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2000年11月15日から2001年11月15日まで世界一周の旅をしたゲイター。 旅の間に少しずつ更新した日記の改訂版です。 |
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2001年3月1日 (木) ===== インド [ ゴラクプール ] 107日目-----陸路で国境を越え、この旅の11カ国目、インドへ無事入国を果たしました。
まず、国境からゴラクプルという町までバスで行きました。
とても汚く、人もやぁーな感じの所です。
蚊の多い駅のホームで次の都市に行く為の列車を7時間ほど待ちました。夜11:30、ぼろくて汚い寝台列車は南へむけ出発しました。
この頃のひとりごと、
天国から地獄へ?
印象悪いインド
旅、記録更新中 へ
2001年3月2日 (金) ===== インド [ ヴァラナシー ] 108日目-----蚊が多くて、寒くて、インド人のいびきの大合唱が楽しめる寝台列車で なんとかヒンドゥー教の聖地、ヴァラナシーへ到着しました。
ガンジス河まで散歩にいくと、河辺では死体を燃やしていました。
いきなり刺激的なシーンとの遭遇です。
ここの人たちは人あたりもよく、英語も通じ、ちょっとほっとしました。
この頃のひとりごと、
聖なる河、ガンガ−
聖地、ヴァラナシー へ
2001年3月3日 (土) ===== インド [ ヴァラナシー ] 109日目-----早朝、聖なるガンジス河クルーズに行き、日の出を拝みました。
河沿いには、もく浴や洗濯、歯みがきをする人達がたくさんいました。
そんな河に腐りかけの犬の死体がプカリと浮いている事は、 彼らにとっては重要でない様です。
2001年3月4日 (日) ===== インド [ サールナート ] 110日目-----オートリクシャ(3輪バイクタクシー)で「サールナート=鹿野園」へ行きました。
ここは仏陀の初転法輪の地です。
手塚治虫の名作「ブッダ」に何度も登場する所を目のあたりにし、 一人で感激していました。深夜、寝台列車で西を目指しました。
この頃のひとりごと、
初転法輪の地
決死の寝台列車
決死の列車移動 へ
2001年3月5日 (月) ===== インド [ カジュラーホ ] 111日目-----書くと長くなる理由で「思わず」列車を乗り過ごし、 100km先の隣駅まで行く大波乱で素晴らしい1日が始まりました。
すぐ様、折り返しの列車に乗り、今日、最初の目的地サトナーへ引き返しました。
その列車の乗車率は400%を越えるすさまじいもので、 日本の通勤列車も顔負け状態でした。
そんな車内にヘビ使いのおっさんが笛を吹きながら営業をしていたのが とても印象的でした。ここらへんは中国での寒かった日々がウソのように暑く、Tシャツで充分です。
サトナーから、豪快に上下に弾みまくるバスで今日の最終目的地、 カジュラーホへなんとかやってきました。
道中、バスの天井に頭をおもいっきり打ち付け、本当に頭が痛くなりました。
この頃のひとりごと、
決死のバス移動 へ
2001年3月6日 (火) ===== インド [ カジュラーホ ] 112日目-----この旅、19個目の世界遺産、「カジュラーホの建造物群」を観光しました。
ここは壁一面に緻密な彫刻があしらわれた寺がたくさんある、 見ごたえたっぷりの場所です。
その彫刻の題材は、大胆にも「カーマスートラ」、
エロティックなものがメインです。
その緻密で大胆な描写は見る者に感動と興奮を与えてくれます。
ここは倦怠期の夫婦にお薦めしたい所です。夜、本場のおいしいタンドリーチキンを食べました。
この頃のひとりごと、
なやましいミトゥナ像 へ
2001年3月7日 (水) ===== インド [ アーグラ ] 113日目-----カジュラーホからバスでジャンシーへ、 そしてそこから列車でアーグラを目指しました。
窓の外の田園風景が心を和ませてくれましたが、1日移動を続け、 本当に疲れ果てました。
2001年3月8日 (木) ===== インド [ アーグラ ] 114日目-----ついに来てしまいました、「タージマハル」! 美しい大理石の巨大芸術建造物にただただ、うっとりするだけです。
・・・素晴らしい・・・。
この頃のひとりごと、
そしてタージへ! へ
2001年3月9日 (金) ===== インド [ アーグラ ] 115日目-----この旅21個目の世界遺産、「ファテープル・スィークリー」へ行きました。
ここはインドで2番目に大きいモスクだそうです。イスラムの建築は幾何学模様がとてもきれいです。
