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Argentina 2001

Homenaje a DIEGO

マラドーナ引退試合観戦記 <1>
「マラドーナの試合を生で見たい!!」
果たせなかった幼き頃の夢を果たす機会が突然やってきます。

ここからは彼の"Giro o Mundo" 世界一周 特別編 <マラドーナ引退試合観戦記> です。

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 夢のはじまり
1981年 8月 ★★★★

1981年 8月。
本人が望んだわけでも無く、サッカー王国、
アルゼンチンに住む事になった重太。

スペイン語が殆どわからない9才の少年でも「マラドーナ」というすごいサッカー選手がアルゼンチンにいることは知っていました。

MARADONA 1982

「1度でいいからマラドーナの試合を生で見てみたい!」
マラドーナはアルゼンチンの首都=ブエノスアイレスのボカ地区に本拠地を持つチーム=ボカ・フニオルスに所属していました。
しかし、小学3年生の少年が異国の地でサッカーを球場まで見に行くのは簡単な事ではありませんでした。

しばらくの後、マラドーナは活躍の場をスペインにうつしてしまい、少年の小さな夢は叶う事はありませんでした。

その後、アルゼンチンのスタジアムで1度もサッカー観戦をする事の無いまま、数年後少年は日本へ帰国しました。
せっかくサッカーの本場に2年半も住んでいながら、なんとももったいない話です。

「いつか、アルゼンチンでサッカーの試合を生で見てやる!」
こんな想いが彼の中で日に日に大きくなっていったのでした。

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 夢のつづき
1998年 6月 ★★

時は流れ、1998年。
サッカー日本代表は悲願のワールドカップ出場を果たしました。
その記念すべき初戦の相手は、重太が幼き日々を過ごしたアルゼンチンです。

「フランスが俺を呼んでいる!」
勝手に運命的なものを感じた彼は試合を見にフランスへ行きます。

 ●ワールドカップの大舞台に立つ日本代表チームを生で見ること。
 ●幼き日から応援して来たアルゼンチン代表チームを生で見ること。
これ以外に彼にはかすかな期待がありました。

「マラドーナの試合を生で見ること。」
そう、幼き日に抱いた夢の続きを彼はまだ見ていたのです。

しかし、その夢は叶うはずもありません。
代表に選ばれていない選手が試合に出場するわけがないからです。



1998年 ワールドカップフランス大会 日本vsアルゼンチン戦
マラドーナの姿はない…。

「もうマラドーナのプレーを生で見ることは出来ないんだな…。」
重太の期待、夢は完全についえたのでした……。

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 ひょうたんからコマ
2001年 10月 ★

さらに時は流れ、2001年 10月。
幼き頃からの別の夢、
世界一周の旅に出て早11ヶ月。
オーストラリア、アジア各地、アフリカ、ヨーロッパと放浪して来た重太は 幼き日々を過ごした第2の故郷、アルゼンチンにやっとたどり着きました。

「………とうとう来たんだ!」
約18年ぶりのブエノスアイレスは、懐かしくもあり、新しくもある街でした。
昔住んでいた家や幼き日に通っていた日本人学校へも足を運んでみました。

「今度、マラドーナの引退試合があるぞ。」
18年ぶりの再会を果たした先生が教えてくれました。

「…本当ですか?!」
全く無計画に放浪を続けてきた旅。
ましてマラドーナの引退試合があるなんてアルゼンチンに来るまで知りませんでした。

「マラドーナの試合を生で見ること。」
完全に諦めていた夢を叶える機会は突然訪れたのでした。

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 アルゼンチンの英雄
2001年10月 ★

大統領の名前は知らなくても、国民の誰もが知っている名前。
それがアルゼンチンの英雄、『ディエゴ・アルマンド・マラドーナ』です。
国民は彼に親しみをこめて『ディエゴ』と呼んでいます。

POSTER
1986年、ワールドカップメキシコ大会はマラドーナの大会と言われる程、彼が大活躍をした舞台です。
パス、ドリブル、シュート、どれをとっても一級品。
アルゼンチンに2度目のワールドカップ優勝をもらたした功績は大きく、マラドーナはアルゼンチンの英雄となったのでした。

