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− 366日間世界一周旅行、ひとりごと <その26> −

アルゼンチン1

世界一周した際、思った事、感じた事、考えた事です。
重太の自由気まま、勝手ワガママな意見に触れてみて下さい。

ひとりごと<その1>へ
出発(日本)〜タイ

ひとりごと<その2>へ
タイ〜カンボジア

ひとりごと<その3>へ
カンボジア〜中国

ひとりごと<その4>へ
中国

ひとりごと<その5>へ
ネパール〜インド

ひとりごと<その6>へ
インド、パキスタン

ひとりごと<その7>へ
バングラデッシュ〜ミャンマー

ひとりごと<その8>へ
タイ(3)〜U.A.E.

ひとりごと<その9>へ
トルコ〜

ひとりごと<その10>へ
トルコ〜シリア

ひとりごと<その11>へ
シリア

ひとりごと<その12>へ
レバノン〜エジプト

ひとりごと<その13>へ
ギリシャ〜ボスニア

ひとりごと<その14>へ
クロアチア〜チェコ

ひとりごと<その15>へ
ポーランド

ひとりごと<その16>へ
ポーランド〜オーストリア

ひとりごと<その17>へ
オーストリア〜ドイツ

ひとりごと<その18>へ
ドイツ〜スイス

ひとりごと<その19>へ
イタリア(2)〜フランス

ひとりごと<その20>へ
スペイン

ひとりごと<その21>へ
ポルトガル

ひとりごと<その22>へ
ブラジル1

ひとりごと<その23>へ
ブラジル2

ひとりごと<その24>へ
ブラジル3

ひとりごと<その25>へ
ブラジル4

ひとりごと<その27>へ
アルゼンチン2

ひとりごと<その28>へ
アルゼンチン3〜アメリカ

ひとりごと<その29>へ
〜日本


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 意外なブエノス・アイレス
Way to Buenos Aires サンパウロを発った飛行機は、ブエノス・アイレスに到着しようとしていた。
いよいよ、20年ぶりのアルゼンチンは、すぐ目の前だ!
緊張と興奮感が高まる!

できれば、着陸前に空から懐かしい町を眺めたいものだ。
 :
 :
 :
…サンパウロはあんなに晴れていたのに、ブエノスは天気がよくない…。
灰色の雲が邪魔をして、なかなか地表が見えない。

「ええええ?!」
少しの雲間から眼下に見えた町は、なんと水で覆われていた!
家と家の間にある道路はすべて水浸し。
大雨で洪水にでもなったのだろうか?

知らないブエノス・アイレスがいきなりあらわれ、かなり驚いた。


「…そういえば…。」
昔、見た映画『ラテンアメリカ・光と影の詩』の1シーンを思い出した。
自転車で南米を旅する少年が訪れたブエノス・アイレスも町中が水浸し。(写真:右)
市内を移動するのは、バスでなく『船』…。

その映画は、ジョークまじりに少しファンタジーをかけあわせたロードムービー。
実際にはそんなことはありえないと思っていたのに、目の前にその風景が…?

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 旅の最終目的地
飛行機は森の中にある空港へ降りた。
「ブエノスの空港って、こんな所にあったっけ?」
自分の記憶と違う状況に、ちょっとばかり不安になった…。
本当にここは、ブエノス・アイレスなのか?

「ウェルカム トゥ ブエノス・アイレス。」
着陸後の機内アナウンスを聞いて、安心した。
そして、徐々にうれしさがこみ上げてきた。
「…やっと、やっとここまで来たんだ!」

 6月、エジプト=カイロでの『沈没』寸前の心理状況
 7月、ポーランド=クラクフでの『13金事件』
 9月、ポルトガルで聞いた『米同時多発テロ』

世界一周中断、もしくは断念せざる得ない状況に何度もなった。
しかし、夢の達成にむけ、あがきながら前に前に進み、やっと旅の最終目的地へたどり着くことができたのだ。

日本から一番遠い国、アルゼンチンへ…。
はるばる11ヶ月以上かけ、ブエノス・アイレスにたどり着き、『マルコ・ロッシ気分』だった。
…まぁ、出稼ぎにいった母さんを探す必要はないのだが…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 スペイン語圏へ
飛行機をおり、すぐに入国審査へ。

