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2000年11月15日から2001年11月15日まで世界一周の旅をしたゲイター。 旅の間に少しずつ更新した日記の改訂版です。 |
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2001年10月1日 (月) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 321日目-----大雨と雷で10月は始まりました。
さすがはブラジル。
雨の降る量、勢いが日本とは大違いです!!毎月初日は体重測定の日です。
! ! ! !
なんと、日本出発当初の体重より1kgオーバーしているではありませんか!!
インドいた今年の3月頃は、8 〜 9kgも少なかったのに!!
ブラジルにきてから2週間半、美味しいものを腹いっぱい食べ過ぎています。
その割に、車での移動が多く、殆ど歩かないので、 こんなことになってしまったのでしょう。少しダイエットを考える必要がありそうです・・・ 。
この頃のひとりごと、
驚きの月はじめ恒例行事 へ
2001年10月2日 (火) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 322日目-----リサの日系の友達 = ミドリに、日本のポップミュージックが入った CDを借りました。
キロロの新曲?『 Best Friend 』を初めて聞きました。
これは、NHKの朝のドラマの主題歌だそうで、NHKが映るブラジルでも よく聞かれている様です。
日本の流行り、そしてブラジルでの流行りにすら 乗り遅れている気がしました。それならそれで、別に構わないのですが・・・。
夜は、6年振りにブラジルの『カショーホ・ケンチ』 (=ホット・ドッグ)を 食べました。
今回のモノはとにかく大きく、たった1つを食べ切れない程でした。
でも、味は6年前に食べたモノの方が美味しかったです。
この頃のひとりごと、
狂牛病の影響は?
ちゅらさん?
ストリートチルドレン
でかいホットドッグ へ
2001年10月3日 (水) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 323日目-----『サンパウロ美術館』へ初めて行きました。
ピカソ、ゴッホ、モディリアーニ。
レンブラント、ロダン、ルノワール、セザンヌ。有名な画家の作品がたくさんあり、ブラジルでこれらを見れることを 期待していなかっただけに、ちょっと意外な感じがしました。
TVでサッカーの試合 ( サンパウロ 対 サントス )を見ました。
攻守の切り替えが早く、個人技も素晴らしく、とても楽しめました。せっかくサッカーの本場にいるのですから、 生で試合を見たいものです。
2001年10月4日 (木) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 324日目-----サンパウロ市内にある大きな公園、 『イビラプエラ公園』に行きました。
枝が何本も垂れ下がった大樹、白い鳥がたくさんいる池、 日本庭園など、6 年前と殆ど変わってなく、 とても懐かしく感じられました。夜は、リサの家で『うなぎ』を頂いてしまいました。
やはり日本の食べ物はいいものです。
懐かしく、大変美味でした。
2001年10月5日 (金) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 325日目-----昼食後、拳銃を背後に隠した私服警官が、 とあるレストランに入って行くのを見ました。
サンパウロではよくあることらしいのですが、 なんとも物騒なシーンに出会ってしまいました。夜、サッカーの本場ブラジルで『フットサル』に初挑戦しました。
ブラジルの人たちは、さすがにボールをうまくさばきます。
この旅の間、約11ヵ月間殆ど運動をしていないので、 ちょっと動いただけで疲れてしまいました。でも、久々の運動はとても気持ちがよかったです。
この頃のひとりごと、
白昼、ドラマのような1シーン
ブラジルでサッカー体験! へ
2001年10月6日 (土) ===== ブラジル [ イタペセリーカ・ダ・セーラ ] 326日目-----サンパウロ近郊の町、イタペセリーカ・ダ・セーラへ行きました。
ここにはなんと、『金閣寺』があるのです!!
ここサンパウロには日系人が大変多いので、 どなたかが遠き故郷 = 日本に想いをはせ、作ったのでしょう。表面の色は少し暗い金色なのですが、建物の形は 京都の金閣寺とそっくりです。
しかし、中は何故か教会でした。夜、音速の貴公子『アイルトン・セナ』を生んだ国でカートに挑戦しました。
一緒に走った現地の少年たちには、全く追い付けませんでした・・・。
この頃のひとりごと、
おどろきの寺!
