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− 366日間世界一周旅行、ひとりごと <その13> −

ギリシャ〜ボスニア

世界一周した際、思った事、感じた事、考えた事です。
重太の自由気まま、勝手ワガママな意見に触れてみて下さい。

ひとりごと<その1>へ
出発(日本)〜タイ

ひとりごと<その2>へ
タイ〜カンボジア

ひとりごと<その3>へ
カンボジア〜中国

ひとりごと<その4>へ
中国

ひとりごと<その5>へ
ネパール〜インド

ひとりごと<その6>へ
インド、パキスタン

ひとりごと<その7>へ
バングラデッシュ〜ミャンマー

ひとりごと<その8>へ
タイ(3)〜U.A.E.

ひとりごと<その9>へ
トルコ〜

ひとりごと<その10>へ
トルコ〜シリア

ひとりごと<その11>へ
シリア

ひとりごと<その12>へ
レバノン〜エジプト

ひとりごと<その14>へ
クロアチア〜チェコ

ひとりごと<その15>へ
ポーランド

ひとりごと<その16>へ
ポーランド〜オーストリア

ひとりごと<その17>へ
オーストリア〜ドイツ

ひとりごと<その18>へ
ドイツ〜スイス

ひとりごと<その19>へ
イタリア(2)〜フランス

ひとりごと<その20>へ
スペイン

ひとりごと<その21>へ
ポルトガル

ひとりごと<その22>へ
ブラジル1

ひとりごと<その23>へ
ブラジル2

ひとりごと<その24>へ
ブラジル3

ひとりごと<その25>へ
ブラジル4

ひとりごと<その26>へ
アルゼンチン1

ひとりごと<その27>へ
アルゼンチン2

ひとりごと<その28>へ
アルゼンチン3〜アメリカ

ひとりごと<その29>へ
〜日本


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 アフリカからヨーロッパへ
旅の気力をほとんどなくしてしまったエジプト…。
ツタンカーメンの呪いにかかったのか、何もする気になれずどうしていいかもわからない…。

「…このまま、ここにいてはいけない…。」
それだけは、直感的にわかった。

自分がなんで旅をしているのか?
世界一周をするとどうなるのか?
 :
 :
 :
何も答えは出てないが、旅を進めなくてはならないと思った。
今はあがいてでも旅を進めるしかない、と思った。

 :
 :
 :
カイロから飛行機で地中海を北上、ギリシャのアテネに到着した。
「…さぁ、旅を楽しもう…。」
無理矢理そう言い聞かす自分がいた。
「…でも、こうまでして、なんで旅を続けてるんだろう…?」
やはりそう思ってしまう自分もいた。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 11日
旅 209日目

この頃の世界一周旅行の日記
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 変わる文化圏 その1
エジプトのカイロからギリシャのアテネへ。
文化圏が思いっきり変わった!

「綺麗な空港!」
今までのアラブ諸国と雰囲気がいきなり変わった!

「…にしても、蒸すなぁ…。」
気温と湿気のためか、伸ばし続けてる後ろ髪に熱がこもる。

「小さな美術館みたい…。」
市内の地下鉄駅構内は、出土品などこじゃれた展示をしてあった。

「人を信じ切ってるの?!」
地下鉄の改札には打刻機があるだけで、ゲートや柵がない。
つまりズルしたければ、チケットがなくても、素通り出来てしまうのだ。
検札がきて見つかった時のペナルティはすごいことになりそうだが。

旅のエリアがかわることで、旅もいっぺんに様変わりした。
いろんな意味で旅の刺激、旅の意欲が戻って来ていた。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 11日
旅 209日目

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 変わる文化圏 その2
「わぁ!!」
ギリシャに来て、何よりも驚かされたのは女性たちだった!

肩だし、ヘソ出し、ミニスカート…。
タイトなパンツにワンピース…。
細く、スタイルのいい金髪白人女性がさっそうと街を歩いている。

日本から直接アテネにくればそれほど驚くことはなかっただろう。
しかし、女性が表にあまり出ず、肌など決して露出しないイスラム諸国を回って来た後だとかなり新鮮。
そして 刺 激 的!

なんだか楽しい旅が始まりそうな気がして来た。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 11日
旅 209日目

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 変わる物価圏
今まで旅してきたアジアでは、1日1000〜2000円で過ごせてしまうこともあったりした。
半年以上もそんな環境にいたため、そんな安い物価に慣れてしまっていた。

「まじかよ!」
バスは市内まで2.5ドル?(約350円)。
ホテルは一泊20〜40ドル?(4000円前後)。
ヨーロッパにきて物価がいっぺんにはね上がった!
これでもギリシャはヨーロッパの中でも物価が安い方らしいが…。

旅のエリアがかわることで、生活環境もかわり、物価も大変わりすることを身を持って体験した。

「ふーーん、物価の違いってものすごく旅行者に影響するね。」
こういった変化を体験することが、自分にとって『旅の刺激になるんだなぁ』と実感した。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 11日
旅 209日目