「オブリガード。」(=ありがとう)
慣れとは大したものだ。
他のポルトガル語は一切話せないが、お礼だけはすぐ口から出てくる。

しかし、ここはもうアルゼンチン。
ポルトガル語でなく、スペイン語の国。
スイッチを切り替えなくてはならない。


 「現地に知り合いの人、いないの?」
 数日前、リサに聞かれた。

 当時の日本人の友達も家族も皆、とっくに帰国済み。
 日本人学校に通っていたため現地の友達もなく、ブエノス・アイレスに知り合いなどいないに等しい。

 「じゃ、友達を紹介してあげる。」
 気をきかせてくれたリサが彼女のアルゼンチン人の友達=マリエルの電話番号を教えてくれた。


さっそくそのマリエルに電話してみる。
20年前、なんとなく身につけた『なんちゃってスペイン語』を使う機会がきたのだ。
言葉が通じるか、少しドキドキする。

 :
 :
 :
「あ、はい。じゃ、そこで会いましょう。」
日本語でことが足りてしまった…。

マリエルもリサやソーニャ同様、日本に1年間留学をしたことがある日系アルゼンチン人。
彼女の流暢な日本語の前に『なんちゃってスペイン語』の出番などなかった。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 見覚えのある景色
市内へ行くバスの出発時間まで、空港内を散歩。
このターミナルビルはどうやら新しいらしく、見覚えがない…。

ビルの外に出てみる。
タクシーやバスが出入りするロータリーの向こう側にある駐車場。
はためくアルゼンチンの国旗。(写真:右)

「………あぁ…!」
その景色には見覚えがあった。
「そういえば、昔、日本に帰国する友達や家族をよく見送りにきたことなぁ…。」
この20年間、日本にいるだけでは決して思い出すことのなかった『場所が思い出させる』記憶だ。

「…とうとう、とうとうブエノスにきたんだ!」
見たことのある景色に出会い、うれしさがこみ上げてきた!
アルゼンチンに来たことが、やっと現実に感じられた。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 ナツカシのブエノス・アイレス
空港からバスで1時間弱かけ、市内へ。

「ああっ!!」

バスから世界一広い『7月9日通り』(ヌエベ・デ・フーリョ)が見えた!(写真:右)
その中心にある、オベリスクがちょっとだけ見えた!(写真内、奥に見える灰色の塔)
あれこそ、まさにブエノス・アイレスの象徴だ!

「本当に、本当に自分はブエノスにいるんだ!」
そう実感させてくれるものを見て、一人で興奮していた。



 ・レティーロ駅前広場の塔。

 ・サン・マルティン将軍の銅像。

 ・『フロリダ通り』と書かれた道案内板…。

普通の観光客には、その町の1要素でしかない風景。
しかし、自分にとっては『キオスコ』(写真:左)や『バス乗り場』までなんだか懐かしく、うれしく見える景色だった。

やはりアルゼンチンは自分にとって特別な国だと再認識した。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 広い町、ブエノス・アイレス
バスの中からみたブエノスの印象。
広い!
とにかく広い!

ゆうゆう4車線はある『普通の』道(カージェ)。(写真:右)
1方通行の道でこの広さ!
大通りは両側通行でこの倍になる。

歩道も広く、家々もゆったりとした間隔で建てられている。
ブエノスは、こんなに広い町だったのか!?

先ほどまでいたサンパウロは、坂が多く建物がかなり密集していた。
それと比べてしまうからだろうが、一国の首都がこんなにゆったり広いというのはなんだか驚きだった。

そして、町並みも想像以上にキレイに感じられた。

昔は道に『犬のフン』がたくさん、たくさん落ちていて、踏まないように気をつけて歩いたものだ。
しかし、今はちょっとはあるが、ほとんどない。

石畳だった道路もほとんどがアスファルトになっていた。
知ってるはずのブエノスが、なんだか初めてきた様な町に感じられた。
小さい頃の記憶なんて、ないも同じだ。

…そういえば、町は全く水没していなかった。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 アルゼンチンで日本語
待ち合わせ場所、国内線の空港のロビーでマリエルを探す。
「こんにちは。」
日系人と聞いていたので、すぐわかった。

「リサからさっき電話があったんですけど…。」
白人の彼氏と一緒に登場した彼女から、いきなり伝言を聞かされた。
「『青いフリース・ジャケットはサンパウロにあるから』ですって…。」

…やっぱり、そうか。
フリースの所在がわかって、気持ちがスッキリした。

「必要ならすぐ送ってくれる、って言ってましたけど?」
「いや、いいです。『いらない』ってリサにすぐメールしますから。」
ブエノスは思っていた程寒くない。
荷物が減ってちょっとラッキーだと思った。

「リサやソーニャは元気でしたか?」
「はい、みんな元気でしたよ!」
「アルゼンチンはどうですか?」
「懐かしいです!」
マリエルといろいろ話す。

…なんだか不思議だ。
アルゼンチンにいるのに、会話が日本語でだなんて!