ブラジルでカート体験! へ
2001年10月7日 (日) ===== ブラジル [ イグアペ ] 327日目-----サンパウロから200km離れた大西洋沿いの町、イグアペへカレンと行きました。
ここはブラジルで3番目に古い町とのことです。
時の流れを感じさせない静かでのどかな町。
6年前訪れた時と殆ど変わっていませんでした。今日はワールドカップの南米予選『ブラジル対チリ戦』が行われ、 TVで放送されます。
その時間、町の店は皆、閉まっていました。カレンの家で約20年前(=1980年)の日本の雑誌『小学3年生』を見つけました。
(カレンは日系人。)
『リトル巨人くん』『怪物くん』『ウルトラマン80』『あさりちゃん』など 当時を思い出させる懐かしい漫画、記事で一杯でした。
この頃のひとりごと、
なつかしい再会
なつかしい再会 その2
W杯南米予選 へ
2001年10月8日 (月) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 328日目-----また雨の週明けです。
大量に降る雨、すぐ水がたまる道路のため、外出する気になれません。カレンの弟、マサオの車で近くのショッピングセンターへ行き、 『ラッシュアワー2』を見ました。
早口英語、字幕はポルトガル語。
細かいところはよくわかりませんでした。
この頃のひとりごと、
重宝される居候 へ
2001年10月9日 (火) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 329日目-----たまっていた日記、出納帳、メールなどを処理しました。
インターネットで日本や世界のニュースを読んだりして1日を過ごしました。米英軍によるアフガニスタンへの空爆が始まったとのこと。
今後の世界の動きがとても気になります。たいして動かず、美味しい食事をたらふく食べる日が続いています。
今後の自分の体重がとても気になります。
2001年10月10日 (水) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 330日目-----初めてブラジルの市バスに乗りました。(1.4ヘアイス=約50¢)
やや前寄りにある車掌の席で料金を払い、回転する鉄の柵を通り、 座席のある後方へ行きます。今まで色々な国のバスに乗ってきましたが、こういうタイプの 2メンバスは初めてです。
降りる時は天井をはう青いヒモをひっぱるとライトがともり、 次のバス停でバスはとまります。
なんともレトロなシステムのバスなのですが、 運転はとても褒められたものではありませんでした。
2001年10月11日 (木) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 331日目-----念願叶って、ブラジルでサッカーの試合を生で見ることができました!! モルンビー・スタジアムへ行き、地元『サンパウロ』対『グレミオ』戦を じっくり観戦しました。
鹿島アントラーズで大活躍したレオナルド、 名物キーパー = ホジェーリオを生で見れ、感激です!!
試合開始直後に大雨に見舞われましたが、 プレーに一喜一憂する観客をみているだけで面白かったです。
試合の結果は1対1の引き分けでした。
この頃のひとりごと、
念願のブラジルでのサッカー観戦!
試合での意外な発見
歓喜!と…絶句…
ものすごいサポーター その1
ものすごいサポーター その2
ものすごいサポーター その3 へ
2001年10月12日 (金) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 332日目-----ヒョンなことからブラジルの日系人さんの結婚式に出ることになりました。
教会にはチャゲ&アスカの『SAY YES』が流れ、 式後のパーティーでは、寿司、刺身、おでんなどが出されました。
日本から遠く離れた地、ブラジルで日本を色々感じるイベントでした。
久しぶりの寿司やおでんをたらふく食べました。
旅の間にたてた、『日本食を食べない』誓いは、一体どこへやら・・・。
この頃のひとりごと、
1箇所にとどまる世界一周
ブラジルの結婚式と日本
日本語の中にある壁 へ
2001年10月13日 (土) ===== ブラジル [ ビリチバ・ミリン ] 333日目-----カレンの弟、マサオの誘いで、貧しい人たちの手助けをする ミニキャラバンへ行きました。
主に日系の大学生以上の人たちが、生活や性に関する正しい知識を教えたり、
病気や歯を治療したり、薬をあげたりしていました。
無償でこの様な活動を自発的にやる人が多いということに感銘をうけました。午後は『ファベーラ』と呼ばれる貧民街へ実態調査に同行しました。
月給360ヘアイス(=約130ドル)で暮らす7人家族の元を訪れました。
コンクリートむき出しの壁、土の床。
父親が全て違うという5人兄弟。
ヨレヨレの服に裸足で遊ぶ子供たち。貧しい生活の様子を色々目のあたりにしましたが、 無邪気な子供たちの笑顔は、貧しさを感じさせない 生き生きとしたものでした。
この頃のひとりごと、
『ミニ・キャラバン』
ファベーラの実地調査へ
ファベーラで見た笑顔 へ
2001年10月14日 (日) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 334日目-----■■■ 旅もとうとう11ヵ月が経過してしまいました。 ■■■