その後、麻薬やマスコミへ空気銃乱射事件をおこしたりと悪い話題も多かったマラドーナ。
全盛期の様なプレーも出来なくなってきていました。

それでも、英雄は英雄です。
今でも町のスポーツ店では『MARADONA 10』と背中に印刷されたアルゼンチン代表のユニフォームが店の一番目立つ所に飾られ売られています。
2001年11月現在のアルゼンチン代表の背番号10番=オルテガの立場などまったくありません。

『背番号10』はマラドーナの代名詞となっています。
「引退試合も彼の背番号にあわせ、11月『10』日を選んだ様です。

→ 背番号『10』のおまけの話し

本屋やキオスコ(売店)ではマラドーナを扱った雑誌や本があふれています。
レコード店内には何種類もビデオやDVDが売られていました。

”- HOMENAJE A DIEGO -  90 minutos de alegria.”
(ディエゴへのオマージュ 栄光の90分)

ドリブルをするマラドーナの背中と彼の笑顔で飾られた引退試合のポスター。
試合の二週間ほど前からブエノスアイレスの至る所でこのポスターを見かけられました。

街全体がアルゼンチンの偉大なる英雄の引退試合に向け準備をしている様です。

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 チケットを買いに
2001年11月7日 ★★

引退試合の三日前。
チケットを買いに、試合会場であるボカ・フニオルスのホームスタジアム、ボンボネーラへ行きました。

「…うそぉ。」
25ペソ(約3,100円)の一般席のチケットは、時すでに遅く完売していました。

「…また、マラドーナを見れないのか?」
夢とは叶わないものなのでしょうか…?
重太は愕然とし、何も考えられなくなりその場に立ち尽くしました。

「あぁ、あと他に80ペソと150ペソ、そして250ペソの席が残ってるよ。」
チケット売り場のおじさんがだるそうに言いました。

それぞれおよそ10,000円、19,000円、31,000円もする高額な席ばかりです。
貧乏旅行者にはどれもかなり高額すぎます。

「…マラドーナを見るためだ! これくらいの出費は大した事はない!」
自分にそう言い聞かせ、思いきって80ペソもするチケットを買いました。

TICKET 2001

「(よっしゃぁぁーー!!)」
チケットを手にし、心の中で大声をあげ重太は喜びました。
懐はかなり寒くなりましたが、念願達成の現実味が深まりうれしくてたまりませんでした。

「ちょっと、にいちゃん…。」
タバコをふかしたちょっと恐い感じのおじさんが重太に近付いて来ます。
ここ、ボカ地区はブエノスアイレスでも治安が悪いことで有名です。
望みもしないイヤァァーな事態が起ころうとしているのでしょうか?

「こっちの道はあぶないから、あっちの大通りから帰った方がイイぞ。」
その恐いおじさんは意外にも安全な道を教えてくれたのです。

念願のチケットを買って内心浮かれまくっていた重太にはとてもナイスなアドバイスでした。
80ペソも払い買ったばかりのチケットをもし奪われでもしたら、悔やんでも悔やみきれません。
少年時代を過ごした思い出の国、アルゼンチンを嫌いになること必至でしょう。

「グラシアス!」(=ありがとう!)
重太は小声でお礼を言い、身をひそめるようにしてチケットを大事に抱え、そそくさとホテルへ戻りました。

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 豪雨と爆雷
2001年11月10日 ★

「…まじかよ。」
マラドーナの引退試合前日、11月9日、金曜日。
ブエノスアイレスは、夜空全体を光らせる雷と当たったら痛そうなくらいの大粒の雨に見舞われていました。

「こりゃ、明日も雨かもなぁ…。」
ホテルの受け付けでおじさんがつぶやきます。
「せっかくの試合が…。」
20年来の夢が雨ごときに台なしにされてしまのではないかと、とても心配になってきました。

