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2000年11月15日から2001年11月15日まで世界一周の旅をしたゲイター。 旅の間に少しずつ更新した日記の改訂版です。 |
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2001年6月1日 (金) ===== ヨルダン [ ペトラ ] 199日目-----町を一望できる「アンマン城」「キングスフセインモスク」など、 アンマン市内を観光しました。
昼過ぎ、セルビス(乗り合いタクシー)でペトラへ移動しました。
この頃のひとりごと、
信者以外入るべからず
体重測定、途中経過
お前、男? へ
2001年6月2日 (土) ===== ヨルダン [ ペトラ ] 200日目-----
■■■祝! 旅、200日経過!! ■■■
この旅もいつの間にか200日を迎えました。世界遺産ペトラの観光へ行きました。
岩の裂け目を40分ほど歩き、突然現れた入り口「エルハズネ」は とてもインパクトのあるものでした。その詳しい外観は「インディジョーンズ最後の聖戦」の 最後の30分をご覧ください。(=ロケ地)
この頃のひとりごと、
祝! 旅、200日経過!
最後の聖戦 へ
2001年6月3日 (日) ===== エジプト [ ヌエバ ] 201日目-----アカバからフェリーでヨルダンを出国、21カ国目、エジプトに入国しました。
この頃のひとりごと、
終わるアジアの旅 へ
2001年6月4日 (月) ===== エジプト [ ダハブ ] 202日目-----紅海に面したリゾート地、ダハブへやってきました。
ここで旅の相方、ショウと別れ、一人旅がスタートです。
ダマスカスで会ったカイロに留学中のエリとここで再会しました。
旅をしていると、いろいろな偶然があって面白いものです。
この頃のひとりごと、
再会と新たな出会い その1 へ
2001年6月5日 (火) ===== エジプト [ ダハブ ] 203日目-----1日ダハブでのんびり過ごしました。
シュノーケリングをすると、すぐにサンゴ礁や熱帯魚を見ることができます。
水がつめた過ぎて水中に長時間いられず、存分には楽しめませんでしたが。
2001年6月6日 (水) ===== エジプト [ ダハブ ] 204日目-----1日なにもせず、ビーチでのんびり過ごしました。
今後の旅のルートをあれこれ考え、 突然、深夜のミニバスでカイロを目指しました。
この頃のひとりごと、
…有り余る時間…
…トイレ論…
………… その1
…無気力 へ
2001年6月7日 (木) ===== エジプト [ カイロ ] 205日目-----ミニバスは早朝スエズを越え、エジプトの首都、カイロに到着しました。
これでこの旅3つ目の大陸、アフリカ大陸へついに足を踏み入れたことになります!
ダマスカスであい、ダハブで再会した学生の廣嶋さんと、 またまたここで再会してしまいました。
まったくもって、ビックリです。
この頃のひとりごと、
再会と新たな出会い その2 へ
2001年6月8日 (金) ===== エジプト [ カイロ ] 206日目-----
バスでナイル川を越え、「ピラミッド」、そして「スフィンクス」を
見てきました!!???
どれも初めて見たのに、なぜか、さほど感動しませんでした。
この半年間、いろいろな遺産や町を観光しすぎて、 どうやら「観光不感症」になってしまったようです。
なんとも贅沢な病気になってしまったようです………。
2001年6月9日 (土) ===== エジプト [ カイロ ] 207日目-----
午前中はゆっくり一人で髪を切りました。
午後は世界遺産にも登録されている「カイロのイスラム地区」を ブラブラしてきました。
絨緞屋、生地屋、雑貨屋、ランプ屋、クラフトマーケット…。
すごい喧騒で、生活感あふれる遺産でした。夜は「スーフィーダンス」を見てきました。
笛や打楽器の音楽にあわせ、ベドウィン?の男性が数人で クルクルまわりながら踊ります。
なかなかインパクトのあるパフォーマンスが1時間半に わたって繰り広げられました。よく目がまわらないものだと、変なところに関心してしまいました。
観光不感症も少し癒された気がしました。
2001年6月10日 (日) ===== エジプト [ カイロ ] 208日目-----考古学博物館へ行きました。
黄金に輝く「ツタンカーメンのマスク」や「ラムセス2世のミイラ」などを 間近で見てきました。写実的な彫像、カラフルに描かれた壁画や彫刻、見事な金銀細工。
4000年以上も前の出土品のクオリティーの高さに圧倒されました。なんでもいいから一つ、記念に黙って持ち帰ってやろうかと思いました。
この頃のひとりごと、
…旅、不感症…
………… その2
…帰国する…?