あと1ヵ月でいよいよ帰国となります。==============
今日から『サマータイム実施』ということで、 1時間時計を進めることになりました。朝10時半に起きたつもりが既に11時半。
あっという間にお昼です。国境を越える時、時間が変わることはよくありましたが、 一つの国にいて時間が変わるというのは なんとも変な感じがするものです。
この頃のひとりごと、
祝! 旅、11ヶ月経過
時差 へ
2001年10月15日 (月) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 335日目-----留学時代のスイスの友達、アンの依頼で彼女の3人目の子供の 『出産お知らせカード』のイラストを描くことになりました。
絵を描き、コンピュータに絵を取り込み、色をつけ・・・。
何と書かれているかわからないポルトガル語のWindowsマシンを 使うのに一苦労しました。
2001年10月16日 (火) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 336日目-----ミドリの車にカーステレオ強盗が入りました。
30分ほど路上駐車していたら、このあり様です。助手席側のドアをこじ開けられ、カーステレオをそっくり 持っていかれてしまいました。
なんとも物騒なサンパウロを目の当たりにしてしまいました。何故かテレサ・テンのCDも一緒になくなっていました。
この頃のひとりごと、
サンパウロの車上あらし へ
2001年10月17日 (水) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 337日目-----全日空のオフィスへ行き、日本までの帰国ルートを摸索しました。
9月にアメリカで起こったテロの影響と、 長期間旅をして観光する意欲が減退したため、 出発前にたてた空路の予定を変更する必要があったからです。
20年前に住んでいたブエノスアイレス、 友人の住むサンフランシスコにだけ行ければ、 と思いルートを変更したところ、 所持している世界一周チケットの利用上限である 39000マイルぎりぎりでした・・・。
そして、日本へのフライトも押さえました。
これで帰国がかなり現実化してきた感じがします。さらに、1年にわたる旅のゴールが見えた気がしました!!
あとは無事に飛行機が飛んでくれるのを祈るのみです。
この頃のひとりごと、
旅のゴール へ
2001年10月18日 (木) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 338日目-----突然決まったブラジル国内旅行のため、 旅行会社を行ったりきたりであっと言う間に時が過ぎました。
2001年10月19日 (金) ===== ブラジル [ フォス・ド・イグアス ] 339日目-----サンパウロから飛行機で1時間10分、イグアスの滝の近くの町 フォス・ド・イグアスへやって来ました。
ここは天気が非常によく、あたたかいリゾート地です。
『雨が降ってるけど、今晩、何する?』 夜、カレンの弟、マサオが携帯に電話をくれました。
あ!
彼にイグアスに行くことを伝えそびれていました。
マサオには申し訳ないですが、雨のサンパウロから 遠く離れた地で久々の観光を楽しませてもらいましょう。
この頃のひとりごと、
イグアスの滝へ へ
2001年10月20日 (土) ===== アルゼンチン [ プエルト・イグアス ] 340日目-----橋を渡り、国境をまたぎ、この旅の第38ヶ国目、 アルゼンチンに陸路入国をしました!!
20年前に2年半も住んでいた国を訪れるということは、 無条件でうれしいものです。
『マルビーナス(=フォークランド諸島)は我々のもの!』
20年前、フォークランド紛争時の キャンペーンの看板が未だにあったのは驚きでした。========
ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ・・・・・・アルゼンチン側から『イグアスの滝』を見ました。
轟音、大量に落ちていく水の固まり、水しぶきと突風。
スケールがデカ過ぎて、『滝』という言葉ではこの自然を 表現しきれていない気がします。とにかく『スゴイ』この大自然のパノラマに 圧倒されてしまいました。
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午後は世界一の水力発電所『イタイプー発電所』へ行きました。
水不足のため、豪快なハズの放水は殆どされておらず、残念でした。
ブラジル中が電力不足、というのもこれを見ればうなずけます。バスに乗り、ダムの上を1周しました。
この頃のひとりごと、
旅の38ヶ国目、突入!
20年前の看板
滝へつづく道
連なる滝
『鉄の歩道』の謎
滝のワキヘ
『イタイプー発電所』
旅の39ヶ国目… へ
2001年10月21日 (日) ===== ブラジル [ フォス・ド・イグアス ] 341日目-----今日は、ブラジル側から『イグアスの滝』を見ました。
轟音、水の壁、吹き上がる水しぶき。
遠くから見ても、1つの視界に入りきらない滝、滝、滝。全く何てすごい大自然なのでしょう!!