…オーストラリア、東南アジア、中国、インド、中東、エジプト、ヨーロッパ各地…。
世界中を旅してきたこの11ヶ月間、ほとんど英語だった。
それなのに、日本から1番遠い国では、日本語を話しているなんて…!

『なんちゃってスペイン語』しか話せない自分には、うれしく、大助かりである。
約100年前、多くの日本人がアルゼンチンへ移民した。
その恩恵を2001年の自分がうける、というのが、なんだか面白く感じられた。


ちなみにサンパウロに置いてきてしまったフリースは、この後1年半かけ、持ち主の手に戻ってきた。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 20年という時の流れ
マリエルは町の中心にあるユースホステルに宿をとっておいてくれた。
大きなカバンを背負って宿探しをしなくてすむのは、かなり助かる。

「ここからなら、大抵の場所に行くのに便利ですよ。」
地元の人のお墨つきで、さらに心強い。

チェックインをとっとと済ませ、マリエルとその彼氏と3人でユースホステル近くを散策した。

ブエノス1の繁華通り『フロリダ』に面した所に、キレイで大きなショッピングセンターが出来ていた。
「…こ、こんなものが、ブエノスに…!」
20年の時の流れをひしひしと感じる。

そのフードコートで、コーヒーを飲みながらイロイロ聞いてみる。
「アンテオヒートって、まだある?」
「クレメンテは?」
「プンペルニックは?」
「バナニタ・ドルカは?」
昔のものが今もあるのか、すごく知りたかった。

「よく知ってますねぇ!」
マリエルが懐かしそうに笑った。


アンテオヒート : メガネをかけたアニメキャラ 2001年当時、行方不明…
クレメンテ : 映画にもなった新聞マンガからのキャラ 2001年当時も新聞に連載中
プンペルニック : 当時、町中にあったハンバーガーショップ 2001年当時、消滅済み(?)
バナニタ・ドルカ : 当時、よく食べていたチョコ菓子 2001年当時もキオスコなどで発売中!
(写真:右)



残っているものもあれば、なくなってしまったものもあるようだ…。

そりゃ、そうか…。
日本でも、1981年当時に流行っていたもの(ゲーム&ウォッチ、ガンプラ、『Dr. SLUMP』、たのきんトリオ、松田聖子…)が、 2001年現在もブームなわけないし…。

当たり前の現実に、浦島太郎気分を味わってしまった…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 最高にうまい! アルゼンチンの牛肉
その後、マリエルたちとブエノス・アイレスのおしゃれな臨海地区=プエルト・マデーロへ。
その一角にある『シガ・ラ・バカ』というアサード屋(=アルゼンチン式焼肉)へ行った。

アルゼンチンについて早々、やりたかったことの1つ『肉を食べること』を出来てしまうなんて!
やはり現地の知り合いがいるのは、心強い!!

ビフェ・デ・チョリソ(ステーキ)をほおばる…。
「う、うまいぃ…!」

やわらかぁ〜い肉…。
たっぷりある肉汁…。
炭でやかれたカリカリ感…。
塩と胡椒だけでシンプルに味付けされ『ただの肉』のはずなのに、なんでこんなにうまいんだ!

 ・チョリソ(ソーセージ)
 ・モルスィージャ(血のソーセージ)
 ・チンチュリン(腸)
内臓系の肉もほおばる。
「…な、なつかしうまい…!」

どれもアルゼンチン以外では食べられない味だ!

昔、レストランで食べた肉、日本人学校で食べた肉、家で食べた肉…。
次々と思い出が湧き水のようにどんどん蘇ってくる!
いろいろ流行りすたりがある世の中だが、食文化は変わらないんだな、と思った。

もう食えないくらい牛肉を腹いっぱい食べて、他のものも色々オーダーしても、たったの$14ドル(2000円弱)。
かなり満足のいく夕食だった!

「もう日本に帰ってもいい!」
まだブエノスに来たばかりなのに、そう思えてしまうほどの至福のひと時を味わった。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 28日
旅 348日目

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 世界一広い通り
ブエノス・アイレス2日目。
『昔の我が家』を一目見ようと、午前中にユースホステルを出発。
1ブロック歩くと、すぐ町の中心=『7月9日通り』(ヌエベ・デ・フーリョ)にたどり着いた。

さすが世界一広い大通り!
その幅144m、片側だけでも9車線もある。(写真:下、数えてみて下さい!)

