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アルゼンチンからの帰国
1984年、冬。
アルゼンチンで2年4ヶ月滞在した少年は、兄の高校受験に付き添う形で日本に一時帰国します。

[ 1、イントロダクション ] [ 2、生活編 ] [ 3、TV、現地交流編 ]
[ 4、旅行編 ] [ 5、帰国編 ]

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 バンクーバー上陸
1984年1月3日 ★

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前にもどこかで書きましたが、アルゼンチンは日本から最も遠い国です。
ブエノスアイレスから成田への直行便などありません。
ということで帰国の際、カナダのバンクーバーに寄ることになりました。

次の飛行機の待ち時間に少年と少年の母、兄2号はバスに乗って少し市内観光をしました。
「…、寒い…!」
アルゼンチンでは1月は夏。
北半球のカナダの1月は冬。
急激な温度差は、寒さ嫌いの少年の身には耐えられないものでした。

「なんだ、あの白いの?!」
少年の目に初めてみる巨大な建物が飛び込んで来ました。
白い大きな屋根はぷっくりふくれ上がっています。
「野球場じゃない?」
それはまさしく『ドーム球場』でした。

「へぇ…!」
初めてみた室内野球場。
当時まだ、日本にもドーム型の球場がなかったので、そのインパクトのすごかったこと!
『バンクーバー』=『ドーム球場』という変な公式が少年の頭の中でなりたってしまいました。


少年はこの後、バンクーバーに度々訪れることになります。
 → ビクトリア旅行(アメリカ留学中)
 → 国境越え(アメリカ留学同窓会)

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 2年半ぶりの帰国
1984年1月5日 ★★★★★

「…っぃよっっしゃああぁ!!」
いよいよ帰ってきました!
少年の母国、日本へ!
少年が育った横浜へ!!

ものごころがつく頃に2年以上も日本から離れていれば、祖国への帰国はうれしいものです。
「友だちに会える!」
「TVを見られる!」
「マンガを読める!」
「お菓子を食べられる!」
遊ぶことばかりですが、小学生の楽しみなんてそんなもんです。

ああ、懐かしの道路に懐かしの駅、懐かしの我が家。
看板、ビルの立ち並び方、全てが日本でした!

「…ベビースターラーメンだよ!」
スーパーでは、懐かしのポッキーや森永のラムネなど売っています!
夢にまで見た日本のお菓子を目にして、帰国の実感はさらに深まりました。

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 見知らぬ故郷へ
1984年1月5日 ★★★★★

「……ん?!」
しかし、どこかまわりの様子が違います。

『ファミリーマート』とは何でしょう?
300mlでフタの閉まるビン入りジュースなど、昔はありませんでした。
『OFF SIDE』『メローイエロー』『SASUKE』とは、一体どんな飲み物なのでしょう?
『俺たちひょうきん族』『笑っていいとも!』など見たことのないTV番組ばかりです。
町行く子供達は、みんなきまって『adidasの帽子』をかぶっています。

そう、少年は『浦島太郎』だったのです。
親戚や友だちこそ100歳も年をとってはいませんでしたが、 少年の中で日本は1981年の夏のまま。
いえ、その前の1980年の秋にシンガポールへ行った時のままと言った方がいいかも知れません。
売っている商品、着ている服の流行など3年前と同じはずがありません!

日本の様だけど、どこか違う…。
うれしいけど、よろこべない…。
そんな奇妙な感じがした、帰国となりました。

「…なんだ、これ?!」
いつの間にか、500円玉などというものが出ていました。
本当にこれでモノが買えるのか、半信半疑で使ってみます。
「ああ…、ここは本当に日本なんだ…!」
その500円玉で『週刊少年ジャンプ』を買えた時、少年は自分が日本にいることを確信しました。

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 遅いブーム
1984年1月 ★★

「面白い…!」
久々に読む少年ジャンプで『Dr.スランプ』や『キャプテン翼』『北斗の拳』『キン肉マン』など楽しみます。

「ガンダム…!」
やっと念願のガンプラ(=ガンダムのプラモ)を手に入れる事ができました!!
ラッキーです!
数年前は行列が出来て買えなかったと言うガンプラも、今では並ばず好きなだけ買えます!
そのぶん、ブームもとっくに過ぎていましたが…。

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 逆カルチャーショック1 <街>
1984年1月 ★★

日本と違う文化、違う生活様式の国に2年も暮らしていれば、 大抵の人はその国の方が普通のことと感じてしまうものです。
日本へ帰国した少年に、想像も出来なかったさまざまな『逆カルチャーショック』が襲いかかってきました。

「…せ、せまい…。」
まずは、『街』そのものです。
道幅はせまく、歩道がない道も珍しくありません。
家は隙間なく地上におかれています。
なんでこんなにギュウギュウに街を詰め込むのか、理解に苦しみました。

人と車の距離の近さ、道幅より広そうなバスなど、日本の交通事情はヒヤヒヤしてしまうものです。
「日本人は世界で一番運転がうまいのでは?」
狭い道をスイスイ進んでいく車をみていると、そう感じてしまいます。

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 逆カルチャーショック2<家>
1984年1月 ★★★

「…ち、小さい…。」
次は住む『家』に関してです。
少年はアルゼンチンで、とりわけ大きな家に住んでいたわけではありません。
しかし、日本と比べると、天井もかなり高く、どの部屋も広々していました。
2年間で少年の身長も伸びたせいか、小さい頃彼が住んでいた日本の家は『低く狭く』なっていたのです。