11月10日、土曜日、試合当日の朝。

「…まじかよ。」
てるてる坊主を作らなかったせいか、まだ小雨が降り続いています…。
チケットやカメラなど最低限の装備だけして、とりあえず試合会場を目指しました。

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 遠い入口
2001年11月10日 ★★

地下鉄のコリエンテス駅から小雨の中を歩くこと15分。
試合会場であるボカ・フニオルスのホームグラウンド=『ボンボネーラ』に到着しました。
ボカはアルゼンチンでも歴史あるサッカーチームの一つで、マラドーナが在籍していたことでも有名です。

「…すげぇ…。」
球場周辺は既に大勢のインチャーダス(=サポーター)であふれかえっていました。



入口にあふれかえるインチャーダス(=サポーター)

『MARADONA 10』と書かれたカミセータ(=ユニフォーム)を着た人。
マラド−! マラドー!
大声で応援歌を歌う人など、試合開始4時間前だというのにものすごい人です。
時間におおらかなラテン系の人たちとは思えない状態でした。

警備員もこころなしか多い気がします。

ボンボネーラは自分の席によって入場する入口がわけられています。
しかし、周辺はどこもものすごい行列ができ、どこにつながっているのかさっぱりわかりません。

「16番ゲートはどこですか?」
知りうる限りのスペイン語を駆使して警備員さんに聞いてみました。
「あっちだよ!」
「あっち。」
「そっちだ。」
少しずつ入口に近付いているはずなのに、警備員さんに再確認する度、違う方向を教えていただきました。

「むこうだよ。」
中には来た方向に戻るよう指示する警備員さんもいます。
「…おいおい…。」
毎週の様に試合をやっているはずなのに、なぜ誰も正確な入口の場所を知らないのでしょう?
降り続く小雨の中、しばらくたらいまわしにされました。

「…16番ゲート、どこだぁ…。」
球場は目の前にあるのに、30分たっても自分の席はおろか、入口にたどり着くことも出来ません。
ここまで来ておいて、暴動に巻き込まれたり、チケット強盗にでもあったらたまりません。
早く自分の席にたどり着いて落ち着きたいものです。

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 聖地『ボンボネーラ』
2001年11月10日 ★

午後1時過ぎ。
同じ16番ゲートを探すアルゼンチン一家と出会い、一緒に入口を見つけました。
「ふぅ…。」
なんとか無事自分の席にたどり着くことが出来ました。
このままここでおとなしくしていれば、数時間後にはマラドーナを見ることが出来そうです。

腰を落ち着かせ、球場内を見回してみます。

サッカーの聖地、ボンボネーラ球場。
日本の国立競技場や横浜国際競技場の様にサッカーフィールドのまわりに陸上用トラックはありません。
まさにサッカーのためだけに作られた球場なのです。
サッカーを見る側からすればプレーをする選手たちとの距離がぐっと近くなり、より臨場感を味わえることになります。



ボカ・フニオルスのホームスタジアム=ボンボネーラ

ここボンボネーラは、バックスタンド側(写真、左側)だけ特別な観客席になっています。
12人で一部屋のボックスシートが横にずらーっと並び、それが垂直に4階建てになっているのです。
まるでマンションのベランダから試合を観戦できる、という感じなのです。

「あの真ん中のボックスはマラドーナ専用なんだよ。」
後ろの席に座っているおじさんが子供に教えていました。
自分だけではわからない情報をまわりに座っている地元の人から得るのも重要です。

よく見るとゴールネットにはマラドーナの背番号である『10』という数字があつらえられています。
今日この日のため、特別に飾られているのでしょう。

「………何度来てもいいねぇ!」
実はこの1週間前、重太はすでにここ、ボンボネーラに来てアルゼンチン国内リーグの試合を見ていたのでした。
密かに幼き頃からの夢の1つ
「いつか、アルゼンチンでサッカーの試合を生で見てやる!」
を実現していたのです。

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 国内戦&国際戦、同時開催?
2001年11月10日 ★★

「…ん?」
ボンボネーラ場内をよく見回すと、国内リーグ戦とは違う独特の雰囲気がある事に気がつきます。
普段の試合なら対戦する2つのチームカラーをベースにした横断幕や旗が球場のあちこちに見られるものです。
しかし、今日はボカカラーの『アズール・イ・オーロ』(青と金色、厳密には黄色)と アルゼンチンカラーである『セレステ・イ・ブランコ』(水色と白)の横断幕で球場はうめ尽くされていました。

La Mano de DIOS
「ボカとアルゼンチンが対戦するみたい…。」
ボンボネーラは、国内リーグ戦と国際試合が一緒に行われる様な不思議な雰囲気に包まれていました。

ディエゴ、あなたのサッカー全てに感謝します
アルゼンチン人でいてくれて神様=ディエゴ、ありがとう!