9dejulio

両側で18車線!
「…そんなに必要か?」
なんてつい、思ってしまう。

そんな世界一広い通りの横断を試みる。
 :
 :
 :
真ん中で見事に信号につかまった…。
…1度での横断は無理だった…。

29才の普通に元気な男が、普通に歩いて渡りきれないなんて…!
…なんて、道だ!

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 マラドーナの母国
POSTER 町を歩いていると、やたらと目に付くポスターがある。
そう、アルゼンチンが生んだサッカーの天才『マラドーナ』のポスターだ。

サッカーファンの自分としては、こんなことからもアルゼンチンを感じてうれしくなってしまう!

 :
 :
 :
でも、マラドーナはいけない薬に手をだして、危篤状態とかいう噂を聞いたような…。
治療でキューバにいるとか聞いたような…。
…なのに、なんでいまさら、こんなにポスターがあるんだろう、と思った。

よく見ると、11月10日に引退試合でもやるような感じだ。
その頃は、もうアルゼンチンにはいない予定。
残念…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
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 ブエノスで初の地下鉄体験
地下鉄『D線』に乗り、昔住んでいた家の最寄駅だと思われる『OLLEROS』を目指す。

…初めてブエノス・アイレスで地下鉄に乗った。
20年前は、車やバスを利用することが多かったからだ。

subway 地下鉄車内を見回す。
ふと、数年前に見たTV番組のことを思い出した。
藤原紀香がアルゼンチン・タンゴに挑戦しに行く、というものだ。

「これ、丸の内線の車両だったの?」
藤原紀香が乗ったB線は、日本の地下鉄の中古車両だった。
遠い異国の地で日本に出会った彼女が、不思議そうに、懐かしそうに車内を見回す姿が印象的だった。

「自分も今、アルゼンチンで地下鉄に乗ってる…!」
たったこれだけの共通点で、今まで特に意識したことのなかった藤原紀香に妙に親近感を覚えてしまった…。

 :
 :
 :
地下鉄は次々と駅に停まり、進んでいく…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 魅惑のスポーツショップ
avenida 地下鉄を降り、地上に出ると、そこは『カビルド大通り』だった。

…なんとなく、懐かしい風景…、の様な気がする。
昔の我が家の近所に来た、ということだろうか?

「!!」
ちょっと見回しただけでも、スポーツショップがいくつもある。
昔、行ったことがあるような気がしたので、中に入ってみた。

「………。」
さすがに店内に見覚えはなかった…。

しかし、サッカーファンには、目移りしてしまう品揃え!
『ボカ』や『リーベル』といった有名人気チーム、そしてアルゼンチン代表のユニフォームがたくさん売られていた。
アルゼンチン土産に全て買って帰りたいくらいだった!

sport shop 『10 MARADONA(マラドーナ)』と背中に書かれたユニフォームが未だにたくさん売られている。
彼はもうとっくに現役選手でないはずなのに、現在10番のオルテガより売り場面積が多い。
かわいそうな、オルテガ…。


お気に入りのチーム『ボカ』のユニフォームを見ていた時のことだった。
「タカハァ〜ラ! タカハァ〜ラ!」
店員がニヤケながら、歩み寄ってきた。

Jリーグ・ジュビロ磐田からボカに移籍してきた高原選手。
どうやら、今ブエノス・アイレスでかなり有名のようだ。
アルゼンチンで、日本人が『サッカーで有名』というのは、なんだか誇らしい!

…しかし!
昨日、高原が出場していた試合をアサード屋のTVでちょっとだけ見た。
ちょうど、キーパーと1vs1になり、絶好の得点チャンスだったのだが…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 ブエノスで初めてみるマクドナルド
avenida ナツカシの『昔の我が家』に行く前に、ナツカシの『カビルド大通り』の散策をつい続けてしまう。

『マクドナルド』が目に入った。(写真:左)
これは、少なからず驚きだった。

というのも、自分が住んでいた1981〜83年頃に『マクドナルド』は まだアルゼンチンには存在しなかったのだ。

(写真:右下が示す通り、『ベルグラーノ店』は1986年に初めてアルゼンチンにできたマクドナルドのようだ。)