大理石のすかし彫りの技術の高さには圧倒されてしまいます。
この頃のひとりごと、
世界遺産=ファテープルスィークリー へ
2001年3月10日 (土) ===== インド [ アーグラ ] 116日目-----今日も別の世界遺産、「アーグラ城」へ行きました。
外から見える赤いレンガの城壁とは別の世界、大理石の塔が 城の内部にありました。暑いアーグラになんとも涼しい光景です。
夜、列車でデリーへ行きました。
この頃のひとりごと、
世界遺産=アーグラ城 へ
2001年3月11日 (日) ===== インド [ デリー ] 117日目-----
旅の舞台をデリーにうつし、さらに今日もまた
世界遺産「クトゥブミナール」へ行きました。
丸と四角を交互に組み合わせた支柱の塔に、コーランが彫り込まれ、
独特の建造物となっています。数百年(数千年?)さびないといわれている「鉄柱」もありました。
本当にそんなに前からあったのをどうやって確認したのか、不思議です。
この頃のひとりごと、
世界遺産=クトゥブミナール へ
2001年3月12日 (月) ===== インド [ デリー ] 118日目-----
パキスタンのビザを取りに行きました。
なんと、「即日発行」、そしてお値段は「タダ」!
ほかの国もこうあって欲しいものです。そして、その後、今日もまたまたまた世界遺産「フマユーン廟」へ行きました。
タージマハルに影響を与えたという赤い建物です。これで、3月6〜7日に訪れたカジュラーホから数え、
「6つ=6日連続、別の世界遺産めぐり」を
実行したことになります。<1> 3月6、7日 「カジュラーホ」
<2> 3月 8日 「タージマハル」
<3> 3月 9日 「ファテープルシークリー」
<4> 3月10日 「アーグラ城」
<5> 3月11日 「クトゥブミナール」
<6> 3月12日 「フマユーン廟」これはもしかしたら、世界記録かもしれません!!!
この頃のひとりごと、
世界遺産=フマユーン廟
うれしいビザ申請
バカ者あつかい へ
2001年3月13日 (火) ===== インド [ デリー ] 119日目-----バングラディッシュのビザを取りに行きました。
なんと、ここも「即日発行」、そしてお値段は「タダ」です! バンコクで2週間もかけてラオスや中国のビザをとったのが なんだかバカみたいです。パスポートもビザや出入国スタンプで、段々と重みを増してきました。
2001年3月14日 (水) ===== インド [ デリー ] 120日目-----旅をはじめて丸4ヶ月が経過しました。
まだ、折り返し地点にも達していません…。「ヴァツヤヤナ・カーマスートラ」というインド映画を見に行きました。
映画大国インドで映画を見る事をずっと楽しみにしてきました。
さらに「〜カーマスートラ」というタイトルにあれこれ変な期待がふくらみます。しかし、だれた演出、小太りなヒーローにインド映画にしては あまり奇麗でないヒロイン、 中途半端なベッドシーンに幻滅。
映画の途中にある休憩時間に劇場から出てきてしまいました。
この頃のひとりごと、
映画で知る異国文化
TVで知る異国文化
謎多きクリケット へ
2001年3月15日 (木) ===== インド [ デリー ] 121日目-----インドで初めてマクドナルドへ行きました。
噂の「マハラジャマック」を食べてきました。
味はビックマックのポーク版(それとも羊?)、といったところでしょうか。たいした感激も失望もなく、久々のマックを味わってきました。
この頃のひとりごと、
0%ビーフ! へ
2001年3月16日 (金) ===== インド [ デリー ] 122日目-----ニューデリーにいらっしゃる「母親の知人の娘さん夫婦のお宅」へ お邪魔させていただきました。
初対面なのに、快く迎え入れてくれ、人の温かさに触れた1日でした。
久々の日本食(特に味噌汁)、はやりいいのもです!相川夫妻、ゆうくん、どうもありがとうございました。
これから訪れる危険地帯、パキスタンにそなえ、バッチリ充電できました。
この頃のひとりごと、
新たなる旅の元気 へ
2001年3月17日 (土) ===== インド [ アムリトサル ] 123日目-----デリーから列車で8時間45分かけ、デリーの北西の町 アムリトサルへ移動しました。
列車内では、昨日頂いたおにぎりで空腹を満たし、 日本の新聞や雑誌で退屈をしのぎました。
久々に読んだ日本の情報誌を見て、
「日本って忙しい国だなぁ。」
と率直に思いました。この旅を終え、帰国した後、日本の社会に適応出来ないのではないかと、 今から心配です。