道幅も家もステーキも、何もかも『大きいこと』が少年にとって普通になっていました。

「…さ、寒い…。」
アルゼンチンでは、スティームが家中の壁際にめぐらされ、室内はどこも暖かいのです。
一方、日本では、石油や電気、ガスストーブで部屋を温めます。
これではストーブを中心にその部屋しか温まりません。
寒がりの少年にはパフォーマンス不足でした…。

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 逆カルチャーショック3<習慣>
1984年1月 ★★★★

ゴツ!
「…いて…。」
慣れとは恐いものです。
タクシーに乗る時、どうしてもドアノブに手を持っていってしまいます。
車が自動ドアのタクシーなんて、ここ数年乗っていませんでした。

「こら、ちゃんとフタをしなさい!」
「…へ?」
風呂に入った後、風呂のフタを閉めませんでした。
シャワーの生活が2年も続くと、そんなことすら忘れてしまいます。

家で靴を脱ぐのも、新鮮というか、久しぶりです。
これに関しては土足で家にあがるような、外人ライクのボケはさすがに少年もしませんでした。

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 逆カルチャーショック4<文化>
1984年1月 ★★★★

まわりの友だちのスポーツの話題と言えば、野球がメインです。
しかし、少年は日本に野球のチームが何球団あるのかすら知りません。
『セ・リーグ』『パ・リーグ』?
…何のことでしょう。

国営放送では相撲をよく放送しています。
ルールは見ていればなんとなくわかりますが、 横綱以外の番付けはいっさい分かりません。
『小結』『大関』『関脇』?
…この中で一番強いのはどれでしょう。

音楽番組も『あるふぃー』『あんぜんちたい』という聞いたことのなかった人たちがいい歌を歌っています。

ビックリした時『がちょーん!』と誰もが言います。

こころなしか、100円の鉛筆削りが昔よりよく削れるような印象を受けます。

『コンビニ』と呼ばれる小さなスーパーがあちこちに出来ています。
そこでお客は店員さんの許可なく勝手に巨大な冷蔵庫を開けジュースを取っています。

「…日本が自分の知っている日本でなくなってる…。」
ものごころがつく時に日本にいなかった少年は、どうやら日本でのセンスがずれていました。
なかなか『自分の中での常識』と『日本での常識』が一致せず、しばらく戸惑い続けます。

「先生、『ちゅうしんそう』って何ですか?」
少年は3年間の海外の生活で、『忠臣蔵』の読み方もわからない素敵な日本人に成長していたのでした。
 
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 突然の帰国決定
 ★

日本に一時帰国をしていた少年。
小学5年生の3学期の間だけ日本で過ごし、再びアルゼンチンへ戻るはずでした。
しかし、書くと10行くらい使ってしまう長〜い事情ができ、そのまま日本に留まることになったのです。

「…え? ほんと?」
少年とアルゼンチンとの別れは実にあっけないものでした。

アルゼンチンにいた時は想いこがれた母国日本。
しかし、アルゼンチンにもう戻らないとなると、なんだかやるせない気分です。
なんとなく始めたジグソーパズルを途中で強制的にやめさせられた感じです。

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 Giro o Mundo、終了?
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その後、少年は日本で日本人らしく生活することになります。

小学1、2年生時に通っていた横浜の小学校に再編入し、その小学校を卒業しました。
少年の経歴に
シンガポールアルゼンチンに 行っていた形跡は一切残りませんでした…。

日本の子供たちと同じ様にテレビを見、マンガを読み、お菓子を食べ、ファミコンもしました。
3年程遅ればせながら、ガンプラブームを一人で堪能していました。

そして、そのまま地元横浜の公立中学に入学します。
中学では英語の授業も始まりましたが、シンガポールで学んだものなど全く覚えていません。
なんとなく覚えているスペイン語など日本では受験の足しにもなりません。
帰国当初『アルゼンチン帰りの天才ドリブラー』と恐れられたサッカーに関しても、 中学の部活動ではバレー部に所属し、自らそれを生かす機会をなくしました。

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そんなこんなで、少年の中学3年間は横浜であっという間に過ぎていきます。
シンガポール、アルゼンチンと、海外で生活をしていた3年間などなかったかのようです。
彼ももう『純粋な日本人』としか言い様がありません。

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そして、そんな少年も青年へと成長をします。
日本の青年が誰もが通る道、厳しい高校受験戦争に参戦することになりました。

海外とのつながりが全くと言っていいほどなくなった彼。
なんだかこのままどっぷり日本にひたってしまいそうな雰囲気になって来ました。
彼の海外浪夢記、 "Giro o Mundo" は、これで終わってしまうのでしょうか?

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 続編?

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…時はながれ、21世紀を迎えた2001年10月。
29才になった彼は
世界一周旅行の旅路で20年ぶりにアルゼンチンを訪れます。

「……うわぁ…。」
驚きの再訪問…。
そこでみたアルゼンチンの姿とは?

この話は、また、いずれ…。

Argentina 81

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 アルゼンチンからの帰国 目次 

バンクーバー上陸 ………数時間の滞在で見たもの

2年半ぶりの帰国 ………懐かしき地元へ

見知らぬ故郷へ ………待望の帰国は予想外の連続に

逆カルチャーショック1<街> ………窮屈な街並み

逆カルチャーショック2<家> ………狭くて寒い家

逆カルチャーショック3<習慣> ………忘れてしまった日本の習慣

逆カルチャーショック4<文化> ………「常識」が「常識で無い」環境に

突然の帰国決定 ………アルゼンチンには戻らない事に

Giro o Mundo、終了? ………日本での生活が本格化

続編? ………20年後のアルゼンチン

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