今では『プンペルニック』はなく、『マクドナルド』がある…。

mac1 一国の首都の街角にマックがあってなんら不思議はない。
しかし、自分にとっては、なんとなく違和感のある、見慣れないものだった。


他にも、カビルド大通りで昔行ったことのある本屋を見つけたり、新しい大型電荷製品屋を覗いてみたりした。
町の変化を見て歩くのが、楽しくて仕方ない。

…ふと、気づいたことがあった。
「小さい頃、一人で出歩くことなどなかった町で、今は一人で散策している…。」
つい、町の変化に敏感に反応してしまうが、1番変わったのは自分なのかもしれない…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 昔の我が家への道
ブエノスは全ての道に名前がついていてわかりやすい。
(参照 : アルゼンチン編、『道について、その1』
道の名前と番地さえわかれば、初めての人でも簡単にそこへ行けるはずだ。

というわけで、自分も住所を頼りに歩いて昔の我が家を目指した。

当時、学校へは家の前まで送迎してくれるスクールバスがあった。
それ以外の外出時は、車が多かった。
だから、家の近所を歩いた記憶がほとんどない。
あるのは、お使いで牛乳を買いに行った時くらいのものだ…。
そんなわけで、昔の我が家への景色に、見覚えがあるような、ないような感じだ。

地図を読むのは得意なのだが、あまりにも見覚えのない景色ばかりで、不安になったりもした。

 :
 :
 :
 :
park 小さな公園にでくわした。

「おぉ!」
この公園は、バッチリ覚えている!
敷地が四角でなく『三角形』であること。
そして、我が家のすぐ裏にあったからだ!
(写真:右、画面中央。道と道の間の一角)

「な つ か しぃ〜!!!」
体中の細胞が『ここを知ってる!』と叫んでいた。
感動と感激とうれしさがこみ上げてきた。
こんな感覚、今までにない!

昔の我が家がすぐそこであることは、もう、確実だ。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 昔の我が家へ
地図や住所のメモなどもう必要ない。
三角公園を過ぎ、十字路を左へ曲がる。
そのマンションの隣に『我が家』があるはずだ。

casa1 「!!!!!!」
あった!
昔の我が家がそこにあった!(写真)

家の前にあった小さな庭がなくなって、駐車スペースになってる!
壁の色もちがう!
手前に大きな柵ができている!
外観はちょっと変わってしまっていたが、基本構造が同じなのは見て取れた!

ここだ!
自分が昔住んでいた家は、間違いなくここだ!

パキスタンでも『昔の我が家めぐり』をした。
でも、あれは自分が生まれる前の記憶にない我が家。
こっちは、きちんと記憶にある我が家。
「…………!」
うれしさもなつかしさも比べ物にならないものだった。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 昔の我が家へ その2
20年前、2年半のブエノス・アイレス在住中、1度引っ越しをした。

2つ目の家はマンションの17階。
そのマンションもせっかくだから一目見たい、と思った。
1つ目の家から遠くないので、続いて足を運んでみた。

「!!!!!!」
見えた!
高いマンションのため、遠くからでも見ることができた!

どんなカタチのマンションだったか、はっきり覚えていなかったが、実物を目にすると一気に記憶がよみがえる。
…不思議だ!

ガラス張りの入り口、変わってない!
駐車場の入り口、変わってない!

ここだ!
自分が昔住んでいた家は、間違いなくここだ!

これまたうれしい『20年ぶりの再会』だ!

道行く人を引き止め、写真をとってもらった。
それも、昔撮った写真と同じ構図で。

約18年前の写真(1983年頃) 約18年後の姿(2001年10月)

中から管理人さんが不信そうにこっちを見ていた。
…そそくさと退散した…。


昔、住んでいた家を2軒とも拝むことができた!
両方とも健在でなんだか、ものすごくうれしい!

昔の自分めぐりが出来、大満足である!

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 家の近所を散策 その1
leche1 続いて、ナツカシの我が家の周辺を散策してみることにした。

何気なくスーパーに入ってみる。
「あああぁ!」
昔飲んでいた牛乳メーカーの乳製品をイロイロ発見!(写真:右)
昔と変わらないものがあるのって、なんだかとてもうれしい!


selling 路上で、屋根の上にペットボトルをおいている車を見つけた。(写真:左)

近寄ってみると、張り紙には『この車、売ります』らしきことが書かれていた。

「(…よかったぁ…!)」

数年前、このWEB SITEのアルゼンチン編 <道について、その2>で このことについて紹介したものの、なんとなく、確信がなかった…。
それが今、現地で証明でき、うれしく思えた。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 家の近所を散策 その2
街角の本屋には、『ドラゴンボール』や『ガンダム』といった日本が誇るアニメの雑誌が売られている。

ゲームショップでは、プレイステーションやゲームボーイといったメイド・イン・ジャパンのゲーム機が売られている。
ポケモングッズもいっぱいだ。

20年前、日本の大衆文化など全く見ることができなかったブエノスの街角。
しかし、今では簡単に日本を感じられるようになっていた。

当時、日本で大ブームだった『ガンプラ』。
アルゼンチンで買うことなど絶対不可能だったのに、今なら買えてしまう!