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午後は『マクコ・サファリ』に参加しました。スピードボートにのって滝の真下へ行くツアーです!
上からすごい勢いで落ちてくる水の固まり!
水しぶきに強風!!
とても目をあけていられませんでした。ここでも大自然の迫力に圧倒されてしまいました。
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夜はパラグアイ、アルゼンチン、ブラジルのダンスを 楽しめるショーを見に行きました。『ボテヤ・ダンス』、『タンゴ』、『サンバ』など、 各国の独特のダンスを一度に楽しめるお得なショーでした。
この頃のひとりごと、
お勧めの滝鑑賞ポイント
ブラジル側の『鉄の歩道』
旅20年前の記憶と出会う
お勧めのマクコ・ツアー
大迫力のマクコ・ツアー へ
2001年10月22日 (月) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 342日目-----この旅の間で訪問した国数を1つでも増やそうと、 昼間、パラグアイに陸路入国をしようとしたのですが、
・国境越えの入出国審査に時間がかかる
・パラグアイの治安はよくない
・タクシーの料金がえらく高いなどの理由で、泣く泣く断念しました。
日中はのんびりイグアスのホテルの芝生の上ですごし、 夕方のフライトでサンパウロに戻りました。
この頃のひとりごと、
死ぬ? <4> へ
2001年10月23日 (火) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 343日目-----カレンの知り合いが働いている、ということで、 サンパウロ・フットボール・クラブ(S.P.F.C.)の 施設内に入ることができました。
中には博物館があり、各種トロフィーや クラブの歴史が書かれたパネルなどが展示されていました。
92、93年とS.P.F.C.が日本に来て手にした トヨタカップ(クラブチーム世界一決定戦)も 飾られていました。
一般人で初めてVIPルームに入り、 あきひと天皇が90年にサンパウロを訪れた際、 座ったという椅子に座らせてもらいました。
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週末に行った『イタイプー発電所』はブラジルと パラグアイとの国境にあることに今更、気づきました。ということは、バスツアーに参加したことで、パラグアイ側に いつの間にか行っていた、ということになります。
ということで、39ヶ国目、パラグアイに10月20日(土)に 入ったことになりました。
この頃のひとりごと、
S.P.F.C.見学
2人目の日本人 へ
2001年10月24日 (水) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 344日目-----ショッピングセンターで買い物をして1日すごしました。
夜、『ザ・ファスト アンド ザ・フューリー』という カーレースの映画を見ました。
・・・・最高につまらない映画でした・・・。
2001年10月25日 (木) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 345日目-----また最高にうまいピザ屋、『1900』へいきました。
そこで1994年頃、Jリーグの清水エスパルスで活躍した 腕の長〜いゴールキーパー、『シジマール』と話すことができました。初め、何語で話したらいいか戸惑いましたが、 彼は日本語がうまく、とてもやさしい口調で話す人でした。
なんとも面白い体験をしたものです。
この頃のひとりごと、
サッカー選手と電話で話す へ
2001年10月26日 (金) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 346日目-----今日はリサの誕生日です。
世界16カ国語の旅の例文を話すマシーン「おしゃべり紀行」を プレゼントしました。
中古ですが、ムチャクチャ喜んでくれました。いつもつけている旅の絵日記(ムンディアリオ)を人に見せると 思いのほか、好評です。
絵の力を改めて思いしらされました。
2001年10月27日 (土) ===== ブラジル [ サンパウロ ] 347日目-----夕方、リサの誕生会がエジプトカフェでありました。
この1ヶ月半のサンパウロ滞在で知り合った人、 お世話になった人がたくさん集まり、お礼とお別れを言う いい機会になりました。ここでみたベリーダンスは、若い女性による大変色っぽいもので、 本場アラブでみた中年女性のヨレヨレダンスより刺激的でした。
2001年10月28日 (日) ===== アルゼンチン [ ブエノスアイレス ] 348日目-----長くて2週間のつもりが1ヶ月半も滞在してしまったサンパウロを 去る日がとうとう来てしまいました。
リサ、カレン、マサオ、クリス、ユミがわざわざ空港まで見送りに来てくれました。「もう行っちゃうの?」
「また来てね。」
長居した旅の放浪者にはもったいない言葉をたくさんもらいました。ブラジルの国旗、サッカー代表のシャツをおみやげにもらいました。
これらは何よりもブラジル滞在の思い出の品となるでしょう。
この頃のひとりごと、
==============================================================================サンパウロの空港にて
さらば、ブラジル!