…沈没…
…哲学者、誕生…? へ
2001年6月11日 (月) ===== ギリシャ [ アテネ ] 209日目-----午前中にカイロ発祥の地、オールドカイロを少し散策しました。
古い石作りの細い路地がいい雰囲気でした。そして、夕方のフライトでギリシャのアテネに入りました。
いよいよ本格的にヨーロッパに突入です。3年後のオリンピックにむけて?なのか、バス、地下鉄などとてもきれいです。
町ゆく女性がとてもファッショナブルです。
1ヶ月ほど放浪したイスラム圏からやってくると、そういったものが 特に刺激的に目にうつってしまうものです。
この頃のひとりごと、
アフリカからヨーロッパへ
変わる文化圏 その1
変わる文化圏 その2
変わる物価圏 へ
2001年6月12日 (火) ===== ギリシャ [ アテネ ] 210日目-----
歩いてアテネの町を散策しました。
ここはカイロよりやや湿気があり蒸し暑い所です。丘の上にあるパルテノン神殿は遠くからも良く見えます。
ここが本当にギリシャであることを感じさせてくれます。宿代、交通費、食費など物価全てがいっきにハネあがりました。
今までのアジアの旅は本当に安く済んでいたんだなぁ、と今更感じています。
ギリシャ通貨(ドラクマ)といっしょにユーロが併記されていますが、 どうもよくわからないシロモノです。
2001年6月13日 (水) ===== ギリシャ [ アテネ ] 211日目-----この旅40個目の世界遺産、パルテノン神殿がある「アクロポリス」へ行きました。
神殿もすごいのですが、観光客のものスゴイ多さの方に圧倒されました。一足も二足も早く、2004年アテナオリンピックの会場へ行ってみました。
人はまばらで、壁や柱にらくがきがいっぱいです。
照明は壊されていて、どの窓もほこりをかぶっていました。本当にここで3年後にオリンピックが行われるのか、 ちょっと疑わしくなってしまいました。
この頃のひとりごと、
ユーロ? なんだそれ?
やはり遺跡不感症…
ささいな発見、旅の面白み へ
2001年6月14日 (木) ===== ギリシャ [ カランバカ ] 212日目-----アテネから列車で5時間、カランバカへ行きました。
車窓から見える青空や山や緑の木々。
明らかに日本とは違う風景はいくらみていてもあきません。
久々の列車の旅は、「これぞ旅!」という感じがしてとてもいいものでした。
この頃のひとりごと、
直線的な旅 へ
2001年6月15日 (金) ===== ギリシャ [ カランバカ ] 213日目-----1日ホテルで今後のヨーロッパ内の移動ルートをあれこれ模索しました。
そして、それまで思いつかなかった斬新で素晴らしいルートを ひらめいてしまいました。
これでまた旅が少し面白くなりそうです。夕方、隣村カストゥラキへ行きました。
小さな教会を中心に、広場やレストランが点在するのんびりとした村です。
将来、こういう静かな所に住むのもいいかも、と思ってしまいました。
この頃のひとりごと、
旅のルート模索 その1
義務的な旅?