そんな変化を見るのがとても面白かった。
自分ばかりでなく、町も時代にあわせ変わっていることを実感した。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 また、肉!
大満足のブエノス散策を終え、夕方、ユースホステルに戻った。

夕食は、近くにある大衆レストランへ。
そこは、ビュッフェ・スタイルでなんと、肉も食べ放題!
昨日に続いて、ビフェ・デ・チョリソ(ステーキ)やチョリソ(ソーセージ)、 モルスィージャ(血のソーセージ)にチンチュリン(腸)などを食べまくった。

街角のビュッフェなだけに、お値段はたったの7ドル(約800円)!
うまい肉をたらふく食え、またまた大満足だった!

狂牛病でゆれる日本を尻目に、アルゼンチンで毎晩肉を食べ続けてしまいそうだ。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 29日
旅 349日目

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 18年ぶりの『再登校』
oldtype ブエノス・アイレス3日目。
2年半通った『ブエノス・アイレス日本人学校』に行ってみることにした。
場所は変わっていないようなので、迷わず行けることだろう。

 :
 :
 :
当時は、いつもスクールバスで通っていたからだろうか?
地下鉄に乗り、歩いて行く学校までの道のりは、全く懐かしくなかった…。
懐かしいのは、20年前と変わらないタイプのバスを見た時くらいだった…。(写真1)

JP school 「おおおおお!」
突然、見慣れた景色が飛び込んできた。

日本人学校の塀だ!(写真2)
向かいの建物も、見覚えがある!
この周辺の雰囲気は、ものすごく懐かしい!!

…やっと…、日本人学校に戻ってくることができた…。


1984年、1月。
当時小学5年生だった自分は、兄の高校受験についていくカタチで2年半ぶりの日本へ帰国した。

5年生の3学期の間だけ、日本で過ごし、 再びアルゼンチンに戻る予定だったのだが、そのまま永久帰国となってしまった…。

そんな自分にとって、約18年ぶりの『再登校』…。
やり残したことを再現しにきた気分だった。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
旅 350日目

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 再会! <その1>
『なんちゃってスペイン語』でたくみに守衛さんに話かけ、門を開けてもらう。
昔、守衛さんは、ゴメスさんという大きい男性だったはずだが…?
さすがに18年前の再現を出来るはずがなかった…。

いよいよブエノス・アイレス日本人学校に足を踏み入れた。
「(おおおおおおお!!!)」
体の底から、うれしさがこみ上げてくる!!

JP school  :
 :
 :
昔の食堂だった部屋が今は職員室になっていた。

「先生! お久しぶりです!」
「おぉ! 来たかぁ!」
小学3年生当時の担任だったS先生と18年ぶりの再会を果たした!

先生は相変わらず元気そうだ。
少し高いトーンの声は昔のまま!
懐かしく、うれしい!

「で、今、何してんだ、お前?」
「会社を辞めて、世界一周の旅をしてます!」
自分の近況を話し、日本人学校の近況などもいろいろ伺う。
「ゴメスさんは去年までいたんだけど、引退なさってね…。」
朗らかなゴメスさんにちょっとの差で会えなかったが、ちょっと残念だった。

今までここを訪れた卒業生のことや、昔の話に花が咲く。

自分がいた当時から、この日本人学校で事務員として働いている方も数人残っていた。
「お母さんやお兄さんたちは元気ですか?」
「えぇ、おかげ様でみんな元気にやってます!」
自分や兄貴たち、そして母のことまで覚えていてくれたようで、驚いた。


昔の自分や家族を知る人たちとの長い間をあけての再会。
…なんだか、すごく、いいもんだ!
[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
旅 350日目

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 再会! <その2>
S先生あてに電話がかかってきた。

「お前、マリのこと、覚えてる?」
「もちろん!兄の同級生でしたから!」
「今の電話、マリから。もう、学校の前に来たって。」
「…へ?」
何がどうなってるのか、よくわからなかった。

職員室にマリさんが入ってきた。
「ええええぇぇ!」
お互い顔をあわせ、お互い驚く!

