中、どうにか作ったんでしょう…。
観光地化するためとはいえ、そんな作業、頼まれてもしたくないものです。不思議といえば、もう1点…。
これ程の水量が常時至る場所から流れ落ちていて、上流の水源は空になったりしないのでしょうか?
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ロサーリオと世界選手権 1982年10月 ★
アルゼンチンでバレーボール世界選手権が行なわれました。
全日本バレーボールチームも参加。
日本の反対側で奮戦する母国のチームを応援せずにはいられません。
というわけで、少年はブエノスアイレスから北西ヘ約200kmにある町、ロサーリオヘ応援に行きました。ロサーリオはラプラタ川上流に位置する大きな教会がシンボルな街です。
バレーボールの応援に行ったため、市内観光は殆どせず、体育館へ直行です。
当時、全日本男子バレーボールチームはすごく強かったのでした。
天才セッター古川、そぶさん、バックアタックの奥野、といった面々が大活躍した時代です。
「(…で、でかい…。)」
180cmを軽く超える選手たちを見て、そんな大きな人間を見た事無かった少年はビックリしたものです。対韓国戦、3ー0。
対西ドイツ、3ー0。
日本は海外の代表チームを次々とストレートで撃ち破っていきました。
「にっぽん! チャ チャ チャ!」
母国が強いと応援しがいがあるというものです。
そして、そのスポーツへの感心も自然と高まって行きます。
少年が中学時代にバレーボール部に入ったのは、このためかもしれません。その大会の総合成績は、
1位、ソビエト
2位、ブラジル
3位、アルゼンチン
4位、日本
というものでした。
それにしても、当時の様な強い日本バレーチームはどこにいったんでしょうか?
日本バレーの復活を心から望んでやみません。
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バリローチェ 1983年1月 ★★
「…うわぁ、山だよ!」
ブエノスアイレスの南西約1700kmにあるバリローチェはアンデスの山々に囲まれた街です。
ブエノスアイレスはパンパという広大な平野に囲まれているため、少年が山々を見るのも久しぶりです。
山の頂きには雪がつもっていて、冬にはスキー客でにぎわうそうです。きれいな氷河湖や国立公園があり、ハイキングやフィッシング、ヨットなどを楽しめる場所もあります。
ログハウスやアルプスっぽい石造り建物があるアルゼンチンの避暑&スキーリゾートです。バリローチェから船にのって、映画『白雪姫』を撮影したと言われる島ヘ行きました。
見渡す限り木々が生茂った湖上の島。
かわいい小屋が2軒あっただけで、少年がどんなに探しても7人の小人はいませんでした。
退屈な帰りの船の中で少年は折り紙を始めました。
「何をしてるんだろう?」
見慣れないことをしている東洋人に興味をしめした現地の人たちが集まって来ます。
「(…きた、きた!)」
これは少年の母の『入れ知恵』で、現地交流のきっかけ、ネタフリスーパーアイテムだったのです。
ここで培われた経験は、この数年後のアメリカ留学でも、 少年の『折り紙教室』として生かされます。「はい、これ、あげる。」
カラフルな紙1枚だけで作り上げるツルをあげると誰もが喜びます。
「ほしい、ほしい!」
いつの間にか船に乗っているほとんどの人が集まって来ちゃいました。「ちょうだい、ちょうだい!」
『ツル製造工場』と化した少年は外の景色を楽しむ暇などなく、ただひたすら折りつづけました。
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魅惑のマルデルプラタ 1983年8月 ★★
ブエノスアイレスの南東約400kmにあるリゾート地、それがマルデルプラタです。
きれいなビーチ、豪華なホテル、おいしいシーフード料理店、そして、カジノ…。
海で釣りをしたり、浜辺で貝を掘ったり、ぼーっと日光浴をしたり、ギャンブルしたり…。
のんびりくつろぐのがマルデルプラタでの過ごし方です。
少年のお兄さんは日本から持って来ていたオフロードの魅惑のカーを砂浜で走らせて遊んでいました。
「な、なんだあれは!」
現地の人が珍しそうに集まって来ます。
日本人のすることは何でもめずらしいのでしょうか。
レースをしているわけでも、珍しい曲芸をするわけでもないただのラジコンカーを彼らはじーっと見ていました。夜になると、兄たちは『社会科見学』の名目のもと、親同伴でカジノ見学へ行きました。
本来、子供は入場禁止ですが、正装して堂々としていればバレないだろう、というわけです。
「へ! いいだろう!?」
「…べつにぃ。」
当時、小学生の少年は身長も小さかったため、カジノには連れて行ってすらくれませんでした。
しかし、そんな所より少年を引き付ける場所がここマルデルプラタにはあったのです。
それは『ゲームセンター』です!