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 ユーロ? なんだそれ?
レシートには、ギリシャ通貨(ドラクマ)といっしょに『ユーロ』たるものが併記されている。
ヨーロッパ共通通貨の話を聞いた事があるから、多分それのことだろう。
「まだ実際に使われていないお金の事をレシートにかかれても…」と思った。

施行は半年後の2002年1月から。
今まで200ドラクマだったコーラがいきなり1.1ユーロとか言われても困るから今のうちから慣れておけ、ということだろうか。

自分の国の通貨単位が変わるって、けっこう戸惑うものではないだろうか?
「これから日本では『円』をやめて、『両』が通貨単位です、120円のコーラが1.6両になります。」
と言われてもピンとこない気がした。

………。
そのうち、慣れちゃうものかもしれない、とも思った。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 13日
旅 211日目

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 やはり遺跡不感症…
世界遺産、アクロポリスへ。
テレビや雑誌などでお馴染みのパルテノン神殿など見る。

「無理に綺麗にしてないか?」
2004年開催のオリンピックを意識してか、そんな感じがしてならなかった。
大きさもレバノンのバールベックにあったバッカス神殿より小さく見える。
なんだか意外といまいちなアクロポリス…。

…遺跡不感症は直ってない様だ。
旅を続け、あれこれいろいろ遺跡ばかりを見過ぎてしまったからだろうか…?
どうやら、遺跡はいくつもいくつも続けて訪問しないほうが良い様だ。

『ものすご〜く』デカイ建物。
『ものすご〜く』広い敷地。
『ものすご〜く』高い塔。
『ものすご〜く』変な形。
素人でもわかる何か『ものすご〜い特長』がないと、だんだん遺跡に 感銘を受けなくなって来ているのは事実だ…。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 13日
旅 211日目

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 ささいな発見、旅の面白み
アテナスタジアムへ足を運んだ。
第1回近代オリンピックが開催されたスタジアムとのこと。
『ものすご〜く』縦に長いトラックは、カーブがきつくとても使いにくそう。
でも、今までに見た事のない競技場はとても新鮮でインパクトのあるものだった。

フィールド内にはギリシャ風の写実的な石造が数体立っていた。
首から下は四角い石柱のまま。

しかし、股間のあたりには、写実的な『男性性器』がついていた。

その像は背中合わせになっていて、うしろにももう一体男性の像があった。
こちらのものは、なんとたっていた…!
笑える意外な発見だった。

こういう人が知らないであろうものを自力で発見すると、 とたんに自分が『すごいヤツ』の様な気分になる。
そして、誰かに無性に教えたくなる。

旅の面白みは、こういうささいな事の積み重ねなのかも知れない。
そんなこともこの不思議な石造のおかげで思えた。

[ ギリシャ、アテネにて ] 2001年 6月 13日
旅 211日目

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 直線的な旅
「絶対いいよ! おすすめ!」
ユースホステルで出会った日本人女性旅人からさんざん勧められたエーゲ海の島めぐり。
その島々がどんなに魅力的でも、再びアテネに戻ってくる『周回ルート』をどうしてもとりたくなかった。
気分的にはどんどん旅を『直線的』に進めたかった。
景色の綺麗なム−ディな島に男一人で行っても、 またダハブの二の舞いになりかねないと思った。

よって、島めぐりはパスして、アテネから列車で北上した。

…タタン、タタン…。
心地よい線路の音。
ゆったりした車内。
同じスピードで現れては消える車窓からの風景。

なんだかものすごく気分がいい!
落ち着いた気分になれる。
考えてみると、列車の旅は3月末のインド以来。
自分にとって、列車の旅は『旅』を実感出来るものの一つだとわかった。
旅の良さをこんな些細な事からもじっくり味わった。

勧められた島めぐりは、またいつかでいいだろう。
今は自分の進みたいように旅を進める事の方がずっと大事に思えた。

列車は5時間ほどで、ギリシャ北西の町=カランバカへたどり着いた。
町の背後には期待していた自然が待ち構えていてくれた。

[ ギリシャ、カランバカにて ] 2001年 6月 14日
旅 212日目

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 奇岩の上
地面から塔の様にそそりたつ奇岩たち。
その上にたてられた修道院。
その遠くにふもとの町が小さく見える。

世界遺産、メテオラ。
奇岩と修道院、自然と人工が絶妙にマッチした場所。
眼下に広がる絶景は言葉で表現するのが難しいものだ。
何時間でも眺めていられる風景には旅を続けていても、そうそう巡り会えるものではない。

巡り会ったその雄大な景色は旅の疲れを癒してくれるものだった。
こんな素晴らしい景色をもっと見てみたい。
メテオラは、そんな気持ちが静かに沸き上がってくる不思議な場所だった。

[ ギリシャ、メテオラにて ] 2001年 6月 16日
旅 212日目

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 人生、28年目にしての初挑戦
点在するメテオラの修道院。
起伏の激しい山の合間を歩いてを次々見て回った。

一番最後の修道院まで来た時ある事に気がついた。
「帰りは同じ道を歩いて戻らなくちゃならないのか…?」
山間部の道は明らかに1本しかなかった。
ふもとにおりるバス停に戻るためにはその道を戻らなくてはならない。
ゆっくり歩いて1時間以上かかった道のりを、また…?