旅のルート模索 その2 へ
2001年6月16日 (土) ===== ギリシャ [ カランバカ ] 214日目-----
独特な形をした奇岩の上に修道院がある世界遺産「メテオラ」を観光しました。
大自然と人の作りしモノが見事に融合したいい景色の所で、 かなり気に入ってしまいました。延々と歩いてきた道を再び歩いて戻る気にはとてもなれず、 生まれて初めてヒッチハイクに挑戦しました。
1台が通り過ぎ、2台が通り過ぎ…。
悪いことをしているわけでないのに、乗せてもらえないのは悔しいものです。4台目にきた車の荷台に乗せてもらえた時は最高にうれしいものでした。
気分はちょっと電波少年でした。
この頃のひとりごと、
奇岩の上
人生、28年目にしての初挑戦
ヒッチハイク、その後… へ
2001年6月17日 (日) ===== ギリシャ [ イゴゥメニツァ ] 215日目-----カランバカからバスで5時間かけ、ギリシャの西の港、イゴウメニツァに やってきました。
緑の木々、黄色い花に覆われた山、薄茶色した岩肌、青い空。
そして、白壁に茶色い屋根の家々。
車窓から見える景色はなんとものどかでいいものでした。夜、豪華なフェリーでアドリア海を越えました。
2001年6月18日 (月) ===== イタリア [ バリ ] 216日目-----
フェリーは早朝、イタリアのブリンディシに着きました。
列車、バスと移動を重ね、世界遺産「アルベロベッロ」を観光しました。
そして、すぐ次なる目的地へのフェリーが出ている港町、バリへと移動しました。道を聞く、切符を買う、食事をする、宿を決める。
何をするにもTVでまがりなりに学んだイタリア語を使ってみました。
イタリアはあまり英語が通じない、という理由もあるのですが。!!!
意外にもしっかりイタリア語が通じます!
地元の言葉がわかると、旅がさらに面白くなるものです。ジローラモさん、どうもありがとう!!!
この頃のひとりごと、
パルロ イタリアーノ! へ
2001年6月19日 (火) ===== イタリア [ バリ ] 217日目-----次の目的地、クロアチアのドゥブロブニクまでのフェリーは木曜日までないらしく、 ここバリに足止めとなってしまいました。
その次の目的地では、ある人と会う約束をしています。
果たしてうまく会えるでしょうか?
この頃のひとりごと、
ブラ−ボ! イタ−リア! へ
2001年6月20日 (水) ===== イタリア [ バリ ] 218日目-----イタリアは食事がかなりうまいです! サンドイッチ、ピザ、スパゲティボンゴレ、貝のリゾット、 ロールビーフのトマトソースあえ…。
あまり食にこだわらない旅をしてきましたが、ここは何を食べても本当においしく、 それだけで幸せな気持ちにさせてくれます。ちなみに、スプーンをつかってスパゲティを食べているイタリア人など 一人もみかけませんでした。
あれは一体誰が始めた風習なのでしょう??
2001年6月21日 (木) ===== イタリア [ バリ ] 219日目-----夜、フェリーで再びアドリア海を渡ります。
この頃のひとりごと、
世界一うまいボンゴレ へ
2001年6月22日 (金) ===== クロアチア [ ドゥブロブニク ] 220日目-----
早朝、フェリーはこの旅24ヶ国目のクロアチアに到着しました。
世界遺産「ドゥブロブニク旧市街」へ行きました。
!!!!
ここは以前、TVでなんとなく見たことがあって、 漠然と行ってみたいな、と思っていた所でした。
そうとは知らずにそんな所にたどり着いてしまうなんて、なんだか ものすごく得した気分です!
約2kmにおよぶ城壁の上を歩くと、城内の朱色の屋根で埋め尽くされた町や アドリア海を眺めることができます。
大変気持ちがいい散歩ができました。
この頃のひとりごと、
既視感 へ
2001年6月23日 (土) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ ドボイ ] 221日目-----ドゥブロブニクからバスで7時間、ボスニアヘルツェゴビナの首都、 サラエボへ着きました。
道中、崩れたビルや壁に痛々しく残る弾痕など、戦争の傷痕を至る所で 目の当たりにしました。さらにバスで2時間半かけ、ガイドブックにも紹介されていない町、 ドボイに行きました。
「しげちゃーん、元気?」
そこで、留学時代の友達、ケリーと4年半ぶりの再会を果たしました!