ブエノスアイレスで全く見たことのなかったので、アルゼンチンにはないものだと勝手に思い込んでいました。
カジノという娯楽施設があるため、子供のための遊び場も作られたのでしょう。「…うわぁ、こ、これは!」
地球の裏側、我が日本からテレビゲーム『ドンキーコング』がはるばるアルゼンチンまで出稼ぎにきていました!
初めてみる『ドンキーコング』。
プレーしないわけにはいきません。プレイヤーはマリオを操作してドンキーコングにさらわれたレディを助けます。
タイミングをあわせ樽をジャンプで飛び越え、進んでゆくマリオ。
「…うわぁ、また死んだ!」
少年は夢中になって遊びましたが、へたっぴなため1面もクリアできません…。
ゲームを楽しみに来たつもりが、逆にイライラして帰るハメになりました。結局、マリオがふがいないため、レディは1度も助け出される事はありませんでした。
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タンディールキャンプ ![]()
1983年2月 ★★
アルゼンチンのガイドブックを日本の本屋で見つけることは、結構難しいものです。
そして、『タンディール』という地をさがし出すことは更に難しいことでしょう。
ブエノスアイレスからきっと南ヘバスで大体5時間前後。
少年は日本人学校のキャンプでタンディールへ行きました。
汗をかきながら一生懸命歩いて登った小高い丘。
「…うわぁ!」
眼下には緑が地平線まで続く大自然が広がっています。
心を落ち着かせてくれる景色に風が心地よく吹いてきます。
「…ぷはっ!」
そこで景色を見ながら飲んだ水は何にも変えがたいものでした。「こりゃ、寝てなきゃダメだな…。」
「…えぇ!」
登山の疲れが出たのでしょうか。
その後少年は熱を出し、1晩寝込む羽目になってしまいました。
楽しみにしていた肝試しに参加できないなんて…。
楽しいはずのキャンプなのに、おとなしく寝てるだけなんて…。
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メンドーサ 1983年11月 ★
メンドーサはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから真西に約1000kmの所にあります。
そこからアンデス山脈や南米最高峰アコンカグワを望むこともできます。「…あぁ、サンマルティンだ!」
街には『サンマルティン』の銅像がありました。
ウスワイアの通りの名前にも使われていた『サンマルティン』。
当時、アルゼンチン紙幣には彼の肖像画が描かれていたので、少年にも馴染み深い顔でした。
顔と名前だけはよく知っていますが、何をした人なのか少年は全く知りません。
「…サンマルティン、サンマルティン!」
名前を連呼しておけば、自分はその人をよく知っているという気分にだけはひたれるものです。
メンドーサにはワイン工場が多くあります。
おみやげ屋でもワインを並べ、試飲させている所が多くあります。
南米一のワイン生産量を誇るアルゼンチン。
「ここはその酒蔵だぞ!」
そんな感じを街全体から受けてしまいます。
「…でけぇ…!」
『世界一大きいワインの樽』を見ました。
それは『樽』と呼ばれる代物では無く、建物の中にある太い円柱の中にワインを入れている、といった感じです。
歩いてまぁ〜るい樽のまわりを歩くのにかかる時間はなんと1分!