次のバスに乗れないと、歩いてふもとまで行くしかなくなる。
何時間かかるか、考えたくもない…。

そこで、思いきって『あれ』をやってみることにした。
そう、あの番組でおなじみの『ヒッチハイク』だ。
今まで28年生きて来て、初めての挑戦だ。

………。

観光エリアのためか車の往来はほとんどない…。
来た方向へ少しずつ歩きながら後ろから車が来ないかと待ちわびる。

やっと1台目の車が来た!
親指を天にむけ、元気に腕をあげる。

ぶおぉぉ〜ん…。
…無視された。
全く相手にされなかった…。
いきなり成功するとは思わなかったが、なんだかさびしい。

またしばらく来た道を歩き続ける。
2台目の車が来た!

ぶおぉぉ〜ん…。
また、車は通り過ぎて行った。
悪いことも何もしてないのに、自分を拒絶された気分…。
なんだか、悔しい。

「なんで?」
乗せてもらえないこと、相手にされないことに腹が立ってきた。
また同じ道を延々歩いて帰るのか、と思うとだんだん気力はなくなる。
ふもと行きのバスにのれるか、と考えるとどんどん焦り始めてきた。

ヒッチハイクなんて、そんなに都合よくうまくいくわけないんだ、って思い知らされた。

[ ギリシャ、メテオラにて ] 2001年 6月 14日
旅 212日目

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 ヒッチハイク、その後…
初めてのヒッチハイク
しばらくして、3台目の車がきた。

ぶおぉぉ〜ん…。
ヒッチハイカーなど気にもせず、軽快に通り過ぎて行った。

「………。マジかよ…。なんでだよ…。」
たった3回ふられただけだが、かなりへこむヒッチハイク。
車に乗せてもらえないだけで、自分の存在全体を否定されている気分。

「このままだと歩いてふもとまで行く羽目に…。」
絶望感すらだたよい始めてきた…。

しばらくして4台目の車がきた。
ダメモトで親指をあげてみる…。
 :
 :
………、キキィ〜っ。
なんと、数m先でその赤い車がとまったではないか!

駆け寄ってのせてほしいと頼み込む。
「荷台でよければどうぞ。」

ぃやったぁ〜〜!
うれしかった!
ただ車に乗せてもらうだけのことが、人生で3番目くらいにうれしいことだった!

トラックの荷台にとびのると、車は軽快に発車した。
ありもしない自分の旅の応援歌を今、このタイミングでBGMとして流してもらいたい気分。

はやい!
後ろにすぎゆく景色のスピードがちがう!
はやい!
歩いて45分の道のりがたったの5分!

「ここでいいです!」
屋根をたたき、車を止めてもらう。
「さんきう!!」
お礼をいい、その親切な車と別れた。

「(ほんわ〜。)」
バスにも間に合いなんだか得意顔な自分。
ダメモトでもなんでもやってみるもんだ、と思った。

たった数分間の出来事だが、なんだかものすごい大冒険をした気になった。
ちょっとだけあの番組に出た気分だった。

[ ギリシャ、メテオラにて ] 2001年 6月 16日
旅 214日目

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 旅のルート模索 その1
今後、どうやって旅を進めようか、ルートをあれこれ考えてみる。

お城、遺跡、巡礼地、有名な町、友達のいる国、…。
ヨーロッパには行きたい所、見てみたい場所がいっぱいある。
せっかくだから、1つでも多く訪れてみたい。

四方八方に散らばっている見所をなるべく行ったり来たりがないよう、ルート作りをしてみる。
訪れる順序、列車、バスなどの便を考えると、何が最善のルートかわからない。
そのうち、プランすること自体だんだん面倒くさくなって来た。

全体のプランを考えるのはやめにして、ちょっと先のルートだけ考えてみる。
とりあえず、ここギリシャから北東へ進み、ブルガリアに行って本場のヨーグルトを食べてみたい。
マンガ『マスターキートン』で舞台となったルーマニアにも行ってみたい。
それから、北上して、ヨーロッパ各地を西に向け進めばいいか…、と漠然と考えた。
でも、ビザが必要な国もあり、今までの経験上、ビザを取る時間と金がもったいなく思えたりもした。

どうも、『これ!』というルートが浮かんでこない…。

出発前の予定だと、すでにヨーロッパの旅を終え、南米に行っているはずだったのだが…。
旅の残り期間=5ヶ月。
その間にヨーロッパ、南米、北米の見たい場所をまわれるのだろうか…。
あらためて計画を見直すと、1年という旅の期間がものすごく短いものに感じられた。

効率的に進む事を考え、ちょっと焦り気味の旅になってきている…。

[ ギリシャ、カランバカにて ] 2001年 6月 15日
旅 213日目

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 義務的な旅?
今まで半年以上も旅をして来たアジアでは、ルートづくりに頭を悩ます事などあまりなかった。
行きたい場所をピックアップすると、たいてい線で結ばれてしまい、近い所から順々に進むしかなかったからだ。