次への期待 へ
旅の38カ国目、アルゼンチンに先週に続いて再入国です。
・世界一広い7月9日通り(片側9車線、道幅100m以上!!)
・エセイサ国際空港
・繁華街フロリダ通り
・バナニタドルカ(おかし)
・道に散乱する犬のフン20年ぶりのアルゼンチンには懐かしいものがたくさん待っていました。
・パンペルニック(ファストフード)はなくなり、
・アスファルトに覆われた石畳など変わってしまったものもいくつかありました。夜、リサのアルゼンチン人の友達、マリエルとその彼氏と3人で アサード(アルゼンチンスタイルの焼き肉)へ行きました。
・モルシージャ(血の固まりのソーセージ)
・チンチュリン(腸)
・ビフェデチョリソ(分厚いステーキ)なつかしうまいものに大満足の夜でした!!
この頃のひとりごと、
意外なブエノス・アイレス
旅の最終目的地
スペイン語圏へ
見覚えのある景色
ナツカシのブエノス・アイレス
広い町、ブエノス・アイレス
アルゼンチンで日本語
20年という時の流れ
最高にうまい! アルゼンチンの牛肉 へ
2001年10月29日 (月) ===== アルゼンチン [ ブエノスアイレス ] 349日目-----20年前住んでいた家を訪れました。
ブエノスで初めて地下鉄に乗って近くに着くと、意外なくらい土地感や
さまざまな記憶が蘇り、なんなく、あっという間に家に着いてしまいました。家の外観は少し改装され変わっていましたが、自分が昔住んだ家が 「まだある」ということが何よりうれしかったです。
キオスクには近く、11月10日に行われるマラドーナ引退試合のためか? マラドーナの本やVTRがいっぱい売られています。
いまだに彼はサッカーの神様扱いをされている様子です。アルゼンチン代表やボカ、リーベル(いずれもブエノスアイレスのサッカーチーム)の ユニフォームも町中でいっぱい売られています。
こんなとこからもアルゼンチンを思いっきり感じてしまいます。
この頃のひとりごと、
世界一広い通り
マラドーナの母国
ブエノスで初の地下鉄体験
魅惑のスポーツショップ
ブエノスで初めてみるマクドナルド
昔の我が家への道
昔の我が家へ
昔の我が家へ その2
家の近所を散策 その1
家の近所を散策 その2
また、肉! へ
2001年10月30日 (火) ===== アルゼンチン [ ブエノスアイレス ] 350日目-----20年ぶりにブエノスアイレス日本人学校に「通学」しました!!
各教室はかなり小さく感じられましたが、 建物はほぼ変わりなく、ただただ懐かしく感じました。
当時100人以上いた全校生徒数も今では49人とのこと。
ちょっとさびしく感じられましたが、みな元気に勉強をしていました。
ちょうど20年前の自分を見ているようで、微笑ましくなりました。そして、20年前の担任の先生にも会いました!!
なつかしい!!
お元気そうで何よりでした!!ブエノスで活躍中の兄の同級生、まりさんにも突然、偶然あいました!!
まったくビックリの再会です!!先生やまりさんと昔を語り、改めて自分が20年前この国に 住んでいたことを再認識させられました。
この頃のひとりごと、
18年ぶりの『再登校』
再会! <その1>
再会! <その2>
変わらないモノ
変わりゆくモノ <建物編>
変わりゆくモノ <生徒、授業編>
Back in Time... へ
2001年10月31日 (水) ===== アルゼンチン [ ブエノスアイレス ] 351日目-----世界3大劇場の一つ、コロン劇場へ行きました。
ウィーン、ブダペストとオペラハウスを見てきたので、 新鮮味はありませんでしたが、その大きさには圧倒されました。
夜は本場ブエノスアイレスでタンゴを満喫しました。
バイオリン、ピアノ、そしてバンドネオンの哀愁ただよう 音色にただただジーンときてしまいました。1組の男女がまるで競いあい、そして支えあうように踊る情熱的な ダンスも魅力的でした。
この頃のひとりごと、
フロリダ散策
コロン劇場
本場でタンゴ鑑賞 へ
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