樽の大きさは存分に実感できましたが、味の善し悪しは少年には実感することができませんでした。
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無許可で国境越えの代償? 1983年11月 ★★★★
メンドーサからさらに西ヘ200km。
バスはアンデス山脈をのぼり、チリとの国境線にやってきました。
海抜4200m、富士山頂より高いこの地点には、十字架をかかげたキリスト像をたっています。
長年続いたアルゼンチンとチリの戦争終結を記念して、両軍の大砲を潰して作られたものだそうです。
「チリに入りました!」
「またアルゼンチンです!」
少年は、何度も像の横を行ったり来たりして税関や入国審査のない国境越えを楽しんでいました。「…あれ? はぁ、はぁ…。」
少年はゆっくり走っているだけなのに、なんだかかなり息苦しくなって来ました。
「気をつけな! 高山病にかかるぞ!」
高山病?
高いところでは調子にのって走り回っていると、そんな病気になってしまうようです。
変な病気になる前に走り回ることをやめました。
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インカの遺跡 1983年11月 ★★
バスでメンドーサヘ戻る途中、インカ文明の遺跡がありました。
その名も『インカの橋』です。
自然の橋の下につくられた石造りの建物の中は部屋がいくつかありました。部屋の中には、湯舟のような囲いがあり水がたまっています。
「…あったかい!」
触ってみるとそれは温水でした。
この様子だと、昔のインカの人は浴槽にお湯をため、お風呂を楽しんでいたということになりそうです。
質素だけど、生活感のあるこの小さな遺跡にノスタルジーを感じずにはいられません。
「…お風呂かァ…。」
こんなものを見てしまうと、なんだか大きな湯舟で富士山でも見ながらひとっ風呂浴びたくなってしまいます。
インカのロマンあふれる遺跡にふれながら、想い描くは遠き母国日本のことになってしまうとは…。
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一時帰国 ★
2番目の兄が高校受験するため帰国することになりました。
身の回りの世話をするため、一緒に母親も一時帰国します。
「…つれてってよぉ!」
小学5年生の少年が日本に帰る理由はどこにもありませんが、久しぶりに日本に行きたくて仕方ありません。
「…お願いぃ!」
母親に頼み込んで、少年もおまけで一時帰国することになりました。「…やったぁ!」
2年と4ヶ月振りの日本です!
母国ヘ帰れるのです!
「どんなTVをやってるんだろう?」
「どんなマンガがあるんだろう?」
「なにが流行ってるんだろう?」未知の大都会をめざして上京する若者のように期待に胸を膨らませます。
体はアルゼンチンにあっても、心はいつも日本を見ていました。
帰国が現実のものとなり、少年の心は踊りに踊りました。「あなたは、またアルゼンチンに戻ってくるから荷物はちょっとでいいわよ。」
一時帰国ということで最小限の荷物をまとめます。
1984年の正月を迎えた直後、彼はアルゼンチンを離れました。 ![]()
日本へ帰国
これが『一時』ではなく『永久』帰国になるとも知らずに…。
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アルゼンチン81 -目次-
- [ ◆4、旅行編◆ ]
- ・世界最南端の町へ ………9才の少年には早すぎた訪問
・みやげ物の洗礼 ………綺麗な空気の場所で見上げた空
・沈まぬ太陽 ………常識破りな太陽の行動
・無限の星々 ………綺麗な空気の場所で見上げた空
・モレノ氷河 ………水色の氷の壁の壮大な光景
・イグアスの滝 ………茶色い水の壁の壮大な光景
・ロサーリオと世界選手権 ………ありし日の強国日本がそこに!
・バリローチェ ………アンデスに囲まれた避暑地
・魅惑のマルデルプラタ ………華やかなリゾート地
・タンディール ………キャンプをするならここで
・メンドーサ ………ワインを感じる町
・無許可で国境越えの代償? ………高山病ってなんだ?
・インカの遺跡 ………温水のでる遺跡訪問
・一時帰国 ………想いこがれた祖国へ!
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