平面に広がるヨーロッパの行きたい場所、色々。
いかに効率的につないで行くか、最善のルートを考えるのはとても面倒…。

「アジアの旅はよかったなぁ〜。ルートづくりも楽。物価も安かったし…。」
既に終わったアジアの旅をいまさら懐かしんでしまった。

旅に焦りを感じたり、昔の旅を懐かしんだり…。
どうも『今、これからする旅』に身が入っていない。
旅そのものを心から楽しんでいない。
なんだか旅を義務でしている状態になってきている…。

[ ギリシャ、カランバカにて ] 2001年 6月 15日
旅 213日目

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 旅のルート模索 その2
結局1日ホテルの部屋で今後の旅のルートを考え込んだ。
なかなか名案はうかばない…。

「近くに来たら、絶対遊びにきてよ!」
ケリーからもらったメールを思い出した。
アメリカ留学時代から10年以上の付き合いがあるケリ−
彼女は今、国連の仕事でボスニア・ヘルツェゴビナにいる。

ボスニア・ヘルツェゴビナ…。
内戦のイメージがつきまとう国。
名前を聞くだけで、行く事に抵抗を感じてしまう国…。

ギリシャからボスニアに陸路で行くには、キナくさいアルバニアを通らねばならない。
まだ命がおしいので、そのルートは是非とも避けたいコースだ。
身の安全を考えたら、ケリーに会うのはあきらめるしかないと思っていた。

「大丈夫! 治安はニューヨークよりいいから!」
そこまでケリ−に言われると、ボスニアに行かなくては、という気にもなってくる。
どうにか、ボスニアに行ける道はないものだろうか?
旅ボケした頭をなんとかフル回転させて考えてみる。

アルバニア北上は非現実的。
ブルガリア、ルーマニアを通る東周りはなんとなく遠回り…。
「…! そうか、陸路じゃなくて、海路を使えばいいんだ!」
ギリシャから一旦アドリア海を西へ渡り、イタリアへ。
そこから再びアドリア海を東へ渡り、クロアチアに入ればいい。
クロアチアからボスニアへは陸路移動できるはず!

こうすればアルバニアは避けられるし、大好きなイタリアにもちょっとだけ足をつっこめる!
そして、ケリーにも久々会える!

「こいつは、名案だ!」
自分のひらめきに自分でおそれいっていた。
誰かに誉めて欲しいくらい、素晴らしい発見だった。

[ ギリシャ、カランバカにて ] 2001年 6月 15日
旅 213日目

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 パルロ イタリアーノ!
バスでカランバカからギリシャ北西の港町、イゴウメニツァへ。
夜、豪華客船『キングミコノス号』にのってアドリア海を西へ。
船は一晩でイタリアの南東(ブーツのカカトらへん)、ブリンディシという港町へたどり着いた。

旅の第23カ国目に入国を果たした。
しかし、EU諸国内の移動のためか、パスポートにスタンプは押されない…。
…ちょっとだけ残念。

「アルベロベッロにいって、そのあと、バーリに行きたいんだけど…。」
まがりなりのイタリア語がスラスラ出てくる。
1993年にイタリアに行き、 その影響でその後なんとなく見続けていた国営放送イタリア語会話。
それが、こんな所で役立つなんて!!!

現地の言葉が通じる旅はやはり楽しさが倍増する!
道を聞く、チケットを買う、行き先を確認する、宿を決める、…。
ちょっとした事でなんちゃってイタリア語をどんどん使いたくなってしまう。
それがとりあえず通じているので、なんだかうれしい。

みぶり手ぶりのジェスチャーの旅、英語で押し通す旅もいいのだが、 現地の言葉でがんばる旅はもっといいな、と素直に思えた。

[ イタリア、ブリンディシにて ] 2001年 6月 18日
旅 216日目

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 ブラ−ボ! イタ−リア!
フェリーの都合でバーリという港町で足留めをくらうことになった。

簡単に町を観光する。
丸っこくてかわいい名車『フィアット500』をあちこちで見かける。
自分が大好きなイタリアにまた来れた事を実感させてくれる風景だった。

道行く人は老若男女、みんなかなりファッショナブル。
服装やサングラスから、今までの国々とは違う『どことなくおしゃれな』雰囲気が伝わってくる。
こんなことからも、イタリアを思いっきり感じることができる。

6月なのにバーリは風が強くけっこう肌寒い。
腹も減ったので、港近くの大衆レストランに入ることにした。

昼時のためか、活気のある店内。
「ワインは何を飲むかい?」
笑顔で聞いてくるおじさんウェイター。
「何を飲みますか?」ではなく「ワインは何にする?」と聞いてくるのがすごくいい感じ!
こんなことから思いっきりイタリアを感じた。

いいなぁ、イタリア。
有名な観光地でなくても、楽しい人間が多く雰囲気がすごくいい。
見知らぬ町でも、いるだけでなにか心が満たされてしまう不思議な国だ…。

[ イタリア、ブリンディシにて ] 2001年 6月 19日
旅 217日目

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 世界一うまいボンゴレ
「う、うまいぃ!!」
そのレストランで注文したスパゲティ−ボンゴレのうまさといったら!
地元イタリアだからとか、港町だからとか理由はともかく、まじでうまい!!
こんなうまいスパゲティ−、今まで食べたことがない!
間違いなく、世界で一番うまいスパゲティ−ボンゴレだろう!