「なんでここにいるのぉ〜?」
「ちょっと、旅をしてまして…。マリさんこそ…!」

聞くところによると、マリさんはチャランゴ奏者として、 ここブエノス・アイレスで活躍しているらしい!
すごい!!
かっこいい!!
いろんな生き方をしている人がいるもんだ!

「あとでゆっくり話そうね!」
マリさんは、何か用があるらしく、職員室からすぐ出て行った。


…通った学校への再登校。
…先生との再会。
…事務員さんとの再会。
…そして、先輩との再会。
なつかしいことが一度のたくさんめぐってきて、かなりの興奮状態だった!

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
旅 350日目

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 変わらないモノ
JP school S先生と一緒に日本人学校内を歩いた。

昔と変わらない校庭(写真1)、そして校舎。
『兼用コート』と呼んでいたテニスやバレーボールに使う運動場も昔のままだった。

図書室も昔と同じ場所にあった。
しかし、今はマンガがいっぱいある…。
なんだか、ちょっとうらやましい…。

はなれにあった理科室、音楽室。(写真:奥の建物)
ここも変わっていない。

当時、新しく建てられた校舎も、もちろん健在だった。

…しかし、どこもかしこも、ものすごく小さく感じられた…。
校庭もこんなに小さかったっけ? と思ってしまうほど…。

学校が小さくなることはまずないだろうから、自分の記憶が変化したことは言うまでもない。
「ものの大きさに関して人間の記憶なんて、あいまいなんだな…。」
そんな実感をした。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
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 変わりゆくモノ <建物編>
JP school プールは新しく作り直していた。

自分が転校直後に教室だった小3の部屋が、今は保健室になっていた。

職員室とプレイルームの位置も入れ替わっていた。

新校舎の壁面には、生徒たちの手形がたくさん飾られていた。(写真)
この日本人学校を去る時、記念に残していくものらしい。

20年前にこんな習慣はなかった。
もし、自分の小学5年生当時の手形が残っていたら、今の手の大きさと比べられて面白かっただろうに!

手形を残す…。
いいアイデアだな、と思った。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
旅 350日目

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 変わりゆくモノ <生徒、授業編>
小学1年生から中学3年生までが学ぶブエノス・アイレス日本人学校。

今、中学3年生は1人もいないとのこと。
小学4年生はたった一人…。
なんだか、さびしいものだ…。

聞くところによると、全校生徒数はたったの49人だという…!
自分がいた20年前は、各学年生徒が10人前後、全校生徒はいつも大体100人前後はいたのに…。

こんなところにも、時の流れを感じさせられた。


S先生についてまわり、少し授業をのぞかせてもらった。
各学年、少人数ながらも、みんな明るく、元気に勉強をしていた。

小学生のうちから英会話を学ぶ授業があったり、体を動かす授業が増えたりと、カリキュラムは昔と違うようだ。

校庭に竹馬や三輪車などがたくさんあったのは、そのためだろう。

生徒数が少なくなったことで、運動会や学習発表会をやる場所も、昔とは違うらしい。
仕方のない変化だが、なんだかちょっとさびしく感じられる…。

何より悲しかったのは、自分が所属していたサッカークラブが今はないとのことだった…。
『アルゼンチンでサッカーをしていた』という土産話を是非日本に持って帰ってきてほしいものなのに…。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
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 Back in Time...
JP school 下校集会は、昔と変わらず行われていた。(写真)
帰る前のひと時が、生徒たちの連絡会や発表の場となっていた。

その後、バスが来るまでの間、在校生といろいろ話すことが出来た。

中学2年生の女の子。
ブエノス・アイレスに9年も住んでいる、とのこと。

「日本は行きたいけど、住みたくはない。」
そんなコメントが印象的だった。
確かに長い間住み慣れてしまえば、日本の都会よりブエノスの方がずっとよく感じられるのだろう。