2001年3月18日 (日) ===== インド [ アムリトサル ] 124日目-----スィーク教の総本山、「ゴールデンテンプル」へ行きました。
四角い池の中心に金ピカの寺が橋によってつながれています。
ターバンをした「いかにもインド人」っぽい男性がいっぱいで、 かなりインパクトがありました。
それにしても、日本人はおろか、白人の観光客も全くいないスポットでした。
この頃のひとりごと、
参拝時の願いごと<2>
インドで買う水
さすがにあきるインドカレー
『不浄』の左手、大活躍 へ
2001年3月19日 (月) ===== パキスタン [ ラホール ] 125日目-----1日かけて、列車でパキスタンのラホールへなんとか行きました。
出入国手続きは2〜3時間くらい、と聞かされていたのに、 8〜9時間も待たされ、精神的にクタクタになりました。
更には、原因不明の腹下しにみまわれたり、 読んでいた日本の雑誌へクレームがつけられたり、 夜は意外に寒くなったり、 小雨が降ってきたり、と 今日は間違いなくこの旅で最悪な1日でした。
この頃のひとりごと、
面倒くさい国境越え
近くて遠いパキスタン へ
2001年3月20日 (火) ===== パキスタン [ ラホール ] 126日目-----日中、世界遺産「ラホール城」へ行きました。
イスラム建築と城砦が融合した所です。
しかし、タージマハルやアーグラ城を見てきてしまうと、 どうしてもインパクトが薄く感じられてしまいました。
その昔、両親と幼い兄たちが住んでいたという家にも行ってみました。
初めて来たのに、妙に懐かしいというか、うれしいというか、 不思議な気持ちになってしまいました。========
夜のフライトでまずカラチを目指します。
この頃のひとりごと、
物騒?なラホール
いい人が多いパキスタン
2001年3月21日 (水) ===== インド [ モンバイ ] 127日目-----★★★このHP「じろおむんど」も開設1周年を迎えました!★★★
★★★ご声援、ありがとうございます。★★★早朝2時に飛行機でラホールを去り、午前4時にカラチ空港に到着しました。
続けて午前8時にカラチからインドのモンバイへ飛びました。
あっという間にパキスタンからインドへ逆戻りです。さんざん「パキスタンは危険だ!」と言われたのですが、 パキスタンの方がやさしい人、いい人が多かった様におもえました。
(インドの方がよっとどヤナ奴が多いです。)空港からタクシーに1時間以上も乗り、港町モンバイまでやって来ました。
上海以来の久々の海がなんだかちょっとだけうれしい気持ちにしてくれました。
しかし、物価が高く、ゴミゴミしたこの町にはただ1晩寝るだけの滞在です。
2001年3月22日 (木) ===== インド [ アウランガバード ] 128日目-----早朝の列車でモンバイからアウランガバードへ7時間かけて移動しました。
ここはとても乾燥した暑い所です。
日差しも強く、見た目も「灼熱の大地」といった感じです。
日本人的には3月とはとても思えない所へ来てしまいました。
2001年3月23日 (金) ===== インド [ ファルダプール ] 129日目-----この旅26個目の世界遺産、「エローラ石窟群」へ行きました。
岩を彫り、削り、巨大な寺=カイラサナースを1世紀もかけて 作ったとのことです。
とにかく、デカくすごい石の建築物です。
こいつは「一見の価値あり」です。
夕方、ファルダプールという町へバスで移動しました。
砂漠と丘に囲まれた、人もまばらで何も無い所です。
人間関係に煩わしさを感じたら、ここをお勧めしたいです。
この頃のひとりごと、
やっぱり波長があわないインド へ
2001年3月24日 (土) ===== インド [ アウランガバード ] 130日目-----この旅27個目の世界遺産、「アジャンタ石窟群」へ行きました。
昨日のエローラが「巨大な彫刻群」なら、今日のアジャンタは 「美しく多彩な壁画群」です。
どちらもドデカい岩をくりぬき、よくもまぁあれだけのスケールの穴や 彫刻や塔を作ったものだと感心してしまいます。
夜、東を目指し、寝台列車で移動しました。
2001年3月25日 (日) ===== インド [ ハイデラバード ] 131日目-----14時間半列車に揺られ、朝10時にどうやら セクンデラバードという所に到着しました。
日差しが強く、暑い所なのですが、湿気はあまりないです。汗がいつの間にかドンドン蒸発していって、水分補給が欠かせません。
暑さが苦手な人にはお勧め出来ない所です。ところで、ハイデラバード(=セクンデラバード)とは、 インドのどのあたりなのでしょうか?