バーリで足留めをくらった数日、行く先々のレストランで食事を堪能している。
貝のリゾット、ビーフロールトマトソース、おちゃ、ケーキ、ハウスワイン、ピザ、カプチーノ、…。
とにかく、なんでもうまい!
そして、値段もさほど高くない!

これまで旅の間、食事にあまり重点をおいてこなかった。
しかし、ここ南イタリアでうまいものにめぐりあいまくると 『うまいものを探し求める旅もいいなぁ』なんて思わされた。
思うだけで実行はしないのだが…。

[ イタリア、バーリにて ] 2001年 6月 21日
旅 219日目

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 既視感
夜、フェリーで再びアドリア海を横断。
今度はイタリアのバーリから東へ。
船は一晩でクロアチアの南端、ドゥブロブニクへたどり着いた。
ここはケリ−のいるボスニアに行くための通過地点となる。

城壁に囲まれた旧市街に足を踏み入れた。
「あれ? あれ? ここ、知ってる!」
初めて来た場所なのに何故か馴染みがある。
「え? なんで? なんで知ってるんだろう?」
不思議な感覚にとらわれた。

「そうだよ、この時計塔も広場も、メインストリートも知ってる!」
歩を進める度に、あいまいな記憶が確信に変わっていった。

なんのことはない、そこは以前TV『世界遺産』で見たことがある場所だったのだ。
綺麗な町という印象だったが、それがどこなのか都市名を気にとめなかった。
ただ漠然と『いつか行ってみたいな』と思っただけだった。

自分はTVや雑誌で見て印象に残った都市や場所は結構覚えている。
それをもとに旅のルートを決めることも少なくない。
しかし、今回の様に興味のある所に無意識にいつのまにかたどり着いてしまうのは、初めての体験だ。
「何気なく行きたい場所に来れちゃったよ…!」
導かれ、得したような、なんだかものすごく不思議な感覚を味わった。

[ クロアチア、ドゥブロブニクにて ] 2001年 6月 22日
旅 220日目

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 ボスニアへ…
−−− 1994年2月5日。
−−− ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボはセルビア人勢力に砲撃され、約70人の死者が出た。
そんな戦争が数年前まであった国へバスで陸路入国を果たした。

青地に大きく黄色い三角形、そこに一直線に並ぶ星々。
初めて見るボスニア・ヘルツェゴビナの国旗。
殆ど馴染みのない場所に来てしまったことを実感させられる。

バスはサラエボに向かい走り始めた。
「(!!!!!! マジかよ!)」
一般の道路でいきなり度胆を抜かれた。
なんと、『装甲車の大行列』とすれ違ったのだ。

戦闘服にヘルメットをかぶり、ハッチから上半身を出し自動小銃を構えている兵士。
いつでも戦える、と言わんばかりの状態だった。
この旅で、カンボジアやレバノンという戦地跡をいくつか見て来たが、 『生生しい戦争の雰囲気』をここまで間近に感じたのは初めてのことだ。

外務省の海外危険情報を確認しなかったが、ボスニアの危険度はいくつなんだろう?
最低、危険度3『渡航延期勧告』は出されていそうだ…。

「やっぱり来ちゃイケナイ場所に来たのか?」
入国直後にいきなり不安にかられた。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナにて ] 2001年 6月 23日
旅 221日目

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 戦争の傷跡
緑の木々、山、川、青空…。
バスは自然の風景の中を走り抜けていく。
戦争のイメージとは程遠い、のどかな風景になった。

「…うわぁ…。」
所々通過する町では景色が一変。
崩れかかった屋根、砲弾を受けた壁…。
戦争の傷痕を至る所で目の当たりにした…。

「…おい、おい…。」
サラエボではまた度胆を抜かれた。
砲弾をうけ、ボロボロになった巨大なビルがそのままの姿で立ち尽くしていたのだ。
壁には大きな穴がいくつもあき、焼けこげたようなすすあとが残るビル…。
費用がないためか、直すわけでも撤去するわけでもなく放置された状態になっていた。

他でも屋根のないレンガの建物、壁に残る無数の弾痕など目には入る。
そういえば、第一次世界大戦のきっかけ、オーストリア皇太子が殺されたのもここサラエボだ。
「近代の歴史の舞台にきてるのか…。」
そう考えると恐ろしくもあり、すごい所に来てしまった気分でもあった。

『町の外の綺麗な自然』と『破壊跡の町』。
このギャップに戸惑い、色々考えさせられる国、ボスニア・ヘルツェゴビナ。

そんな中、ひっそり立っている看板があった。
『1984 サラエボ冬期オリンピック 案内図』
それはかなり色褪せてはいたが、とても意味があるものとして印象的に映った。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナにて ] 2001年 6月 23日
旅 221日目