マラドーナをたたえる文章、イラストがかかれた大きな旗がたくさん出ています。

「10 LA MANO DE DIOS(神の手)」と書かれた手の平の形をした段ボールを手にはめて騒いでいるユニークな人もいました。(写真、右)

マラドーナ一色に染まったボンボネーラ。
「もうすぐマラドーナを見られるんだ…。」
重太は入場前のトラブルなどすっかり忘れ、場内の雰囲気を満喫していました。

念願達成まであと少しです!
しかし、試合前に一波乱あることなど、この時はまだ知る由もありません…。

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 アルゼンチン優勝!
2001年11月10日 ★★★

ワアァァ…!
しばらくすると、ジャズ音楽が流れ、特設スクリーンにマラドーナの数々のゴールシーンが映し出されました。

ワアアアアァァァ…!!
ゴールシーンが映る度、場内ではあたかも今そこでゴールが入った様な大きな歓声がわきあがります。

ワアアアアァァァ…!!
1986年、ワールドカップメキシコ大会でマラドーナが『手』でゴールをきめたことで有名な『LA MANO DE DIOS(神の手)ゴール』。
その3分後の伝説の『5人抜きゴール』のシーンが映し出されると、一際大きな歓声が上がりました。
テレビで何度も見た事があるこの映像も、本場で地元のファンと一緒に見ると何か一味違います!

「これからあんなプレーを見られるのか!」
そう思うと、自然と気持ちはどんどんと盛り上がっていきます。
キックオフの瞬間が待ち切れなくなってきました。

ワアアアアァァァ…!!
続いてスクリーンには、マラドーナがワールドカップを頭上に大きく掲げた優勝シーンが映し出されました。
『アルゼンチン、ワールドカップ優勝!』
あたかも今この瞬間、そうなったかの様な大きな拍手が起こりました。

「気持ちいい!!」
その場にいるだけでアルゼンチン人と共に優勝の喜びをわかちあう様ななんとも気持ちのいい錯角に陥ることができました。

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 アルゼンチン代表、登場
2001年11月10日 ★

ワアアアアァァァ…!!
マラドーナのゴールシーンの映像が一区切りした後、しばらくしてアルゼンチン代表選手たちがフィールドに姿を表しました。
ヴェロン、サネッティ、ロぺス、アジャラ、アルメイダ。
2002年ワールドカップ南米予選を圧倒的な強さで突破した選手たちが目の前にいるのです!

♪バモバーモー、アルへンティーナー! (行こう! アルゼンチン!)
 バモバーモー、ア ガナール! (勝つぞ! アルゼンチン!)

球場内では自然とアルゼンチン代表応援歌が大合唱されました。

「この歌は!!」
重太がブエノスアイレスに住んでいた1982年ワールドカップスペイン大会の時に テレビや街角からよく聞かれたのと同じ応援歌ではありませんか!

その16年後の1998年フランス大会、 日本対アルゼンチン戦を見にトゥールーズのスタジアムへ行った時にもこの歌を耳にしました。

「♪バモバーモー、アルへンティーナー! バモバーモー、ア ガナール!」
重太もアルゼンチン人と一緒にこの歌を合唱しました。
アルゼンチン代表の国際試合がこれから盛大に始まるかの様に、気分はさらに盛り上がっていきました。

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 天からの祝福
2001年11月10日 ★★★


「さすがマラドーナ! 天気まで変えちまったよ!」
後ろの初老の男性二人が大きな声で叫んでいました。

「ほんとだ! すげぇ!」
言われてみれば、いつの間にか小雨が上がっています。
それどころか、綺麗な青空がブエノスアイレスを覆っていました。
昨晩の荒れ狂った雷雨がウソの様です。