手元にガイドブックも地図もないので、今、自分がインドのどこらへんに いるのか、あまりよくわかっていません。
この頃のひとりごと、
ここ、どこ?
生きる事、そして死ぬ事
絶望慣れ、不慣れ へ
2001年3月26日 (月) ===== インド [ ハイデラバード ] 132日目-----早朝、TVで「アカデミー賞受賞式」をじっくり見ました。
生放送で見るのはドキドキ感があっていいものです。午後は市バスを乗り継いで「ゴルコンダの砦」へ行きました。
砦の上から町が一望できて素晴らしい景色を楽しめます。しかし、ここも灼熱の地で5分ごとに水を飲まないと 本当にひからびてしまいそうです。
インターネットカフェにあった世界地図で、今自分がいる 「ハイデラバード」の位置を確認しました。
「いつの間にこんな所まで来たんだ。」
今、自分がインドのド真ん中に居ると知って、ちょっとビックリしました。
この頃のひとりごと、
アカデミー賞授賞式 へ
2001年3月27日 (火) ===== インド [ ハイデラバード ] 133日目-----市バスで「チャーミナール」という4つの塔があるイスラム建築を見て来ました。
とてもきれいな白い建物なのですが、まわりが密集しすぎゴミゴミして汚く 居心地はいまいちでした。午後4時、寝台列車でインドの北東部を目指します。
2001年3月28日 (水) ===== インド [ ブバネシュワール ] 134日目-----1107kmを19時間20分、337ルピー(=842円)かけて 寝台列車で移動し、東インドのブバネシュワールまでやってきました。
どうやらここもヒンドゥー教の聖地らしいです。
しかし、またまた観光客のほとんどいないスポットに来てしまった様です。
この頃のひとりごと、
世界って広い へ
2001年3月29日 (木) ===== インド [ プリー ] 135日目-----バスで1時間半かけ、ベンガル湾に面した保養地プリーにやってきました。
のどかな南国の村、といった雰囲気でとても落ち着ける所です。
ちょっとだけ蒸し暑いのが難点ですが。
この頃のひとりごと、
ものすごい腹下し へ
2001年3月30日 (金) ===== インド [ プリー ] 136日目-----自転車でプリーの町を散策しました。
ジャガンナース寺院はヒンドゥー教徒しか入れないので、 外からしか見れませんでした。
寺のスケールの大きさ、塔の装飾の緻密さは遠目になんとなく わかったつもりです。ベンガル湾では多くのインド人が海水浴を楽しんでいました。
どこでも見られるビーチの楽しそうな風景も、サリーで水浴びしている 女性をみるとここがインドであることを再認識させられます。
2001年3月31日 (土) ===== インド [ プリー ] 137日目-----1日のんび〜りと年度末最後の日をホテルでゆっくり過ごしました。
音信不通でまさかの行方不明かと思われた、旅の相方ショウとも メールで連絡がとれ、一安心です。
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