小学3年生の男の子。
アルゼンチンに来て、まだ半年足らず、とのこと。

「早く日本に帰りたい…。」
対照的なコメントだった。
TVもマンガもゲームも日本にはあふれているし、友達も日本の方が多いからだろう。

20年前の自分はどっちの子供だったのだろう?
アルゼンチンにずっと住みたい、と思ったのか、日本に帰りたい、と思ったのか?
多分、後者よりの考えだったはず…。

今みたいにインターネットやビデオや衛星TVなどがなく、日本の情報などほとんど入ってこなかったから。
はるか遠い母国を思い、懐かしんでいたことは事実だ。


「…それじゃあね!」
先生方と一緒にスクールバスを見送り、自分もユースホステルへと向かった。

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昔の自分の家をめぐり、昔通った学校へ行き…。
この2日間は、なんだかタイムマシンにのって、20年前に戻って来たような感じだった。
自分のルーツをさぐる様な、今の自分を見つめ直すような貴重な体験になった。

[ アルゼンチン、ブエノス・アイレスにて ] 2001年 10月 30日
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出発(日本)〜タイ

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タイ〜カンボジア

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カンボジア〜中国

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中国

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ネパール〜インド

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インド、パキスタン

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バングラデッシュ〜ミャンマー

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タイ(3)〜U.A.E.

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トルコ〜

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トルコ〜シリア

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シリア

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レバノン〜エジプト

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ギリシャ〜ボスニア

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クロアチア〜チェコ

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ポーランド

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ポーランド〜オーストリア

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オーストリア〜ドイツ

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ドイツ〜スイス

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イタリア(2)〜フランス

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スペイン

ひとりごと<その21>へ
ポルトガル

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ブラジル1

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ブラジル2

ひとりごと<その24>へ
ブラジル3

ひとりごと<その25>へ
ブラジル4

ひとりごと<その27>へ
アルゼンチン2

ひとりごと<その28>へ
アルゼンチン3〜アメリカ

ひとりごと<その29>へ
〜日本



 世界一周旅行、ひとりごと その26 ー目次ー  
意外なブエノス・アイレス (2004/ 3/ 09 更新) ………水没?(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

旅の最終目的地 (2004/ 3/ 09 更新) ………日本から一番遠い国へ(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

スペイン語圏へ (2004/ 3/ 09 更新) ………試される?その実力(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

見覚えのある景色 (2004/ 3/ 09 更新) ………空港の外(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

ナツカシのブエノス・アイレス (2004/ 3/ 09 更新) ………特別な国、アルゼンチン(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

広い町、ブエノス・アイレス (2004/ 3/ 09 更新) ………とにかく広い!(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

アルゼンチンで日本語 (2004/ 3/ 09 更新) ………マリエルに助けられる(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

20年という時の流れ (2004/ 3/ 09 更新) ………今もあるもの、ないもの(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

最高にうまい! アルゼンチンの牛肉 (2004/ 3/ 09 更新) ………とにかく、う・ま・い!(2001/ 10/ 28、ブエノス・アイレス)

世界一広い通り (2004/ 3/ 16 更新) ………1度で横断できず…(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

マラドーナの母国 (2004/ 3/ 16 更新) ………引退試合のポスターを発見(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

ブエノスで初の地下鉄体験 (2004/ 3/ 16 更新) ………変わった町、変わった自分(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

魅惑のスポーツショップ (2004/ 3/ 16 更新) ………サッカーファン、感激の場所(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

ブエノスで初めてみるマクドナルド (2004/ 3/ 16 更新) ………見慣れない有名店(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

昔の我が家への道 (2004/ 3/ 16 更新) ………現実的なデジャブ(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

昔の我が家へ (2004/ 3/ 16 更新) ………家、発見!!!!(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

昔の我が家へ その2 (2004/ 3/ 16 更新) ………入り口で記念撮影(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

家の近所を散策 その1 (2004/ 3/ 16 更新) ………なつかしのアレコレ(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

家の近所を散策 その2 (2004/ 3/ 16 更新) ………近くなっていた日本(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

また、肉! (2004/ 3/ 16 更新) ………肉、満喫!(2001/ 10/ 29、ブエノス・アイレス)

18年ぶりの『再登校』 (2004/ 3/ 16 更新) ………日本人学校へ!(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

再会! <その1> (2004/ 3/ 16 更新) ………担任の先生と会う!(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

再会! <その2> (2004/ 3/ 16 更新) ………兄の同級生と会う!(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

変わらないモノ (2004/ 3/ 16 更新) ………小さくなった校舎(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

変わりゆくモノ <建物編> (2004/ 3/ 16 更新) ………手形を残す習慣(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

変わりゆくモノ <生徒、授業編> (2004/ 3/ 16 更新) ………減る生徒たち(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

Back in Time... (2004/ 3/ 16 更新) ………自分を見つめ直すキッカケに(2001/ 10/ 30、ブエノス・アイレス)

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