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 ケリーとの再会
サラエボですぐバスを乗り換え、『DOBOJ』と書いて『ドボイ』と読む町を目指す。

大雨でも降ったのか、道の横の川はかなり増水していた。
のどかな車窓を眺めながら11年前の今日の事をぼんやり思い出していた。
10ヶ月に及ぶアメリカ留学を終え、慣れ親しんだ地=オークハーバーを後にした日。
ケリーと別れなければならなかった日。
それが11年前の今日だった。

「しげちゃーーーーーーん、元気ぃ〜?」
「おお! ケリ−!」
ドボイのバスターミナルでケリーと再会を果たした。
彼女と別れた日に、11年の時を越えて再会。
なんだか、不思議な感じがしてならない。
それがまた自分の誕生日だったりするから、因果めいたものを感じずにはいられない。

見知らぬ場所を訪れることが多かったこの旅。
昔からの知り合いに会うのは、旅の違った刺激となった。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドボイにて ] 2001年 6月 23日
旅 221日目

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 よみがえる思い出
「すごいねぇ〜! 何ヶ国見て来たの?」
ケリーは目を輝かせ、今までの旅の話をあれこれ聞いてくれた。

「絵をまだ描いてるんだねぇ〜。」
旅の絵日記もじっくり興味深く見ていた。

他にもお互いの近況報告で話はつきなかった。

高校留学後も、ケリーと何度か会うことはあった。
しかし、数日間の再会では話す事は限られてしまう。
この地、ドボイで仕事をするケリー。
気楽な旅人、重太。
時間を気にせずこんなにじっくり話をするのは、それこそ留学以来だった。

「(そうか、そうだったんだ!)」
去年オークハーバーで行なわれた卒業10周年同窓会で 何か足りなかったものがここでハッキリわかった。
それは、『同じ時を過ごした仲間たちとの再会』だ。

場所に行けば懐かしく感じることも多々あるが、人と分かち合う思い出もたくさんある。
同窓会にそれを期待していたのに、自分と親しかった友人の多くはその場にはいなかった。

「なんだか懐かしいね。」
時間がいくらでもあったアメリカ高校時代の感覚がよみがえる。
数年遠く離れて過ごしていても、ひとたび出会えばまた昔の感覚で話が出来てしまう。
「そんな友達が自分にはいたんだ。」
数年ぶりに昔馴染みに会い、とてもうれしい発見をした。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドボイにて ] 2001年 6月 23日
旅 221日目

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 破壊と再生
国連で難民関連の仕事をしているケリ−。
そのケリーについて行き、復興中の村へ訪れてみた。

地面をならし、レンガを重ね壁をつくり、屋根をつくり…。
そこには、戦後再び自分の家に戻り、壊れた家を建て直している人たちがいた。

「壊れてしまったなら、また作り直せばいいさ!」
戦争から立ち直る人たち。
人間の生命力、たくましさに触れた気がした。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドボイにて ] 2001年 6月 25日
旅 223日目

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 いらない戦争
「道から出ないでね。」
ケリ−がいった。
地雷がまだあちこちに残っているという。
最近の大雨で地雷が流され、どこに地雷があるか誰もわからない、とのことだ。

確実に安全なのは誰かが通ったことのある道だけ。
治安はニューヨークよりいいが、こんな危険がボスニアにはある。

無差別に人の命を奪う戦争の産物、地雷…。
しかし、戦争が終わってもなお残る命の危険…。
こんな恐怖と共に生活をしなくてはならないなんて…。
戦争って本当にいらないものだと思った。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドボイにて ] 2001年 6月 25日
旅 223日目

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 立ち直るボスニア
バスでドボイを離れ、サラエボへ1泊の旅。

意外と小さなこの町は、歩いてすぐひとまわり出来てしまった。
ノドを潤すため、オープンカフェでひと休みする。

隣にはコーヒーを楽しむ若者たち。
アイスを片手に道行く子供たち。
仕事の話しをしながら歩くビジネスマン。
ウォークマンをしながらインラインスケートをしている女性。

それは、『ある町の平和な風景』だった。
ここだけ見ると、戦争などみじんも感じさせない。
人々はいまわしい戦争から立ち直っている様子がみてとれた。

戦争を感じた後にこんな風景を見ると、なんだか心が安らぐ。
復興をとげている町から少し元気を分けてもらった気がした。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、サラエボにて ] 2001年 6月 26日
旅 224日目

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 平和のありがた味
サラエボの町外れの丘。
町の様子をデッサンしている学生がたくさんいた。
どうやら建築、美術学校の学生らしい。

「戦争の頃はノルウェーに疎開してたの。」
楽しい絵の話から一転、意外な戦争体験談を聞く事になった。
「戦争が終わって帰って来たら、町も家も壊れててたの…。」
そう語る女学生の表情が暗くなった。