髪を短くした彼女は以前にも増して元気そうです。そして、ゲイターの誕生日を祝ってくれました。
そう、この地でゲイターも29になってしまいました…。
この頃のひとりごと、
ボスニアへ…
戦争の傷跡
ケリーとの再会
よみがえる思い出 へ
2001年6月24日 (日) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ ドボイ ] 222日目-----ケリーといっしょに隣村へ、ハイキングに行きました。
11年前の留学時代もよく近くの山へハイキングやサイクリングへ行ったことを 思い出してしまいます。
(詳しくは → アメリカ留学編 をご覧ください。)
この一帯にも壊れた家がたくさんあり、戦争のひどさを物語っています。「道からはなれないでね。」
地雷がまだあちこちに残っていて、どこにあるか誰もわからない、とのことです。
そういえば、町で片足がない人をみかけました。
ここに来て、戦争について、いろいろ考えさせられています。
2001年6月25日 (月) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ ドボイ ] 223日目-----近日、各国の大使が訪れる予定のある、という復興中の村へ行きました。
まわりには相変わらず穴だらけ、屋根のない家がたくさんあります。しかし、そんな中、戦時中は他国へ避難し、戦後再び自分の家に 戻り壊れた家を建て直している人もいます。
人間の生命力、たくましさをみさせてもらった気がしました。
2001年6月26日 (火) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ サラエボ ] 224日目-----バスで2時間半かけ、首都のサラエボへ行きました。
崩れたビル、屋根のない家など、戦時中のままの所がまだまだたくさんあります。一方でインラインスケートで待ち行く女性や、アイスクリームを片手に 道行く人で街はあふれかえっていました。
戦争の傷跡と平和な景色が共存する不思議な街です。
この頃のひとりごと、
立ち直るボスニア
平和のありがた味 へ
2001年6月27日 (水) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ ドボイ ] 225日目-----
日中、サラエボのカフェでカプチーノを飲みながらのんびりしました。
ここは意外?にもものごいの多い街です。戦争の傷跡が残るこの国にいると、戦争、平和、裕福、幸せ、生、死など 柄にもないことを結構考えてしまいます。
「戦争の間は北欧に疎開していたの。」
という女子学生と話しました。
戦争当時の話になると悲しそうな表情をみせたので、あまり詳しい事は聞けませんでした。色々な想いを胸に、夕方、再びケリーのいるドボイへ行きました。
2001年6月28日 (木) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ ドボイ ] 226日目-----ドボイのカメラ屋のおやじさんと、言葉が通じないながらも30分以上も カメラやおやじさん自慢の娘さんについて話しました。
「ドブロ!」という単語を何度も繰り返す、笑顔が無邪気なおやじさんでした。夜、映画「キャストアウェイ」を見ました。
100円で映画を見られるなんて、なんていい国なんでしょう。ちなみに、「ドブロ!」とはGood!! の意味のようです。
2001年6月29日 (金) ===== ボスニアヘルツェゴビナ [ ドボイ ] 227日目-----夜、ケリーと彼女のボスニア人の友達とスポーツバーへ行きました。
みな、ファッショナブルにきめて、お酒を飲みながらテーブルサッカーゲームや ビリヤードを楽しみます。ボスニアの若者の週末の過ごし方をちょっとだけ一緒に楽しませてもらいました。
2001年6月30日 (土) ===== クロアチア [ ザグレブ ] 228日目-----昼過ぎ、ケリーの車でボスニアとクロアチアの国境へいき、 歩いてクロアチアへ再入国しました。
1週間お邪魔させてもらったケリーとはここでお別れです。ケリーとは、11年前の留学中も、ここボスニア滞在中も ピクニックや映画へ行ったりと、よく一緒に過ごしました。
別れには慣れているはずなのに、久々あくびではない涙がほほをつたいました。
これがこの旅で1番つらい別れだったのは確かです。夜、列車でクロアチアの首都、ザグレブへ着きました。
また、一人旅、再開です。
この頃のひとりごと、
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