シートや観客席のまわりにたまっていた水たまりも徐々に蒸発していっています。
座るのに躊躇していた人たちもこれでやっと腰を下ろせそうです。

気温もジワジワ上がって来ています。
「いいねぇ!」
プレーするにも、見るにもちょうどいいサッカー日和になってきました。

マラドーナの引退試合を天までもが祝福しているかの様です。

「準備は全て整ったぞ!!」
あとは本日の主役、マラドーナの登場を待つばかりです。

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 試合前の一波乱
2001年11月10日 ★★★★

「うわ! なんだ、なんだ?!」
試合開始までいよいよ15分となったところでちょっとした騒動が起こりました。

お値段の安い25ペソ席から、より見やすいメインスタンド側の80ペソ席へ 興奮状態のサポーターが鉄の柵を越え侵入してきたのです!

その数は2、3人ではなく、100人以上!!
ちょっとした民族大移動状態です!

鉄の柵の最上部は逆さにした釣り針の様に突起部が下に曲げられ、侵入を防ぐ作りになっています。
しかし、皆それを器用によけ、より見やすい席になだれこんでくるのでした。

ドスン!!
「…ってーな!。」
柵から飛び下りる際、勢い余って重太にぶつかってくる人もいます。

「ごめんよ、タカハーラ。」
2001年11月当時、ボカには日本人フォワード高原が在籍していました。
そのため、彼の名はブエノスアイレス中に知れ渡っていたのです。

日本人の重太を見て、『タカハラ』呼ばわりしてくるのはアルゼンチン流のユーモアなのでしょう。
「…………。」
しかし、そんなユーモアに微笑み返す余裕は重太にはありませんでした。
高い代金を払って混乱がないと言われたメインスタンド側のチケットを買ったのに、 じっくり落ち着いてマラドーナを見られないような雰囲気になってきたからです。

柵越えしてくる人はあとを断ちません。
「まじかよ……。」
中には突起部に頭を打ち付け、豪快に血を流している人もいました。

なだれこんでくる大勢の不法侵入サポーターを制御する人は誰もいません。

1階席をみると、なんだか殴り合いのケンカをしている人がいます。
球場内に危険な雰囲気が漂い、無秩序な状態が続きました。

南米のサッカー観戦では暴動が起きたり、怪我人が出たりと危険がつきものと聞いていました。
目の当たりにするとそれが大袈裟な表現じゃないことがよぉーくわかります。

「俺、無事に帰れるのかな…。」
マラドーナのプレーを生で見れると言う期待より、自分の身が不安に感じられてきました。
最低、かすり傷くらい覚悟しておいた方がいいかもしれません…。

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 ペレ、登場!
2001年11月10日 ★

ワアアアアァァァ…!!
そんな混乱の中、ブラジルが生んだサッカーの神様『ペレ』がボンボネーラに登場しました。
大きな拍手でサポーターに迎えられます。

マラドーナのファンであり、友でもあるキューバのカストロ大佐もこの引退試合に招待された様ですが、
「キューバで試合をやらないのなら出席できない」という理由でアルゼンチンにはさすがに来なかったみたいです。

ケンカや騒動とともに、場内はどんどんヒートアップしてきていました。

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 いよいよ!
2001年11月10日 ★★★★★

午後4時過ぎ。
試合開始予定時間が過ぎていましたが、まだ選手は一人もフィールドに現れていません。

「…よかった…。」
先程なだれこんで来たサポーターたちもメインスタンド側の各所に散らばり、場内も混乱から落ち着きを取り戻していました。
これでじっくり試合に集中できそうです。

「いよいよだ! いよいよ…。」
高まる期待。
早まる鼓動。
重太の20年越しの大きな夢が現実のモノになる瞬間が刻一刻と近付いていました。

ドーーーーン…!!
突然、ブエノスアイレスの青空に号砲が鳴り響きました。
続いてピッチサイドに黄色い発煙筒が勢いよくたかれます。

「来たぁっ!」
マラドーナです!
アルゼンチン代表のユニフォームに身を包んだマラドーナがついにボンボネーラに姿を表したのです!!