自分より若い人が戦争を直に体験しているなんて…。
そんな悲しい事実がなんとも切なかった。

日本人の我らは『そこにあって当たり前』の様に感じてしまう平和。
もうちょっとその『ありがた味』や『大切さ』を認識しないとな…。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、サラエボにて ] 2001年 6月 26日
旅 224日目

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 ドボイでの日々
1泊のサラエボ観光から再びドボイへ戻って来た。

ケリーやその友達と過ごす時間。
丘の上にあるお城で景色を楽しみながらチーズ&ワインパーティー。
公会堂で映画鑑賞。
バーに行ってビリヤード。
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ボスニアのアフターファイブや週末を一緒に体験させてもらった。

友達とあつまり、楽しい時間を共に過ごす。
特別なことではない、ただそれだけの世界中でごく在り来たりの光景。
しかし、戦争の遺物を直接見て、あれこれ考えた後だとこの光景がやけに尊いものの様に感じられた。

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドボイにて ] 2001年 6月 28日
旅 226日目

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 ドーブロおやじ
ケリーやその友達と一緒にとった写真を焼き増ししようと、写真屋にいってみた。
ボスニアの言葉を話せない自分はジェスチャーでなんとか現像だけをお願いする。
全てをプリントするのは荷物になってしまうため、現像だけして必要なコマだけ焼き増ししようと思ったからだ。

「ドーブロ! ドーブロ!」
英語を話せないおやじはこの言葉を繰り返す。
通じたかどうかわからないのだが、そのおやじの笑顔はとびきりいいものだった。

小さな町のためか、人がいいからか。
そのおやじはボスニアの言葉など全くわからない日本人に向かってあれこれ話しかけてくる。
「ドーブロ! ドーブロ!」
おやじの「ドーブロ!」は終わらない。
どうやら娘さんらしき綺麗な女性の写真を何度も見せてくれた。
「ドーブロ! ドーブロ!」
あらゆる局面で使われてしまうこの単語の意味はどうも推測しにくい…。

言葉が全く通じないまま30分もおしゃべりをして、カメラ屋をひとまず後にした。

数時間後…。
現像だけされたフィルムを受け取った。
注文通りの仕事にこちらも大満足。

「これ、2枚。これ、1枚…。」
ジェスチャーまじりで焼き増しを注文する。
「ドーブロ! ドーブロ!」
結局、この単語の意味はよく分からないままだったが、おやじのとびきりの笑顔にそんなことはどうでも いいように思えた。

…にしても、ドーブロとはどういう意味なのだろう?

[ ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドボイにて ] 2001年 6月 28日
旅 226日目

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 悲しい別れ
「ありがとう。そろそろ旅を続けるよ。」
ケリーの家に一週間もお世話になってしまった。
ここでゆっくりさせてもらったことで、エジプトで失いかけた旅への意欲を再充電できた。

旅立ちの朝。
二人、ベランダでたわいもない話をしながらゆっくり朝食をとる。
おだやかに、自然にながれゆく時間。
ずっと前からこうやって来たような感じすらおぼえた。

「!」
それは、11年前、二人が1番盛り上がっていた頃、ぼんやり思い描いていた光景。
11年後、なんだか意外な形で現実のものとなった。

昼過ぎ、ケリーは車で国境の町まで送ってくれた。
橋を渡るとすでにここはクロアチア。
首都ザグレブ行きの列車はもうすぐ発車する。

「ヨーロッパをぐるっとまわって、最後はリスボンに行くつもりだよ。」
「私、リスボンに行ってみたかったんだ!」
「じゃ、リスボンで会おうよ!」
「うん!」
しばらくハグしてから列車に乗り込んだ。

列車の窓から見下ろすホームにケリーがまだいてくれた。
時間になり、静かに動き出す列車。
手を振り別れを惜しむ二人。
一人ホームに残るケリー。

この旅で、いろんな人と出会い、いろんな人と別れてきた。
「旅に別れはつきもの。」
そう思い、寂しさにはもうとっくに慣れたつもりでいた。

しかし、ケリーとの別れは別だった。
涙が溢れ出てくる。
こんな自分がまだいたんだ、と意外な感じだった。

旅、別れ、夕暮れの車窓…。
なぜかすがすがしい気持ちの自分がいた。

[ クロアチア、ドゥブロブニクにて ] 2001年 6月 30日
旅 228日目

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ひとりごと<その1>へ
出発(日本)〜タイ

ひとりごと<その2>へ
タイ〜カンボジア

ひとりごと<その3>へ
カンボジア〜中国

ひとりごと<その4>へ
中国

ひとりごと<その5>へ
ネパール〜インド

ひとりごと<その6>へ
インド、パキスタン

ひとりごと<その7>へ
バングラデッシュ〜ミャンマー

ひとりごと<その8>へ
タイ(3)〜U.A.E.

ひとりごと<その9>へ
トルコ〜

ひとりごと<その10>へ
トルコ〜シリア

ひとりごと<その11>へ
シリア

ひとりごと<その12>へ
レバノン〜エジプト

ひとりごと<その14>へ
クロアチア〜チェコ

ひとりごと<その15>へ
ポーランド

ひとりごと<その16>へ
ポーランド〜オーストリア

ひとりごと<その17>へ
オーストリア〜ドイツ

ひとりごと<その18>へ
ドイツ〜スイス

ひとりごと<その19>へ
イタリア(2)〜フランス

ひとりごと<その20>へ
スペイン

ひとりごと<その21>へ
ポルトガル

ひとりごと<その22>へ
ブラジル1

ひとりごと<その23>へ
ブラジル2

ひとりごと<その24>へ
ブラジル3

ひとりごと<その25>へ
ブラジル4

ひとりごと<その26>へ
アルゼンチン1

ひとりごと<その27>へ
アルゼンチン2

ひとりごと<その28>へ
アルゼンチン3〜アメリカ

ひとりごと<その29>へ
〜日本



 世界一周旅行、ひとりごと その13 ー目次ー  
アフリカからヨーロッパへ (2003/ 2/ 18 更新) ………あがく旅を続けることに(2001/ 6/ 11、アテネ)

変わる文化圏 その1(2003/ 2/ 18 更新) ………少しずつ旅の刺激が戻ってくる(2001/ 6/ 11、アテネ)

変わる文化圏 その2(2003/ 2/ 18 更新) ………感激な光景(2001/ 6/ 11、アテネ)

変わる物価圏 (2003/ 2/ 18 更新) ………はねあがる物価に戸惑う(2001/ 6/ 11、アテネ)

ユーロ? なんだそれ? (2003/ 2/ 18 更新) ………まだ実在しない未来の通貨(2001/ 6/ 13、アテネ)

やはり遺跡不感症… (2003/ 2/ 25 更新) ………遺跡観光は続けると飽きる(2001/ 6/ 13、アテネ)

ささいな発見、旅の面白み (2003/ 2/ 25 更新) ………不思議な石造から学ぶ事(2001/ 6/ 13、アテネ)

直線的な旅 (2003/ 2/ 25 更新) ………とにかくどんどん旅を進めたい気分(2001/ 6/ 6/ 14、カランバカ)

奇岩の上 (2003/ 2/ 25 更新) ………心癒される風景(2001/ 6/ 16、メテオラ)

人生、28年目にしての初挑戦 (2003/ 2/ 25 更新) ………TV番組気分で挑戦(2001/ 6/ 16、メテオラ)

ヒッチハイク、その後… (2003/ 3/ 04 更新) ………大冒険気分を味わう(2001/ 6/ 16、メテオラ)

旅のルート模索 その1 (2003/ 3/ 04 更新) ………可能性がありすぎて決まらないルート(2001/ 6/ 15、カランバカ)

義務的な旅? (2003/ 3/ 04 更新) ………今を楽しんでいない状態(2001/ 6/ 15、カランバカ)

旅のルート模索 その2 (2003/ 3/ 04 更新) ………天才的なひらめき(自称)(2001/ 6/ 15、カランバカ)

パルロ イタリアーノ! (2003/ 3/ 04 更新) ………通じるなんちゃってイタリア語(2001/ 6/ 18、ブリンディシ)

ブラ−ボ! イタ−リア! (2003/ 3/ 04 更新) ………楽しいイタリア(2001/ 6/ 18、バーリ)

世界一うまいボンゴレ (2003/ 3/ 04 更新) ………おいしいイタリア(2001/ 6/ 18、バーリ)

既視感 (2003/ 3/ 11 更新) ………初めての地にある奇妙な記憶(2001/ 6/ 22、ドゥブロブニク)

ボスニアへ… (2003/ 3/ 11 更新) ………いきなり度胆をぬかれる道路の上(2001/ 6/ 23、国境)

戦争の傷跡 (2003/ 3/ 11 更新) ………破壊の跡が町中に(2001/ 6/ 23、サラエボ)

ケリーとの再会 (2003/ 3/ 11 更新) ………因果の中にある特異日、旅の報告(2001/ 6/ 23、ドボイ)

よみがえる思い出 (2003/ 3/ 18 更新) ………留学時代を思い出す(2001/ 6/ 23、ドボイ)

破壊と再生 (2003/ 3/ 18 更新) ………復興する人々(2001/ 6/ 25、ドボイ)

いらない戦争 (2003/ 3/ 18 更新) ………地雷の恐怖(2001/ 6/ 25、ドボイ)

立ち直るボスニア (2003/ 3/ 18 更新) ………平和な光景に心なごむ(2001/ 6/ 26、サラエボ)

平和のありがた味 (2003/ 3/ 18 更新) ………戦争を体験した学生の話(2001/ 6/ 26、サラエボ)

ドボイでの日々 (2003/ 3/ 18 更新) ………何気ない光景の重み(2001/ 6/ 28、ドボイ)

ドーブロおやじ (2003/ 3/ 18 更新) ………ドーブロを連呼する陽気なおやじ(2001/ 6/ 28、ドボイ)

悲しい別れ (2003/ 3/ 18 更新) ………この旅で一番悲しい別れ(2001/ 6/ 30、ボスニア、クロアチア国境)

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