マラドーナ、登場!

ワアアアアァァァ…!!
主役の登場を待ちわびたサポーターから大歓声が起こり、場内には紙吹雪や紙テープが一斉に舞います。
マラドーナはそれに応え大きく両手をスタンドに向け振りました。

「…あれ?」
重太は初めて神様マラドーナを直接見ることが出来、感激する『はず』でした。
しかし、フィールド上をゆっくりと走る今のマラドーナを見て、驚きを隠せなかったのです…。



Homenaje a DIEGO

next page → いよいよ試合開始!  [ マラドーナ引退試合観戦記 <2> ]  につづく…。


<<< 2002年 ワールドカップ! >>>

がんばれ! サッカー日本代表!! 予選突破だ!

バーモス! アルへンティーナ!! 優勝だ!!

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 背番号『10』のおまけの話し
2002年5月下旬 ★

マラドーナがアルゼンチン代表の試合でつけていた背番号『10』番。
その番号は彼の功績をたたえ、永久欠番にしようということになりました。

2001年11月8日、ワールドカップ南米予選、対ペルー戦の試合前。
大人7人によって広げられた大きな背番号『10』番のユニフォームがフィールド上に登場しました。
アルゼンチン代表『10』番さよならイベントです。
「…これでアルゼンチンの10番は見納めか…。」
この日、オルテガはアルゼンチン代表史上最後の背番号『10』を着て試合に臨みました。

クラブチームならいざしらず、国の代表の背番号を永久欠番にしてしまおうとする考え。
なんともすごいお国です。

通常、代表選手は背番号『1』から『23』まで23人登録できます。
「アルゼンチンが『10』番を永久欠番にするなら、 アルゼンチンの登録可能人数を23人から『10』番をのぞいた22人にする。」
AFA(アルゼンチンサッカー協会)の考えにFIFA(国際サッカー連盟)は反対を示したのです。

23人選出できるところを22人しか選べないのは試合前からハンデをしょいこむ様なものです。
これはアルゼンチンにとって、かなり痛い通達でした。

2002年5月下旬、ワールドカップ開幕直前。
アルゼンチン代表の背番号『10』番の欠番がFIFAによって認められました。
理由はよくわかりませんが…。
これにより、アルゼンチン代表にだけ背番号『24』番(キーパー)が存在する事になりました。

その数日後の5月27日。
FIFAはまた今までの発表を覆し、背番号『10』永久欠番を認めない、と発表しました…。
もう、何がなんだか、誰もわかりません…。

こんなことはまだ序の口だったみたいで、FIFAのごたごたはワールドカップ期間中ずっと続きます…。

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 マラドーナ引退試合観戦記 <1> -目次- 

夢のはじまり ………1981年、マラドーナを見ることを夢に思い描く

夢のつづき ………1998年、未だ果たせぬ夢

ひょうたんからコマ ………2001年、あきらめていた夢を達成できるチャンスが?

アルゼンチンの英雄 ………マラドーナはアルゼンチン国民の英雄

チケットを買いに ………お値段がはる引退試合のチケット

豪雨と爆雷 ………試合前日の大問題

遠い入口 ………どこかわからない入場口

聖地『ボンボネーラ』 ………引退試合会場=ボカのホームスタジアム

国内戦&国際戦、同時開催? ………独特の雰囲気に包まれたボンボネーラ

アルゼンチン優勝! ………1986年ワールドカップ優勝シーンで盛り上がるボンボネーラ

アルゼンチン代表、登場 ………少しだけピッチにあらわれた代表選手たち

天からの祝福 ………昨晩の雷雨がウソのように…

試合前の一波乱 ………なだれこむ安席の観客たち

ペレ、登場! ………ゲスト登場で盛り上がるボンボネーラ

いよいよ! ………主役、マラドーナが登場! しかし…


背番号『10』のおまけの話し ………アルゼンチンの『10』番にまつわるいざこざ

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